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岩山糸(西郷糸子)/wikipediaより引用

西郷どん特集

岩山糸~西郷糸子の生涯とその秘話 西郷隆盛を支えた心優しき3番目の妻

更新日:

大河ドラマ『西郷どん』で黒木華さんが演じているヒロイン糸(岩山糸・後に西郷糸子)。
第1話では、薩摩の郷中教育に参加して、元気いっぱい走り回っておりました。

しかし、男尊女卑の気風が殊のほか強かった薩摩でそんなことがあったのでしょうか?
と、答えは「否」。
あくまで演出であって、実際の彼女は武家の娘として育ち、そして西郷隆盛・3番目の妻として同家に嫁いでいきました。

ドラマでは運命のヒロインとして位置づけられる糸。
史実の彼女は、一体どのような女性だったのでしょうか?

※最初の奥さん・伊集院須賀さんについては以下の記事へ

伊集院須賀(西郷隆盛1人目の妻)とは?西郷どんで橋本愛さんが演じる

 

西郷とは一回り以上も歳下だった

父は薩摩藩士・岩山八郎太直温。
母はエイ。

2人の二女である糸は、天保14年7月(1843年)に生まれました。
岩山家は城下士の9階層のうち、下から4番目の「小番」にあたります。他の藩では「馬廻り」に相当するランクです。

きょうだいは姉と弟が2人。
5人きょうだいの真ん中が、糸でした。

のちの夫となる西郷は、文政10年(1827年)生まれで16才の年齢差があります。
ここでドラマを見ていた方は「うん?」と思われたでしょう。

そうです。
『西郷どん』の第一回において、主人公の西郷は13才くらいですから、本来、糸は生まれておりません。

ドラマの中ではいざしらず、男女間の隔たりが厳しい幕末の薩摩。
結婚前の二人がロマンスを育むようなことは、まず考えられなかったでしょう。

 

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西郷には三番目の妻で、糸には二番目の夫

西郷にとって三度目の妻・糸の結婚は、慶応元年(1865年)のことでした。

西郷の最初の妻は伊集院で、島流しさせられていたときに出会ったのが二番目の妻・愛加那とぅま)です。
糸も一度、上役の海老原家に嫁ぎましたが、すぐに離縁していたようです。

両者とも再婚同士という間柄で、西郷はあまり、再婚に乗り気ではありませんでした。

なにせ彼は島津斉彬に引き上げられてからというもの江戸と薩摩を行ったり来たりだけでなく、その後は島流しにも2度遭うなど、とにかく全国を行き来する多忙な身であり、あまり薩摩に留まることが出来ません。
事実、最初の結婚は失敗しており、激動の世の中で身を固めたところで、ほとんど家庭には関われない――という懸念があったのかもしれません。

※なお記事末に西郷隆盛の年表を記しておきました。彼女と結婚した1865年は薩長同盟の前年であり、それがどんなに多忙な時期であったかはご推察いただけるでしょう。

そんな状況の中、有川矢九郎が、妻のイトコというふれこみで、突如、糸を西郷家に連れて来て、そのまま「よかよか!」と電撃結婚させてしまうのです。

夫の西郷は巨漢、妻の糸は細身で小柄。見た目は正反対で歳も離れています。
甘いロマンスもへったくれもない状況ではあるのですが……それでも糸は、うっとりとして夫の顔を眺めていたそうです。

一目惚れですかね。媒酌人は薩摩の名将・小松帯刀がつとめました。

使用人を含めれば10人を越えるという、西郷一家です。
この家を小柄な身で切り盛りすることになる糸は、さぞかし大変だったことでしょう。

なにせ夫は家を空けることが多い状況です。
それでも糸はくじけることなく、留守を守り続けました。

 

