絵・小久ヒロ

三国志フィクション作品による「諸葛亮 被害者の会」陳寿が最も哀れ也

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諸葛亮被害者の会
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entry2 司馬懿「孔明の罠より怖いもんはいくらでもある」

「赤壁の戦い」で話を盛ったこともあり、なんだか魔術師になりつつある、そんな諸葛亮。

せっかくならマスターにしたい。

作家たちはそんなニーズに応えようと努力します。

「赤壁の戦い」における被害者代表が周瑜であるとすれば、この点においては司馬懿でしょう。

横光三国志における、

「待てあわてるな これは孔明の罠だ」

という文言は現代日本人にもおなじみですよね。

諸葛亮はともかく、なんだかすごい陣を作る。

「八卦の陣」だのなんだの、なんかすごいもんを作る。

 

なんかすごいでなくて、具体的に説明しろよ!  と、突っ込まれそうなので、ここは曹操にでも返してもらいます。

陣形については、彼こそが『孫子』に注釈を入れて自論展開をしています。

「地形、気象、情報、敵の状況でどの陣形が最善かなんて、コロコロと変わるんだよ。これさえ使えば勝てると思っている時点で終わってる。これ書いた奴、戦争したことないのが丸わかりだわ!」

まぁ羅貫中にしたって、皆さん軍人ではなく文人ですからね。そういうことです。

曹操の戦争における問答を見ても、敵の心理的な弱みのようなものを分析することが多く、必殺技やセオリーなどハナから存在しない。

戦いに生きてきた曹操からすれば、フィクションの陣形論争なんて「バカじゃねえの」で終わる話であります。

はるか昔に編み出された『孫子』が、現代の軍人やビジネスマンにまで愛読されるのはなぜか?

時代を問わない普遍の真理があるから。

そこまで踏まえますと、曹操ならきっとこう言いますね。

「そもそもさぁ、この陣形で勝てるって公開していたら、いくらでも対策立てられるでしょ。行軍のシステム構築なんかはやらなきゃいけないけど、魔術じみた陣形を考えている暇あるなら、もっとマシなことしたら? はい、こんな時おすすめなのは、俺の『魏武注孫子』ね」

魏武注孫子
あの曹操が兵法書『孫子』に注釈をつけた『魏武注孫子』は今も必見の一冊である

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entry3 諸葛亮(本人)「話盛られ過ぎでこっちも迷惑……」

では、諸葛亮の陣形は嘘なのか?

というと、そう言い切れるものでもありません。

『正史三国志』の時点で、諸葛亮は「兵法を整備し、八陣の図を作った」とある。彼が兵法を研究し、まとめていたことはその通りなのです。

実はこの記述では、具体的にどういう整備をして陣を作ったのか、不明ではあります。

前述の通り、行軍のシステムを練り上げるだけでも、とてつもなく重労働なのですね。

どの旗を動かす?

どう命令する?

規律違反者の罰則は?

軍というのは、現代であれば、学校行事とか、スポーツの応援とか、イベント会場やコミケ、あるいはハロウィンでの渋谷DJポリスを思えばご理解いただけるでしょう。

大勢の兵士をきっちりと整列させ、動かし、武器と食糧を供給する――戦争って本当に大変!

孫子はじめ兵法家は、くどいほどこのことを主張し続けました。

ただし、それではフィクションでは面白みに欠けてしまいます。

そのため奇門遁甲のような占いと融合され、どんどん大仰になり、後世は盛りたい放題になりました。

「きっとすごい陣でしょうね」

「ひとつの陣が八種類にトランスフォームするのかもしれませんよ!(※唐代の名将・李靖の解釈)」

そういう話ですので「ともかくなんだかスゴイ陣」でまとめてしまっても、特に問題がないのでは?と私は思ってしまいます。

諸葛亮本人は、むしろリアリストで組織の整備に実力を発揮するタイプでした。しかし、そんな実像では刺激が足りないとされ、諸葛亮自身もさぞかし困り顔でしょう。

そのせいで、なんだかわからない魔術師状態にされるわ。

魯迅には「『三国志演義』の諸葛亮は、話てんこもりでむしろうっすらと気持ち悪い」とダメ出しされるわ。

諸葛亮本人だって、実は被害者なのです。

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