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頼朝の介入とフォロー
一方で、史実の義時と姫の前の結婚には「頼朝の介入」があります。
頼朝がこのころ義時を特別扱いし、地位を引き上げようとした――そんな行動は記録にも残されています。
例えば、義時と姫の前の結婚から遡ること数ヶ月前、建久3年(1192年)5月のこと。
義時の子・金剛(後の北条泰時)が散歩をしていて、馬に乗ったままの御家人・多賀重行とすれ違いました。
このとき、頼朝が下馬の礼をしなかったとして、カンカンになって怒ります。
「礼儀というのは年齢じゃない。金剛(泰時)はお前とはちがうのだ。こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
すると重行は慌てて弁解。
「いや、俺はそんなことはしてません! 金剛殿(泰時)に聞いてください!」
そこで頼朝は、泰時と従者を呼び出した。
泰時が「そんなことはなかったです」というと、従者の奈古谷頼時は全く違うことを口にする。
「あのとき重行殿は下馬していました」
頼朝はますます激怒します。
泰時は「すれ違った事件そのものがない」と言っているのに、従者は「(事件はあったが)下馬していた」と答えた。
話が食い違っていて、泰時だけが真相を語ったとみなしたのでしょう。
「お前らな、あとで糾明受けるとわからないで、その場しのぎのことを言ってごまかすなんて、性根も、やり方も、何もかも気に入らんわ!」
激怒して頼朝は、重行の所領を没収。
一方で泰時には「幼いのに優しいね」と、自らの佩剣を贈ったのでした。
北条泰時~人格者として称えられた三代執権の生涯~父の義時とは何が違ったのか
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これは金剛本人への愛着だけでなく、父・義時への思いも感じさせます。
「ご子息ですらああも尊重されるなら、江間小四郎殿御本人はさぞかし大事にされているのだろうなあ」
そんなアピールであり、そう感じる者たちの中に、姫の前がいてもおかしくはありません。
佩剣の次に、頼朝が義時に贈るもの。
それが頼朝が気に入っていた姫の前であるとすれば、義時の感激が溢れても不思議はありません。
むろん、不器用でじれったい恋を応援したい気持ちがあってもおかしくはありませんが、佩剣にお気に入りの女官となると、これはもう特別な思いを感じさせます。
しかも結婚の際、頼朝は起請文を書かせています。
こうまでされたら信心深い中世人としては、恐ろしくて離縁などできなくなる。神聖な結婚の仲人を果たすことは、むしろ頼朝にとっても喜びだったのではないでしょうか。
『鎌倉殿の13人』での頼朝は、義時に対して折に触れ愛情を見せました。
居並ぶ弟たちを前にして、御家人たちは信頼できんが義時だけは例外だと語る。そなたたちも一番下の弟だと思って欲しいと告げていました。
あるいは大江広元が義時の忠誠心を誉め、彼だけは手放してはならないと助言すると、大いに納得もしていました。
親愛の一環として、義時と姫の前の結婚を取りもつのだとすれば、それもありではないでしょうか。
頼朝の死で二人の世界も終わる
いくら凄まじい美貌の持ち主とはいえ、なぜ義時は比企一族の娘を正室にしたのか。
もっと慎重に相手を選ぶべきではなかったか?
そんな風に考えてしまうかもしれませんが、それはあくまで結果論。
両家が激しい抗争に突き進むのは、想定外だった頼朝の早すぎる死があります。
正治元年(1199年)正月――頼朝死す。
跡を継いだ頼家の背後には比企一族がいました。
外戚として権勢を握るこの比企一族は、頼家の乳母を務め、さらに若狭局を頼家の妻としていました。
頼家が権力を保ちながら、比企の血を引く子・一幡を次の鎌倉殿とすることこそが、彼らの目標。
北条とすれば、そんなことはとても許せません。
彼らは頼朝と政子の二男である千幡(のちの源実朝)の乳母を務めていて、あわよくば「千幡を鎌倉殿としたい」という野望が湧き上がっています。
そして比企と北条はぶつかり合い、北条が勝利をおさめるのです。
結果、義時も比企一族の娘である姫の前と別れることになってしまった。
もしも頼朝が、生きていれば……史実では頼朝が結び、頼朝の死が引き裂く二人の仲でした。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏: 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(→amazon)
細川重男『頼朝の武士団』(→amazon)
永井晋『鎌倉源氏三代記』(→amazon)
坂井孝一『源頼朝』(→amazon)
他