潔癖症で冗談好きな糸

糸と西郷との間は、寅太郎・牛次郎・酉三が生まれました。

さらに糸は、西郷の二番目の妻である愛加那の子・菊次郎と菊も養子として引き取り、育て上げることになります。

容姿は母親似と思われる寅太郎/wikipediaより引用

当時、薩摩の人は奄美大島の人を「島人」と呼び、下に見る差別感情がありました。
しかも、菊次郎と菊は他の女性の子です。

それでも糸は、愛加那の子二人を我が子のように扱いました。
度量の広い女性だったのですね。

実際、西郷が亡くなったあとも、糸は愛加那に生活費を送り続けるなど、心優しい気配りができたことを窺わせます。

そのうえ糸は冗談を好んだ、明るい性格でもあり、周囲の人々は暮らしやすかったことでしょう。
ただ、大変潔癖症でもあり、他の人が汚れた手でものを触ると、叱りつける一面もあったそうです。

 

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坂本竜馬も褒めた糸

どんなに貧しく、辛い生活でも、泣き言ひとつ言わない糸。
西郷はそんな糸を「良妻」であると評しました。

糸はやりくり上手でした。
西郷家が借金を返し終えて一息つけたのも、糸の才覚あってのことであったようです。

そんな糸が、西郷にひどく叱られたことがあります。

糸が西郷と結婚したばかりのころ。
土佐の坂本竜馬が西郷家に滞在していました。

あるとき竜馬は、糸にこう頼んで来ました。

「一番古い褌で結構ですので、くださらんか」

糸はその言葉を真に受けて、糸は西郷の使い古した褌を竜馬に渡しました。
そのことを夫に話したところ、こっぴどく叱られてしまったのです。

「おはんは、あん人が国のために命を捨てうよな立派な人だとわからんか!」

そう言われて、糸はあわてて褌を交換しました。
西郷が糸を最も厳しく叱り飛ばしたのは、このときであったと、糸は回想しています。

※その竜馬は、西郷夫妻を大変素晴らしい人であると、姉・乙女宛の書状に記しております。

一方で、薩摩の男が女を褒めることは珍しかったのですが、西郷は食事がおいしいと必ず糸を褒めました。

客の前でも、
「こん煮付けはゆうとできとっと。おいしか」
といった調子で褒めるため、照れていたそうです。

彼女も彼女で、西郷を美男子だとも思っていたらしく、
「あん人は、役者のようなよか男じゃった」
とよくのろけていました。

絵に描いたような幸せなカップルですね。
それが周囲の嫉妬を買わなかったのは、西郷の器もさることながら、彼女が控えめな性格であり、夫がいくら出世しても質素な生活を好んで、偉ぶるようなことがなかったからかもしれません。

 

西南戦争

激動の維新、戊辰戦争を終え、征韓論で分裂した政府内を離れて西郷は下野します。

たくさんの犬を連れて、兎狩りや湯治を楽しむ西郷。
鹿児島での暮らしは、糸にとっても心安らぐ日々であったことでしょう。

しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。

明治10年(1877年)、西南戦争勃発――。
戦火が迫り、西郷の一家にとっても逃亡の日々が始まったのです。

知り合いの家を、転々とする糸たち。
彼女は皆を励まし、食料を調達したり、竹を伐採して、寝る場所を確保したりしました。

城山の裏にあった潜伏先からは、両軍が銃撃し合う音や叫び声が聞こえ、うごめく人の姿や煙も見えます。

【どうか西郷が無事でありますように』
糸たちはそう祈ったことでしょう。

そして、いざというときは自害するため、死装束を用意しながら、息を潜めていました。
時には使用人の熊吉(ドラマではドランクドラゴンの塚地武雅さん)に着替えを託し、夫に届けることもあったそうです。

祈り虚しくついに城山は陥落。
糸たちは泣きながらその様子を見るほかありませんでした。

西南戦争・城山の戦い/wikipediaより引用

 

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「逆賊」の妻の意地

明治維新の功労者夫人から、逆賊の夫人へ。
糸は転落しました。

それでも彼女は、夫の後を追うような真似はできません。
残された家族を連れて、気丈に生き抜こうとしました。

西南戦争の翌年には、東京の親戚が多額の香典を持って来ました。
糸が断っても、相手は無理矢理押しつけるようにして置いて行きます。

糸は使用人の熊吉を東京にやり、香典を相手に返しました。

「夫は亡くなり、子は廃人となり、家も家財道具も焼けてしまいました。お気遣いはありがたく思いますが、夫が生前に開墾した土地もあります。しばらく暮らしていくには、不自由はありません。また後日、何かあればご助力を願うこともあるかもしれません」

