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【鉄火起請】
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ただし、むやみやたらと多くの人が火傷を負わされた湯起請の頃より、合理性や進歩性が見られたのも事実でしょう。
火起請のブームは75年ほど。江戸時代になり、17世紀半ばになると廃れてゆきます。
日本人は、熱くもなければ神意にも頼らない審判(裁判)を行うようになっていきます。近世の夜明けとともに、カオスな中世の裁判は幕を閉じたのです。
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非合理の中にある合理性
こうした湯起請と鉄火起請を見ていると「中世人とは何と非合理なの者たちか!」と思うかもしれません。
しかし、何も彼らは本気で神意を信じていたわけでもなさそうです。
鉄火起請の記録には「相手が不正をしたから勝てたのだ」という言い分も数多く残されています。
もし彼らが本気で神意を信じていたのならば、その結果に「インチキだ」とケチをつけたりはしないでしょう。当事者ら自身も半信半疑だったのです。
つまりは、彼らなりの合理的な考えでもって、こうした裁判を行っていたことがわかります。
湯起請で犯人捜しをする場合、重要視されているのはともかく犯人を見つけることです。
誰が犯人かわからない状況では、たとえその人が無罪であっても、ともかく犯人をあげなければなりません。
犯人が不明のままでは、人々の暮らす共同体には不安が漂い、疑心暗鬼がさらなる暴力を生み出さないとも限りません。
人々が安全に暮らすために、最低限の犠牲をはらう合理性がそこにはあります。
無用な戦を避けることにもつながる
鉄火起請の紛争解決も合理的ではあるのです。
領土をめぐり争って、それがエスカレートしていくと村人同士による合戦のような事態にもなりかねません(実際に武家に応援を頼み、事実上の合戦に発展することもあった)。
そうなれば死傷者が発生し、報復のために血で血を洗う事態が生じることでしょう。
最悪の事態を阻止するために、鉄火起請を行ったわけです。
共同体の安寧のため、犠牲を最低限にとどめるため、彼らは彼らなりの合理的な方法を選んでいました。
血で血を洗う時代ならではの合理性、それが湯起請・鉄火起請という方法だったのです。
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文:小檜山青
【参考文献】
清水克行『日本神判史 (中公新書)』(→amazon)