司馬懿

司馬懿/wikipediaより引用

ボケ老人のフリして魏を滅ぼした司馬懿が恐ろしい~諸葛亮のライバルは演技派

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曹丕のブレーンとして諸葛亮の行く手を阻む

曹操には渋々仕官した司馬懿ですが、その嫡子・曹丕とは気があったのでしょう。

ブレーンとして活躍。

曹操に使えた世代が退場してゆく中、魏きっての知将として、その存在感を増してゆきます。

蜀の諸葛亮のライバルとして、その行く手を阻む存在としても、三国志ファンにはおなじみでしょう。

こんな後世の描かれ方を本人がもしも知ったら、

「俺の活躍はそこだけじゃないだろ」

と、言いそうな気がします。

フィクションでは、どうしても諸葛亮の引き立て役になりがちですが、司馬懿の真骨頂はまだまだこれから。

曹操も、曹丕も、諸葛亮も世を去ったあと。魏王朝を侵食し、破滅に追い込むときなのです。

 


曹爽との対立

三国志を彩る英雄たちがあらかた退場しても、遅咲きの司馬懿はまだまだ全盛期。

237年、還暦を過ぎていたにもかかわらず、司馬懿は公孫氏を滅ぼして、洛陽に帰還します。

そこに待ち受けていたのは、死に瀕した曹叡(明帝/曹操の孫で、曹丕の子)でした。

曹叡の子は早世していたため、一族の曹芳が少帝として即位します。

ここで、まだ幼い曹芳を誰が補佐するのか?という権力争いが勃発するのです。

司馬懿と対立したのは、曹操の甥・曹真の子である曹爽でした。

司馬懿にとって曹真は元上司にあたります。はじめのうち数年間は、二人ともそこまで険悪でもありませんでした。

なにせ司馬懿は還暦過ぎの爺様です。

曹爽にしてみれば、

「どうせジジイだしコロッと逝くか、耄碌するだろう」

くらいの甘い見通しがあったのかもしれません。

曹一族のお坊ちゃまであり、野心だけはあって実力を伴わない曹爽。

彼は244年、司馬懿の反対を押し切り、武功欲しさに蜀に攻め入った挙げ句、大敗を喫してしまいます。

司馬懿はだんだんと曹爽派の政治壟断(ろうだん)がうとましくなってきたのでしょう。

「私もそろそろ歳ですしのう」

そう言い訳をして、隠退をしてしまうのでした。

既に七十近く、隠退してもおかしくはない年頃。それでも曹爽は警戒を怠りませんでした。

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