それは糸なりの意地なのでしょうか。
それとも、強がりではなく、本当に生活に困っていなかったのでしょうか。

糸はこの言葉通り、着実に生きてゆきます。
家塾を開き、迎えた教師には月給を支払いました。
前述の通り、愛加那への送金も滞ることなく続けました。

長男の寅太郎は、プロシヤに留学し、軍人として着実に出世しました。

愛加那の子である菊次郎も、京都市長にまで出世しております。
(ちなみに林真理子氏のドラマ原作『西郷どん』では、この菊次郎が西郷の思い出を語る――というスタンスで話が進んでいます)。

糸は、気丈に我が子を育て上げたのです。

明治29年(1896年)から、糸は東京で暮らしました。
食べたい物はあるかと嫁に問われると「唐芋御飯」(サツマイモ入り御飯)と答え、出されるとうれしそうにほおばっていたそうです。

そして大正11年(1922年)6月11日、80才で永眠。
夫をよく支えた、妻の一生でした。

 

「こげなお人じゃなかったのに」

そんな糸の、最も有名な逸話は、上野公園の西郷隆盛の銅像に関するものです。

明治31年(1898年)12月。
糸は、義理の弟・西郷従道とともに、亡夫の銅像除幕式に参加していました。

総勢800人が感慨深げに見つめる中、従通の長女・桜子が幕を取りました。
糸はその像を眺めて、こう漏らしたのです。

「ンだども、ンだとも、やどんし(宿主=夫)はこげなお人じゃなかったのに……」
そう大声で思わず言ってしまう糸。
従道は慌てて、糸の脚を踏んで黙らせようとしました。

「こや、まさしゅ西郷さぁだ!」
「まこっに西郷さぁにそっくいなあ」
糸の言葉を打ち消すように、明治の元勲たちはそうフォロー。

しかし当の糸は、頑なに否定しました。
銅像の制作者のことは褒めつつも、太りすぎていると付け加えることも忘れませんでした。

結婚したころ、
「よかニセ(若者)じゃ(イケメンだわぁ)」
と、うっとりと夫を眺めていたという糸。糸の恋するフィルターからすれば、あんなブサメンじゃない……そういう解釈もできそうです。

この糸の「銅像は夫に似ていない」発言には、諸説あります。

1. 本当に似ていなかった(と、少なくとも糸には思えた)
2. 西郷の性格的に、浴衣のようなラフな格好で人前には出ない
3. 軍服ではない、髭がない
といった説があります。

フランスの新聞に掲載された西南戦争の様子。中央の西郷らしき男は、軍服を着て髭をたくわえています/wikipediaより引用

西郷の像がなぜ浴衣姿かというと、逆賊になったという事情があるようです。
逆賊なのに、軍服姿はまずいと。

しかし糸にすれば、服装にうるさく、家の中でもきっちりとして、だらしのない服装をしなかった夫です。
それが、現代からすればTシャツに短パンのような服装にされてしまったわけですから、ガッカリ感は半端ないということなのでしょう。

糸の発言は、周囲にバッチリと聞こえてしまいました。「あの銅像は似ていないんだって」という話は全国に広まり、定着したわけです。

「こげなお人じゃなかったのに」
この糸の本音。
なんともよいですね。
明治元勲たちが気にする「事情」よりも、自分の中の夫の像を大切にする、糸の意地や愛情を感じさせます。

激動の時代を生きた西郷です。
夫婦の生活も、並の人とは違ったことでしょう。

それでも糸の言動からは、素朴で力強い、夫婦の愛情を感じることができるのです。

文:小檜山青

愛加那(とぅま)~西郷隆盛2番目の妻とは?西郷どんで二階堂ふみさん演じる奄美大島の島妻(あんご)

伊集院須賀(西郷隆盛1人目の妻)とは?西郷どんで橋本愛さんが演じる

 

 

