普段何気なく使っているものでも、その成り立ちを見てみるとなかなか奥深い経緯があったりします。
大宝二年(702年)3月8日は、全国的に初めて統一された【計量単位(度量衡)】が定められた日。
文武天皇の命で実施されました。
本日は度量衡のあれこれを見ていきたいと思います。
聖書の時代は身体の一部で測っていた!?
「度量衡」自体はただの単位で度(長さ)・量(体積)・衡(重さ)を表すものです。
が、これが無ければ非常に困ることはなんとなく想像がつきますよね。
税を納めるにしろ、買い物をするにしろ。
単位がキッチリ統一されていなければ不便な上に損をすることも多いでしょう。
特に、人によっては大いに損をしたであろうと思われる単位の決め方もあります。
古代においてよく使われていた、人の体の一部を利用した単位です。
聖書の中でよく出てきます。
有名なのは、ノアの箱舟の寸法を神様が指定するときの「キュビト」でしょうか。訳によって「アマー」や「アンマ」とも書かれます。
「人間が肘を曲げたときの肘から中指の先まで」という長さを一単位にしたものです。だいたい44cmだといわれています。
でもこれ、誰もが同じ長さになるわけではないですから、だいぶ誤差が出ますよね。たぶん当時の平均的な男性の体格を基準にしているのでしょうけれども。
聖書の中の単位はなかなか面白くて。
容量を表す単位でも、油とその他の液体で違う単位だったり、同じ名前の単位でも基準が違ったりします。
単位の意味があるのかないのかわかりませんが、まあそれはツッコむだけ野暮ですね。
聖書にある全てのことが事実だとは限りません。
日中の「寸・尺」は微妙にサイズ違いで混乱
一方、東洋では比較的早い時代に、体の長さに頼らない単位が統一されていました。
中国でも日本でも「寸」や「尺」がよく出てきますが、この2つの単位の関係は、周王朝(紀元前1046年ごろ~紀元前256年)に定まっていたといわれています。
「一寸」=「一尺の1/10」ですね。
日本と中国ではそれぞれの実寸が違いますが、この基準だけは同じです。面白いですよね。
具体的には、日本では一寸=約3.03cm、中国では約3.33cmになります。
したがって、日本での一尺=約30.3cm、中国では約33.3cmです。
3と小数点がゲシュタルト崩壊しそうです。
この程度なら誤差の範囲のように見えますが、何かの長さを図る場合、これが結構な差になります。
一番わかり易いのは、人の身長を表す時でしょうか。
よく三国志演義などの物語で「身長六尺の大男」なんて表現が出てきますので、これを中国と日本それぞれの基準で置き換えてみましょう。
中国の「尺」であれば、33.3cm×6=199.8cmというアジア人ではありえなさそうな身長。
日本の「尺」なら30.3cm×6=181.6cmですから、「いてもおかしくはないかな?」という感じになりましょう。
まあ、物語のこういう表現は実寸ではなく、「天を突くような大男」という意味であることが多いのですけれども。
関羽や呂布が身体測定してたら、なんかカッコ悪いですし。
日本は割と早い段階でメートル法を採用していた
その他に、日本の歴史で度量衡に関する大きなターニングポイントは2つ。
一つは、皆さんご存じ太閤検地のときです。
田畑の面積や収穫量を同じ基準で測ることによって、より税収を正確に把握するねらいでした。
もう一つは、明治十九年(1886年)にメートル法条約に加盟し、メートル法を導入した時です。
メートル法自体が1791年にフランスで作られた新しいもので、ヨーロッパで導入するための条約が作られたのが1875年です.
日本は割と早い段階でメートル法を採用したことになりますね。
とはいえ、フランスでも日本でも、そして他国でも。
それぞれ伝統的に使われてきた単位がありましたので、なかなか国全体に浸透させるには時間がかかりました。
フランスでは「1840年以降、メートル法以外の単位を公文書に使った場合は罰金」という法律が作られたくらいですから、相当抵抗があったようです。
まぁ、計算がめんどくさいでしょうしね。
日本でも、昭和二十六年(19511年)の計量法施行までは、なかなかメートル法を使いたがらない人が多かったようです。
現在メートル法を使っていないことが多い国というとアメリカやイギリスですかね。今なお抵抗が強いのでしょう。
イギリスは1995年からメートル法に移行しつつあるそうですが、それでもヤード・ポンド法と併記するほうが多いそうです。
時間や重さにも関わってきますから、そこで独自路線を貫かれてもねぇ(´・ω・`)。
長月 七紀・記
【参考】
度量衡/wikipedia
計量制度の歴史/郡山市
メートル法/wikipedia
ヤード・ポンド法/wikipedia