弁慶

五条橋の義経と弁慶(歌川国芳作)/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

史実の武蔵坊弁慶は記録ほぼゼロなのになぜ有名?鎌倉殿の13人佳久創

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
武蔵坊弁慶
をクリックお願いします。

 

忠臣としての「勧進帳」「立ち往生」

弁慶は勇猛さが特徴の僧侶です。

『鎌倉殿の13人』に登場する僧侶と言えば、ほかに文覚阿野全成がいて、彼らは頭脳を駆使するタイプ。

一方、弁慶は“武”に恵まれているようでありながら、源平合戦ではあまり目立つ機会がない。

将というより“義経の側近”であるため、軍勢を指揮するような局面に恵まれないのです。

戦場を華麗に駆け回る義経の隣にずっといる、それが弁慶。

ですので、兄・頼朝から義経が逃れる場面となると、弁慶の姿がクローズアップされます。

落ち延びる義経一行は、加賀国安宅関(あたかのせき)で冨樫某という人物にとどめられました。

ここで弁慶は、偽りの勧進帳を読み上げ、義経を打ち据えるのです。

冨樫某はうすうす勘づいたものの、その忠臣ぶりを思って見逃した。

 

文治5年閏4月30日(1189年6月15日)。

奥州合戦】の果てに、義経は衣川へ追い詰められます。

弁慶、最期の奉公は、主君の死を華々しく彩ること。

敵の返り血で身体を真っ赤に染め、味方全員が討ち果たされるまでを見届け、義経の前に現れます。

そして先に冥土へ参ることを告げ、法華経を唱えます。

弁慶は義経が自刃する時間を稼ぎ、全身に矢を受け、敵を睨みつけ、立ったまま息絶えました。

そして義経は妻子を殺して自害。享年31。

この弁慶の最期は「(弁慶の)立ち往生」とされ「進退極まってどうにもならない」という意味で定着しました。大河でも名場面の定番です。

 

なぜ人気は絶大なのか

弁慶は、源義経に付き従う姿が大衆の心をくすぐり、彼もまた英雄化されてゆきました。

実際に何をしたのか?

そう問われれば、確たる功績や記録は無く、『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時とは比べものにならないほど、実像不明な人物です。

それでも多くの大衆に愛され、知名度だって抜群に高い。

なぜここまで支持されているのか?と考えると、その人物像が「日本人の理想を反映されていったから」ではないでしょうか。

・忠義
・誠実
・勇猛

このように皆の心情に突き刺さる美徳が揃っていて、義経にとっても理想的です。

弁慶が法華経を唱えてくれるから、安心して最期を迎えることができる。

立ち往生までして時間を稼いだからこそ、討ち果たされずに自刃できた。

それでいてドラマに登場させるときには自由に描くことができる。

今年はどんな「立ち往生」でお茶の間を湧かせてくれるのか。義経とセットで楽しみな存在ですね。

あわせて読みたい関連記事

衣川の戦い
義経の最期は衣川の戦い~奥州藤原氏に見限られ 自害に追い込まれ

続きを見る

判官贔屓
義経はなぜ頼朝に討たれた?悲劇の牛若丸が「判官びいき」された理由

続きを見る

七代目市川團十郎『勧進帳』
歌舞伎『勧進帳』七代目市川團十郎が魅せた「飛び六方」とは?

続きを見る

文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
五味文彦『源義経』(→amazon
高橋富雄『義経伝説 歴史の虚実』(→amazon
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon

TOPページへ

 



-源平・鎌倉・室町
-

×