「近衛家」と聞いて、みなさんはどんなイメージを思い浮かべますか?
一般的な歴史ファンの方でしたら『貴族の代表的存在だなぁ』と感じるでしょうし、戦国ファンであれば『織田信長と親交のあった近衛前久』を連想されるかもしれません。
あるいは『何も思い浮かばない』という方が、現実的には一番多いでしょうか。
実は2018年大河ドラマ『西郷どん』でも同一族の方が登場されておりました。
国広富之さんが演じていた近衛忠煕(このえただひろ)。
渡辺謙さんの島津斉彬だけではなく、北川景子さんの篤姫、あるいは主役・鈴木亮平さんの西郷隆盛ともかなり密なヤリトリが交わされるのです。
公家の中では名門中の名門で、明治31年(1898年)3月18日はその命日。
史実では、いったいどんな人物だったのか?
その生涯を振り返ってみましょう。

近衛忠煕/wikipediaより引用
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
摂政・関白を輩出する五摂家の一つ
近衛忠煕は文化5年(1808年)、左大臣をつとめた近衛基前の子として生まれました。
母は大納言徳川宗睦の女・静子です。
近衛家が名門であると申したのは、それが「五摂家」のひとつだからです。
五摂家とは摂政・関白になれる藤原家の一派であり、先祖を辿ると2011年大河ドラマ『平清盛』にも出てきた藤原忠通まで遡れます。
「悪左府」こと藤原頼長の兄ですね。その忠通の子・近衛基実からの名門家系ということになります。
江戸期を通じてもエリート中のエリートということには変わりありません。
幕末の公家では岩倉具視が有名ですが、家格としては近衛の方がはるかに上でした。
ちなみにこの近衛の家系は、戦国武将のようにタフだった近衛前久にも遡れます。
前久の娘である前子が後陽成天皇の皇子を産み、その皇子が近衛信尋として同家を継ぐのです。
男系としては絶えてますが、その近衛信尋の結婚相手が前久の孫でしたから、血の濃さに変わりはないでしょう。
島津家との姻戚関係は?
さて、この近衛忠煕、なんといっても島津との結びつきが強いです。
姻戚関係を確認しておきましょう。
◆忠煕の妻・郁姫(島津興子)が、島津斉興の養女(血縁的には妹)
◆郁姫の実父は島津斉宣
◆島津斉宣は、篤姫の父・今和泉島津家の当主である島津忠剛の父にもあたる
◆忠煕の妻・郁姫は篤姫にとって血縁上ではおば
◆篤姫にとって、忠煕はおばの夫
いかがでしょう?
篤姫は島津斉彬の養女となってから近衛の養女となってますのでチョット……いや、相当こんがらがってしまうかもしれません。

篤姫/wikipediaより引用
いずれにせよ、これだけ婚姻関係の深い忠煕のもとに入ってから、徳川13代将軍・徳川家定へ輿入れするのです。
なぜ、そんな面倒臭いことをするのか?
「大名家分家の姫君よりも大名家当主の姫の方がいい。さらに五摂家の姫ともなればグレードアップ!」
そんな発想です。
が、実はそれだけではありませんでした。
「チーム篤姫」は近衛家ゆかりの者
いよいよ将軍家へ輿入れという中、篤姫の周りには強力な老女が2人もつきます。
一人目の名は、幾島。
彼女は郁姫付きの侍女として、薩摩から京都近衛家に仕えていました。
薩摩という同郷出身で、長年公家にも仕えた幾島は、篤姫にとって心強い助っ人でもありました。
そしてもう一人、欠かせないのが「村岡局」です。
彼女は長年近衛家に仕えてきたキャリアウーマンでベテラン。「清少納言の再来」とされるほど頭が切れます。
郁姫が既に亡くなっていたため、篤姫の養母役とされました。
もっとも、年齢差は祖母と孫というほうが近いですね。
このように、篤姫周辺を固めるスタッフは、近衛家ゆかりの者たちであるわけです。
※続きは【次のページへ】をclick!