八重姫

八重姫入水の経緯を記した看板/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

『鎌倉殿の13人』で頼朝と義時の妻だった八重~謎多き存在ゆえ物語では注目される

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で”頼朝最初の妻”とされ、その後、北条義時の妻となった【八重】。

「頼朝の妻って、北条政子以外にもいたの???」という疑問と同時に、その後、「義時とも結ばれるなんて展開が激しいな」と驚かれた方も多いでしょう。

しかし、なにも脚本家の三谷氏がめちゃくちゃなワケでもなく、彼女はフィクションで割と自由に描ける存在だったりします。

八重姫は、さほどに謎多き存在なのです。

実在したとは考えられているけれど、物語の中にしか足跡がない。

一体どういうことなのか?

毎年4月24日は、幼くして殺された彼女の子供・千鶴丸を供養する「子育て延命地蔵尊大祭(→link)」が行われる日。

八重と千鶴丸の記録を振り返ってみましょう。

 


八重姫は伊東祐親の娘

八重姫が登場するのは、主に『曽我物語』です。

鎌倉後期~室町中期にかけて成立したとされる軍記物語のひとつで、「時代が近ければ近いほど信憑性が高い」という史料や軍記物の大原則からすると、この時点で「うーん……」と首を捻らざるをえません。

それでも八重姫の名が残ったのは、あまりにもドラマチックな生涯だったとされているからでしょう。

彼女は、伊豆の豪族・伊東祐親の娘です。

祐親は流罪になった頼朝の監視役の一人で、当然のことながら近隣に住んでいました。

※以下は伊東祐親と源頼朝の関連記事となります

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そして祐親が京都大番役でしばらく家を離れている間に、頼朝は八重姫と出会い、結ばれた……といわれています。

二人の間には千鶴御前(千鶴丸)という息子も生まれ、当初はその将来も順風満帆かに思えました。

しかし、千鶴御前が3歳になった頃に、都から帰ってきた父の祐親が大激怒。

「親に断りもなく婿を取っただと! しかも源氏の罪人などに娘をやれるわけがないだろう!!」

頼朝は由緒正しい源氏の御曹司ではありましたが、当時はただの罪人。

しかも平家全盛期だった時代ですから、清盛の気分や政策がちょっとでも変われば

「やっぱり敵の男子をそのまま生かしておくのは物騒だ。処刑!」

なんてことにもなりかねません。

そうなった場合、もし八重姫が男子を産んだことが知れれば、千鶴御前も一緒に処刑されるのは火を見るより明らかです。

ついでに

「娘をやるなんて、さては祐親の奴は源氏と結んで、平家に逆らおうとしていたんだな? 一族郎党処刑!!」

という事態になることも、全くありえない話ではなかったのです。

都へ行き来して、平家の力を目の当たりにした祐親が、恐れおののいたのも無理はありません。

そんな最悪の事態を恐れた祐親は、自身の孫でもある千鶴御前を、水に沈めて殺しました。

 


愛する男は別の女と仲睦まじく

現代人からすると残酷極まりない孫殺し。

当時の状況で、自分や家族を守るためには、他に方法はなかったと判断してもおかしくありません。

さらに祐親は、頼朝から無理やり八重姫を引き離し、別の家に嫁がせたといいます。

頼朝も討とうとしていたようですが、祐親の次男・祐清が二人に同情し、

「頼朝様、あなたの身も危険ですよ」

と知らせたため、危うく難を逃れたのだといいます。

また、逃げた先が祐清の烏帽子親だった北条時政の邸だったとも……。

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時政の最初の妻が祐親の娘だといわれていますので、伊東氏と北条氏もまた、非常に密接な関係でした。

また、時政も祐親と同じように、頼朝の監視役を務めていたとされています。

そこで時政の娘(政子)に手を出すあたり、頼朝も節操がないというか、懲りないというか。

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もしも時政が祐親と同じように、徹頭徹尾、平家寄りの立場で動いていたら、さすがに頼朝の命もそこで終わっていたかもしれません。

あるいは、祐親が八重姫とのことを知った時点で上方に

「頼朝は全く反省なんてしていません! その証拠に、ウチの娘を手篭めにしていました!」

などと訴えた場合も、やはりタダでは済まなかったでしょう。

余談ですが、祐清の妻は、頼朝の乳母・比企尼の娘です。

池禅尼や上西門院の嘆願によって助命されたことといい、頼朝は周囲の女性繋がりで助けられたことが非常に多い。

そんな人と茨の道を歩もうとしたくらいですから、八重姫の愛情もまた、頼朝の運の強さに負けないくらい厚いものでした。

八重姫は僅かな侍女に守られて、こっそり頼朝の行方をたどってきたのです。

しかし、北条邸の門番は八重姫を通してくれません。

諦めきれずに八重姫が遠目にのぞき見ると、そこには仲睦まじそうな頼朝と政子の姿が……。

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