大河ドラマ『べらぼう』の第11回放送に、なんとも際立ったあだ名の人物が登場しました。
馬面太夫(うまづらだゆう)こと二代目・富本豊前太夫です。
残された浮世絵を見ると、

『江戸花柳橋名取 二代目富本豊前掾』鳲鳩斎栄里(鳥橋斎栄里)作/wikipediaより引用
確かに面長ではありますが、馬面太夫が歌い上げる浄瑠璃の「富本節」は絶品。
劇中では蔦重はじめ聴衆は聞き惚れ、吉原の女郎たちに至っては皆涙を流してしまうほどです。
あれは一体どういうことなのか?
江戸っ子たちが夢中になっていた浄瑠璃(富本節)とは?
現代のアイドルや音楽シーンにも通じる、当時の芸能事情を振り返ってみましょう。
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琵琶の『平家物語』から始まる音楽ジャンル
日本史と音楽を考える上で思い出したいのが『光る君へ』です。
あの作品では、ヒロインのまひろ(紫式部)が琵琶を弾いていました。
音色は美しいけれど、テンポはかなりスローです。
この琵琶による語りが広まり、平安時代末期の源平合戦を経て『平家物語』の弾き語りが定番となりました。
【平曲】と呼びます。
平曲は、盲人である琵琶法師が担い、盲人組織である【当道座】の特技でもありました。
ただし、いつまでも同じ語り物では飽きてきてしまう。
それに哀調を帯びた平家の物語は、アップテンポでけたたましく演奏することには向いていない。
宴会で聞きたいか?と問われたら、そうとは言えませんよね。
そこで様々な物語を琵琶に合わせて歌い語る【浄瑠璃】が生まれました。
同時に、もっとテンションが高く、ノリのいい弦楽器が求められ、そんな需要に応える楽器が、戦国末から江戸時代初期に待望の登場を果たします。
三味線です。
琉球から薩摩を経て伝わったこの新たな三味線をテンポよく弾き、様々な物語を組み合わせる新ジャンルが江戸時代に確立。
【浄瑠璃】として、さらに様々なジャンルへ分化してゆきます。
始めは【当道座】の特技であり、沢住検校によって確立されたと伝わります。
浄瑠璃、上方にて極められる
【浄瑠璃】は傀儡子(人形を操る芸人)といった芸能の伴奏にも用いられました。
テンポがよく、ストーリー性も豊富で、たちまち上方文化を席巻。
こうして始まった初期の【浄瑠璃】は、二大スターにより華々しく洗練されてゆきました。
語り手の竹本義太夫――彼の名をつけた【義太夫節】という音楽ジャンルも生まれます。
それほどまでに彼は圧倒的で革新的な才能の持ち主であり、脚本もまた際立ったものでした。
手がけたのが近松門左衛門だったのです。
彼は抜群の文才に恵まれただけでなく、時世にも敏感で、当時の風俗を脚本に織り込むことで観客の心を掴みました。
義太夫の圧倒的な唄に乗せて語られる、近松門左衛門の物語。
その唄と物語にあわせ、人形が演じ、舞う。
この新しい芸術は【人形浄瑠璃】、すなわち【文楽】として、上方の誇る芸能となったのです。

文楽人形(国立文楽劇場)/wikipediaより引用
この【人形浄瑠璃】に対し【歌浄瑠璃】も確立されます。
歌舞伎で、役者の背後で伴奏を務めるような、いわばバンド演奏をこう呼びますが、歌舞伎のみならず座敷芸としても定着してゆきました。
富本豊前太夫の【富本節】は、こうして生まれた【豊後三流】の一つで、艶のある節回しが特徴とされます。
二代目以降、家元の名跡とされました。
浄瑠璃に、江戸っ子たちも飛びついた
上方から江戸に伝わった【歌浄瑠璃】は、たちまち江戸っ子たちに広まってゆきます。
江戸では【人形浄瑠璃】がないため、上方の【歌浄瑠璃】がすなわち【浄瑠璃】となります。大河ドラマ『べらぼう』の中でもその設定。本稿でも以下【浄瑠璃】とします。
『べらぼう』の世界観は、既にこのブームが到来していることがわかります。
吉原の宴席では、女郎たちが奏でる。
西村屋が『新吉原細見』を売るイベントでも奏でる。
すっかり根付いていたんですね。
イベントや宴席で三味線がないなんて、もうありえない状況。

喜多川歌麿『江戸の花 娘浄瑠璃』/wikipediaより引用
そのブームに飛びつき、趣味として楽しんでいるのが、駿河屋の放蕩息子である次郎兵衛です。
次郎兵衛は「三味仲間」の間で話題だという『金々先生栄花夢』を読んで楽しんでいました。
上機嫌で三味線の弾き語りをする場面もありました。かなり調子を外しているのに、気にすることもなく堂々と歌っています。
あれは一体何なのか?
次郎兵衛は相変わらずバカボンだと受け流しそうになりますが、実は伏線でもあります。
あまりに下手くそなので、ドラマの中の蔦重も、新之助も、留四郎も困惑しておりますが、実は「富本節」でした。
彼は江戸のトレンドを伝えているのです。
視聴者側は、次郎兵衛と比較することで、富本豊前太夫の素晴らしさがより一層理解できるという構造ですね。
この次郎兵衛の味のある「富本節」。実は、当時らしさが詰まっています。
演じる中村蒼さんを指導するのは、富本節は友吉鶴心先生と、三味線は清元斎寿先生だったそうです。
歌うことが苦手で、とてもプレッシャーを感じていた中村蒼さんですが、この指導は褒められてばかりで、自己肯定感が上がったのだとか。
大河ドラマの考証といえば厳しく、演じる側がやっとできたと安堵している印象が強いものです。
しかし、どうやら次郎兵衛はそうでもない。
次郎兵衛は、決してうまくありません。でも、のびのびと、楽しそうに歌っていますよね。
当時の【素人浄瑠璃】は、きっとこういう純粋に楽しい伸びやかな趣味だったのだろうと思います。
音が外れていようが、声が裏返っていようが、指摘するのは野暮。
次郎兵衛のようなボンボンが楽しんでいたものなのでしょう。
そしてそれこそ【浄瑠璃】がこうも愛された大きな理由でもあります。
次郎兵衛の「富本節」はあれでよいのです。仕事中にまで聞かされる蔦重などは勘弁して欲しいと思っているでしょうが。
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