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本郷和人歴史キュレーション 歴史・戦国NEWS

小坂と大坂、城と石~石垣・巨石は権力の象徴だった!? 本郷和人東大教授の「歴史キュレーション」

更新日:

 

日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。

今週のテーマは、「小坂と大坂、城と石~石垣・巨石は権力の象徴だった」です!

 

【登場人物】

本郷くん1
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太

 

himesama姫さまくらたに
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ

 

 

◆大阪城の巨石、もとは一枚岩 阪大が3D画像で復元 朝日新聞 2016年4月1日

大阪城の大手口の石垣にある二つの巨石は一つの石を分割したものだったことを、大阪大の佐藤宏介教授らの研究グループが、石の画像を解析して確認した。

大手門をくぐった大手口枡形(ますがた)にある大手見付石(みつけいし)(縦5・1メートル、横11メートル、推定重量約108トン)と、左に並ぶ大手二番石(縦5・3メートル、横8メートル、推定重量約85トン)。元和6(1620)年に始まった徳川幕府による再築工事で、肥後熊本藩主の加藤忠広によって築かれた。小豆島(香川県)で採石されたと推定されている。

二つの巨石は厚さはともに約90センチ。表面の模様が左右対称に見え、一つの巨石を割ったものという見方が以前からされてきた。研究グループは、二つの巨石を様々な角度から撮影し、コンピューター上で3次元の立体的な形状を復元。石の表面の凹凸の位置を調べると、ほぼ一致した。石を割るくさびを打ち込むために削られた約30カ所の「矢穴(やあな)」の位置もほぼ重なった。二つの巨石が観音開きのような形で石垣に配置されているという。

本郷「へええ。科学的な手法で、そういうことまで分かるんだね。すごいなあ」
「大手門を入ると、他のお城でも大きな石があるわよね。これってやっぱり、『どうだ、すごいだろう。おれの権力を見ろ!』っていうことなのかしら」
本郷「その通り。そういう解釈でいいんじゃないかなあ」
「うーん、あまりに安直なような気もするけれど、それでいいのかしら」
本郷「当時の大名のメンタリティなんてそんなものだと思うよ。だって『大坂』の地名の由来って知ってる? もとは『小坂』といったのだけれど、小より大の方が良いよね、っていうことで『大坂』になったんだ。ひねりも何にもないと言えばない。そうだ、立派な石垣を、初めて計画的に積んだ城、っていえば、どこだっけ?」
「えーと、織田信長の小牧山城だったわね、たしか」
本郷「その通り。信長は美濃の攻略のために、清須城から小牧山城に移った」
「その時に、畿内の寺院の石垣技術を応用して、小牧山城を石垣のある城として築いた、という話だったわね」
本郷「そう。その小牧山城の石垣なんだけれどね、美濃攻略のための拠点なんだから、美濃の側を立派にしたんだろうと思うじゃない。けれど、実際には、美濃に向いてる側よりも、尾張の側に大きな石を使ってる。つまりね、信長は彼に従っている織田家中の武士にこそ、どうだ、俺はすごいだろう! って威張ってると解釈できるんだ」
「へえ。俺はこんなにすごいから、裏切るなよ、ちゃんと言うことを聞けよ、っていうことなのかしら」
本郷「うん。城郭研究者はそう説いているね」
「なるほどね。案外、分かり易いのね。じゃあ、大手門のすぐ側の大きな石も,そういった感じで。・・・ところでね」
本郷「はい、何でしょうか?」
「この前、テレビを見ていたら、あなたが芸能人の方といっしょに上田城をいろいろと説明するシーンを見たのよ」
本郷「うんうん。あったね、そういう番組」
「それで、上田城の大手門のところにも、積んであったのよ、それなりに大きな石」
本郷「はいはい。ありました、ありました」
「あなた、その時、いやあ、真田家はこういう所にも細心の注意を払ってたんですね、信長以来の伝統ですね、みたいなこと言ってたけれど、良く考えてみたら、今の上田城って、真田家が築いたものじゃないでしょ。関ヶ原の戦いのあと、徳川秀忠率いる3万8千の兵を足止めした真田家の上田城は、むかつく!っていうんで真田・上田城は一旦破却されたわけでしょ。今の上田城は仙石ゴンベエ(秀久)の息子の忠政が造ったお城じゃない。真田ではないじゃない。どういうことよ」
本郷「あああ、それはそのう・・・。イヤまあ、大人の事情っていうヤツでね」
「そういう仕事ばっかりしていると、誰にも相手にされなくなるんだから!」
本郷「すいません・・・」

