地震・雷・火事・親父。
日本で昔から恐ろしいものの代名詞とされている四つですが、ここに含まれていないものでも甚大な被害をもたらす自然災害はありますよね。
今回、注目するのは災害の中でも、極めて広範囲かつ甚大な被害をもたらし、今なお危険性が燻っているアノ山……。
貞観6~8年(864~866年)に、富士山で最大規模となる「貞観大噴火」が起きました。
まだ朝廷が平安京に移る前で中央もまとまりきってないような時代なのですが、よく東国の記録を残す余裕があったものです。
『竹取物語』や『更級日記』にも富士山の噴火に関するくだりがあるので、平安時代には「富士山は火山である」ということは広く知られていたのでしょうね。
【宝永の大噴火】と並ぶ最大クラスの規模だったのでそれはもう恐ろしいものだったでしょう。
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富士山三大噴火の一つ・宝永大噴火(1707年)が恐怖~完全復興まで90年
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ただ、やはり中央の人が書いたものなので実際の被害がどうだったかについては曖昧なところが多いです。
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864年貞観大噴火
噴火の被害についてはっきりわかるのは、貞観六~八年(864~866年)にかけて数回の噴火を繰り返したということ。
西北斜面にいくつかの噴火口ができ、大量の溶岩が流れ出て、駿河(現・静岡県)や甲斐(現・山梨県)の役人からは生々しい報告がもたらされました。
最も大きかった噴火口は「長尾山」と呼ばれます。
恐ろしいのは、この噴火からわずか数年で東北地方に大津波をもたらした貞観地震(869年)が起きたことでしょうか。
当時の日本列島は、地下の大変動期だったという見立てもあり、もしかしたら今も似たような状況かもしれない――と指摘される識者さんもおられます。
まぁ、そんなことを言ったら日本は年がら年中あらゆるところで大きな地震は起きているのですが……。
以下の記事に地震の歴史をまとめておりますので、よろしければ併せて御覧ください。
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数字で見る【地震の歴史】が驚愕! 300回以上の大地震に見舞われた地震大国日本
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青木ヶ原の樹海をつくった溶岩流
貞観大噴火は富士山周辺の地形を大きく変えました。
このころ富士山の北側には広大な湖「せの海」があったのですが、流れ出た溶岩がその湖を埋没させ、溶岩の上にできた森が青木ヶ原樹海だといわれています。
湖は、今も、富士五湖の西湖と精進湖としていくらか残っていますね。
要は、この2つの湖が、せの海の一部だったわけで、溶岩で埋めらたてられた面積は実に3,000ヘクタール(東京ドーム640個分)にも及びます。
なお、875年には都良香(みやこのよしか)という役人が富士山に登り、蒸気が上がっていた記録も残されています。怖くなかったんでしょうか。
頂上の火口には、今なお残る「虎岩」という岩も確認されており、貞観の大噴火以降、富士山では頂上の火口から噴火していないことが推測されます。
まぁ、他の火口からは噴火しているからあまり関係ないんですけどね。平安時代は富士山の活動が活発だった時期の一つで、その後も永保三年(1083年)まではほぼ定期的に噴火していたらしき記録が残っています。
もしも戦国時代に起きていたら信玄や氏康は……
しかし、永享七年(1435~1436年)あたりと永正八年(1511年)に再び噴火しています。
もうちょっとズレてたら、戦国時代は全く違った歴史になっていたかもしれませんね。
織田信長の尾張以西はともかく、武田信玄や北条氏康は富士山が噴火したらどう考えてもアウトな位置にいました。
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もし、そうなったら両大名はどんな行動をとったのか。
IF小説でも読みたくなりますが、それはさておき幸運にも戦国時代~江戸時代初期も富士山は大人しくしていてくれました。
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