飛鳥・奈良・平安

古代の地方を記録した『風土記』元明天皇が編纂させた経緯と目的

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当時のカタチで残っているのは出雲だけ

もともとが各地の報告書ですから、風土記も当初は全ての国について作られました。

当時の形そのままで残っているといわれているのは『出雲国風土記』だけとされています。

流石というかなんというか、古事記や日本書紀に載っていないような神話がたくさん記載されているのが最大の特徴で、中央政府と地方の軋轢や溝を感じることができますね。

そのまま残っているといっても奈良時代の現物ではなく、最古の写本は戦国のリアルチート・細川藤孝(細川幽斎)が写させたものとされています。

ホントどこにでも名前が出てきますねこの御方。

細川藤孝(細川幽斎)
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その他に「割と残っているもの」としては播磨・肥前・常陸・豊後の風土記があります。

順に現在の地名でいうと、だいたい

・兵庫県(播磨)
・佐賀&長崎県(肥前)
・茨城県(日立)
・大分県(豊後)

です。

西国が多いのは古代のこととして何となく理解できる中、茨城県が異彩を放っていますね。

これは、常陸国が親王の任地とされていたからだと思われます。

親王が任じられるようになるのは、風土記編纂よりもずっと後の話なのですけれども、当時の役人たちが「親王様の領地のことがはっきりわからないのはマズイ」と考えたのでしょうか。

実際に親王が東国まで行くことはなく、現地の長官が政治を行っていましたし。

 

播磨・肥前・常陸・豊後の四カ国もあるが……

同じ親王任国だった上総(現・千葉県)や上野(現・群馬県)の風土記が見つからないのは……現地の役人の怠慢、もしくはその後の歴史の中で散逸してしまったのかもしれません。

常陸の場合は、後に水戸徳川家が入って尊皇を掲げます。それによってさらに風土記の扱いが良くなったのかもしれません。

播磨・肥前・常陸・豊後四カ国の風土記は、他のものと比べれば多く残っているものの、内容からして奈良時代に完成した原本ではなく、省略版か完成前のものだとされています。

良い状態のものでそれですから、他の国のものは……推して知るべしというところです。

手がかりすら見つかっていない国のものもあります。

まあ、日本全体が災害の多い土地ですし、おそらく紙に書いているでしょうから、破損しやすいのは仕方ないところですね。

紙に墨で書くのが一番保存性はいいんですけども、燃えたり水でボロボロになったらおしまいですし。

まぁ、その、何だ……本に限らず物は大事にしましょうね、ということで。

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【参考】
国史大辞典
風土記/wikipedia
出雲国風土記/wikipedia
播磨国風土記/wikipedia
元明天皇/wikipedia

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