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【西郷隆盛の年表】

1827年 1才 鹿児島で生誕
1839年 13才 ケンカ仲裁で怪我を負って刀を握れなくなり、勉学に励む
1839年 13才 蛮社の獄で高野長英や渡辺崋山などが捕らえられる
1840年 14才 アヘン戦争始まる(2年後に終わる)
1841年 15才 天保の改革(水野忠邦)
1844年 18才 郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)に任命される
1850年 24才 農政に関する建白書を提出
1850年 24才 お由羅騒動勃発・赤山靱負切腹で号泣する
1851年 25才 ジョン万次郎が帰国
1853年 27才 家督を継ぐ
1853年 27才 ペリー来航(翌1854年に日米和親条約)
1854年 28才 島津斉彬のお庭方となり江戸へ・政界工作に携わる
1854年 28才 藤田東湖と出会う
1855年 29才 橋本左内と出会う
1857年 31才 篤姫徳川家定が婚姻
1858年 32才 日米修好通商条約に調印(松平忠固が推し進めた)
1858年 32才 島津斉彬が急死
1858年 32才 安政の大獄で追われ、月照と共に入水・奄美大島で蟄居
1859年 33才 吉田松陰に死刑
1860年 34才 桜田門外の変
1862年 34才 和宮親子内親王が徳川家茂へ降嫁
1862年 36才 奄美大島から帰還
1862年 36才 寺田屋事件で薩摩の攘夷派が島津久光に粛清される
1862年 36才 島津久光の怒りを描い、今度は徳之島&沖永良部島へ
1862年 36才 生麦事件
1862年 36才 高杉晋作らの英国公使館焼き討ち事件
1863年 37才 新撰組の前進・壬生浪士が結成される
1863年 37才 長州藩が下関戦争(英・仏・蘭・米)
1863年 37才 薩摩藩が薩英戦争
1863年 37才 八月十八日の政変で長州藩を京都から追放
1864年 38才 再び赦されて、京都における薩摩藩責任者となる
1864年 38才 池田屋事件(長土藩の攘夷派が新撰組に討たれる)
1864年 38才 禁門の変で薩摩&会津が長州を京都から追放
1864年 38才 佐久間象山が暗殺される
1864年 38才 第一次長州征伐で長州はソク白旗
1866年 40才 西郷隆盛と木戸孝允、薩長同盟を結ぶ
1866年 40才 アーネスト・サトウが『英国策論』を執筆
1867年 41才 明治天皇が即位
1867年 41才 徳川昭武がパリ万博へ
1867年 41才 高杉晋作が結核で死亡1867年 41才 徳川慶喜大政奉還に応じる
1867年 41才 坂本龍馬中岡慎太郎が暗殺される(近江屋事件)
1867年 41才 庄内藩が、薩摩のテロ行為に報復として江戸藩邸を焼き討ち
1868年 42才 鳥羽伏見の戦いをもって戊辰戦争が始まる
1868年 42才 戊辰戦争の東征総督府参謀として指揮(江戸城無血開城)
1868年 42才 会津戦争・北越戦争・上野戦争・箱館戦争
1869年 43才 版籍奉還
1871年 45才 廃藩置県
1871年 45才 岩倉使節団が欧米へ・西郷らが留守を預かる
1873年 47才 征韓論を機に下野し、鹿児島へ
1874年 48才 鹿児島に私学校を設立
1874年 48才 佐賀の乱江藤新平が死亡
1875年 49才 秩禄処分で士族の家禄等が剥奪される
1876年 50才 廃刀令により士族は帯刀の特権も奪われる
1876年 50才 神風連の乱・秋月の乱・萩の乱
1877年 51才 西南戦争




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【参考文献】
歴史人物研究会 (編集)『幕末明治 時代を変えた女たち』

 

注目 西郷が沖永良部島で
出会った川口雪篷とは


1位 甲斐源氏の重責とは?
武田信玄53年の生涯


2位 ついに登場!
坂本龍馬の生涯マトメ


3位 漫画『アンゴルモア』で
盛り上がる元寇のすべて!


4位 この人こそが幕末王!?
天才・吉田松陰


5位 意外と知らない
源義経の生涯ストーリー


6位 史上最強の出世人だが
最期は切ない豊臣秀吉






7位 ゴツイケメンな幕臣
山岡鉄舟の信念


8位 藤原道長
出世の見込みなかった62年の生涯


9位 大政奉還から戊辰戦争
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10位 軍師の枠を超えていた!?
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