金子みすゞ

金子みすゞ/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

金子みすゞの儚き生涯~なぜ彼女は26歳の若さで自ら死を選んだか

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デビュー時から西條八十の目に留まっていた

雑誌に投稿した詩は好評を呼び、大正十二年(1923年)8月には様々な雑誌に金子みすゞの作品が掲載されるようになります。

『金の星』に「八百屋のお鳩」

『婦人画報』に「おとむらひ」

『婦人倶楽部』に「芝居小屋」

『童話』に「お魚」「打出の小槌」

このうち婦人画報・婦人倶楽部・童話に掲載されたものは西條八十選となっており、みすゞのデビュー時から彼の目に留まっていたことがわかります。

特に『童話』誌上では八十から高評価を受けたため、みすゞはその返事を編集部に送り、それがまた同誌に載りました。

しかしそれから一ヶ月もしないうちに関東では大震災が起き、出版社や印刷所も大きな被害を受てしまいます。

関東大震災で壊滅的となった横浜市中区/wikipediaより引用

さらに大正十三年(1924年)に八十がソルボンヌ大学へ留学するために渡仏し、みすゞの作品掲載は減少してしまいます。

この時代のことですので、おそらくは女性だったということも影響したでしょう。

そこでみすゞは八十に頼り切らず、気持ちを切り替えて活動を続けます。

雑誌『赤い鳥』へ投稿したり。

同時代の詩人・佐藤義美らが主催した同人誌『曼珠沙華』に参加したり。

同時代詩人の自筆アンソロジーを作ったり。

積極的に文学活動を続けましたが、同時期に認められていた他の詩人たちが詩集を出版し始めても、みすゞにはその手の話が来ませんでした。

出版社側の理解者や後援者が少なかったためでしょうかね……。

そして大正十五年(1926年)には自筆の童謡集『美しい町』『空のかあさま』を完成させています。

しかし、彼女の運命が変わったのもこの年からでした。

結婚相手がどうしようもない男だったのです。

 


結婚相手がロクデナシのDV男だった

大正十五年(1926年)、23歳のときにみすゞは結婚します。

相手は上山文英堂の店員・宮本啓喜。

彼には商売の才があり、そのころ脳梗塞の治療中だった店主・上山松蔵の後継と目されていたようです。

松造はみすゞを啓喜と結婚させて、店の将来を安泰にしようとしたと考えられます。

当時の商家によくあることで、上山文英堂でも独身の店員は店に住み込みで働いており、みすゞと啓喜も同じでした。

見知らぬ人との結婚も珍しくないご時世に、少しでも気心が知れた相手と一緒になれたという点においては、この縁も悪くなかったかもしれません。

結婚したその年のうちに娘にも恵まれますが、みすゞにとって重要な雑誌『童話』が同時期に廃刊となり、帰国した西條八十や文芸との繋がりが薄れてしまっています。

八十は新たに創刊された詩の専門誌『愛誦』を主催するようになったため、みすゞは育児のかたわらで再び詩を投稿するようになりました。

この雑誌ではみすゞの作風が受け入れられ、掲載された詩は30作にも上ります。

八十も長い付き合いになったみすゞに興味を抱いていたようで、昭和二年(1927年)夏に電報を送りました。

「今度九州まで講演に行くので、下関で少し話しませんか」

もちろんみすゞは大喜びし、娘をおぶって出かけています。

八十いわく、みすゞの印象は次の通り。

「一見22・3歳に見える女性で、整えられていない髪と普段着、背に1・2歳の子供を背負っていた」

つまりはごくごく一般的な若い母親だったのでしょう。

具体的に何を話したのかまでは伝わっていません。

八十はもともと下関での乗り換えのついでにみすゞに連絡を取ったため、話した時間も五分程度のことだったようです。

これが二人の唯一の邂逅でした。

金子みすゞ/wikipediaより引用

このころ夫の啓喜は、雇い主の松蔵といさかいを起こして上山文英堂を辞め、さらに女性問題を起こしてしまいました。

みすゞだけ残るわけにもいきませんので、幼い娘を抱えて新たに家を構え、問屋業を始めたまでは良かったのですが……。

儲かってはいても妻が子供にかかりきりでつまらなくなったのか、啓喜は遊郭に出入りして淋病をもらってしまい、さらにそれをみすゞにうつしてしまいました。

昭和三年(1928年)あたりからは床に伏せており、翌昭和四年(1929年)の夏には入院していたようです。ひでえ。

しかもこの旦那、何を血迷ったのか

「お前のやっていることは気に食わん!今すぐやめろ!!」

と当たり散らしてきたといいます。

病気の件だけでも許しがたいのにこの態度とは、後年の我々からしても実に腹立たしい話です。

妻が他者から認められていたことの何が悪いのでしょうね?

みすゞの交友関係に問題があったならともかく、むしろ不祥事を起こして肩身を狭く感じるべきなのはこの夫のほうです。

しかも自分のせいで、妻であり才ある詩人でもあるみすゞの命を縮めているのですから、自分から謝罪して離婚を申し出るべきでしょう。

さすがにこれほどまでの仕打ちを受けては、おとなしいみすゞも黙っておらず、離婚を願い出ました。

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