 

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◆徳川家康の愛読書など50点を展示 東京・国立公文書館 朝日新聞 2016年3月30日

本郷「この前、ツイッターでね、徳川家康を評価している研究者って、東京出身の本郷和人くらいじゃないか、って書かれたんだけれど、家康の評価って、一般的にはそんなに低いのかな?」
「あなた、ツイッターとか気にしすぎよ。エゴサーチはリストカットと同じって言うじゃない。やめなさい、そんなもの捜してまで見るの」
本郷「うーん。いやあ、悪口言われると気になるよねえ」
「他人を褒めることはしないけれど、悪口言うのは簡単なんだから。気にしない方が健康的だと思うけどな。まあ、それはそれとして、私も家康の評価は知らないなあ。でもたしかに、信長さまキャーッて言えるけれど、家康はないわよね、萌え要素」
本郷「いや、萌え要素はこの際どうでも良いんだけれど。あ、でも、来年の大河ドラマで注目されること必至の井伊直政と家康って、そういうんじゃないのかな・・・。まあ、いいか。でもさあ、ぼくはやっぱり、家康は地道に勉強して、立派だったと思っているんだよ」
「たしかに、信長や秀吉のカンの冴えとかキレとかは、家康には感じられないわよね。でも、地道な努力を評価したい、って思うわけね」
本郷「徳川家ってさ、清和源氏の名門、新田家の子孫を称しているじゃない。ところが若き日の家康は『源家康』ではなくて、『藤原家康』なんで堂々と署名しているんだ。おそらく『源平藤橘』などの姓と、『新田・織田・徳川』などの家名との関係がよく分かっていなかったんじゃないかな」
「ああ、それって、現代の私たちもよく分かってないわよね。みなもと『の』よりとも、っていうふうに、なんで『の』がはいるんですか? って質問する人、多いものね」
本郷「うん。それにはまた改めて答えるとして。家康の理解もその水準にあったと思うんだ、きっと。でも、家康はそこから歴史を勉強していく。それで、我が家は源氏であって、だから征夷大将軍になるんだ、という論理を主張するまでになる。彼の好学の気風は九男の義直(尾張藩の始祖)、さらに水戸の光圀に受け継がれていくんだと思うよ」
「家康の好学、っていうのを具体的に説明してみて」
本郷「はいはい。一番良いのは『吾妻鏡』だと思うんだ」
「『吾妻鏡』っていうのは、鎌倉幕府が編纂した、正式な歴史書よね」
本郷「そう。それで、今ぼくたちが簡便に使っている『吾妻鏡』は、『北条本』と呼ばれるものなんだ」
「ああ、知ってる、知ってる。『吾妻鏡』のテキストには大きく分けて二種類があるのよね。一つは岩国の吉川家に伝来した『吉川本』で、もう一つが『北条本』。これはもともと小田原の北条氏がもっていたもので、秀吉の小田原攻めで戦いの終結に功績のあった黒田官兵衛に対して北条家が謝礼として贈った。それを官兵衛の息子の長政が幕府に献上した。それで『北条本』と呼ばれて現在に伝わっているのよね」
本郷「うん。そういうことになっているんだけれどね、どうも違うらしい」
「え? どういうこと?」
本郷「史料編纂所の所長を務められた益田宗さんという研究者や、同じく史料編纂所で活躍している若手の井上聡くんが明らかにしたことなんだけれどね、『北条本』を小田原・北条氏がもっていた明らかな証拠って実はないんだって。そうではなくて、『北条本』を集め、今ある形にしたのは、徳川家康その人なんだ。『吾妻鏡』に興味を持った家康は時間とカネをかけて全国的に『吾妻鏡』のテキストを探し、それを集成して『北条本』をつくったんだ。だからあれは、『北条本』ではなく、『徳川本』とか『家康本』とか呼ばれるべきものなんだって」
「ああ、そうなんだあ。なるほどねえ。・・・あれ? 家康は、もちろん江戸に幕府を開いたのよね。鎌倉に幕府を開いた経緯が詳しく述べられている『吾妻鏡』に家康が興味をもったっていうのは、その辺りと関係してくるわけ?」
本郷「うん。そうだと思うな。その辺りの関係性も、いつかお話ししましょう」
「はい。待ってるわね」

 

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1位長篠の戦い 注目すべきは…


わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?


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井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
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伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
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合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

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◆古代 安倍晴明
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