源範頼

源範頼/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

源範頼(頼朝の弟)の不審死~兄弟で消されたのは義経だけじゃない

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範頼「ねえさん、俺がいるから大丈夫だよ」

決定的となったのは、頼朝が鎌倉を離れていたとき。

「暗殺された」というデマが流れました。

曽我兄弟の仇討ち】という事件に絡んで、そうした一報が届けられたのですが、後に尼将軍と呼ばれるほどの頼朝の妻・北条政子も、このときはさすがに大慌て。

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心配で気が気でない政子に、鎌倉の留守役だった範頼は励まそうと声をかけます。

「鎌倉には私がいますから、源氏は大丈夫です」

兄嫁を気遣ったこの言葉が、範頼の運命を変えてしまうのです。

範頼としては、「兄上がそんな簡単に死ぬわけもないし、私が鎌倉をがっちり守りますから大丈夫です!」と言いたかったのかもしれません。

しかし政子の受け取り方は違いました。

『コイツ、頼朝様が死んだから自分が将軍になれると思ってるんじゃないの?』

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しかし頼朝は激怒

無事帰還した頼朝は、政子から事の次第を聞きます。

当然、頼朝は激怒。

「アイツ、大人しいと思ってたら腹に一物持ってやがったのか!」

そうブチ切れて、8月17日、範頼を伊豆へ流刑とする処分を下します。

「流刑」とは名ばかりで、それは途中か流刑先で処刑されるというセット付きでした。

公式の歴史書『吾妻鏡』に載っている情報はここまでです。

しかし、こんな逸話もあるのです。

範頼は伊豆の修善寺に幽閉されました。

範頼は「神仏に誓って兄上に逆らおうなんて思っていません、お許しください」と起請文を出しましたが、頼朝は許しませんでした。

その後、幽閉先を頼朝の刺客に囲まれ、覚悟を決めた範頼は自害して果てます。しかも自ら火を放って。

意図したものかどうかはわかりませんが、弟・義経と全く同じ死に方をしてしまったのでした。

 

蒼き狼になった義経、埼玉の桜となった範頼

彼の死に関しては正式な記録が残っていないため、生存説すらあります。

義経は大陸に渡ってチンギス=ハンになったんだよ!なんて壮大ですが、範頼は地味なキャラクターゆえか、「武蔵国足立郡石戸宿(現在の埼玉県北本市石戸宿)に逃げてきたよ」というような穏やかな話で……。

日本五大桜のひとつ・石戸蒲ザクラは範頼が植えた、武蔵ではなく越前(福井県)へ落ち延びたなど、いろいろな説があります。

冷静な政治家・頼朝。

忠実な腹心・範頼。

庶民のヒーロー・義経。

みなさんは3兄弟の誰に魅力を感じますか?

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
慈円/大隅和雄『愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)』(→amazon
ぶらり金沢散歩道

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