・中国のフィクションには、なぜ女性戦士が多いのか?
歴史ファンの皆さまでしたら、中国の映像作品をご覧になり、一度はそんな疑問を抱いたことがおありでしょう。
『三国志』はじめ中国文学を楽しむとき。
知っておくと知らないとでは格段にその深みが変わってくる事柄があります。
中国伝統のエンターティメント【武侠】です。
武侠は、我々が幼き頃より親しんできた時代劇や少年漫画の世界にも、非常に大きな影響を与えていて、日本のエンタメとは切っても切れない関係にあるのです。
本稿では、その真髄に触れてみたいと思います。
※国際的評価の高い武侠映画『グリーン・ディスティニー』
【TOP画像】岡崎由美/浦川留『武侠映画の快楽』(→amazon)岡崎由美『漂白のヒーロー』(→amazon)
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文学を広げろ! 唐宋のビッグバン
人が生きていくために、娯楽は絶対に必要です。
衣食住さえあればよいというのはとんでもない誤解。我々は文明を築き始めた頃から、エンタメと共に歩んできました。
洞窟の中にある初歩的な絵に始まり、踊り、劇、読み物等々。
一冊の書物にまとまっていれば、とにかく人から人へと伝えやすいのが文字の特徴です。
中国史では唐代と宋代にビッグウェーブが訪れました。
なぜ唐代・宋代なのか?
こうしたエンタメの隆盛は、一朝一夕に出来上がったものではなく、土台というべき時代があります。
それが後漢から三国時代にかけて。
英雄たちの活躍で人気のこの時期は、実は世界史上でも屈指の人口減の危機を迎えていた時代でもありました(以下は三国時代の人口に注目した記事です)。
『三国志』時代は人が大量に死に過ぎ~人口激減で漢民族は滅亡危機だった?
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漢民族が大幅に減り、それ以外の民族が雪崩込んできて、ひとまず帝国ができたその時代。
我々は何者なのか?
何処へ行くのか?
当時、そんな哲学的なことを庶民一人一人まで考えていたとはさすがに言えませんが、そういう本質的な疑念の雲がモヤモヤと頭上にあってもおかしくありません。
そこに投下された、文学のもたらす高揚感。物語。そういう空気は「国民性」を作り上げるうえでも重要な要素であります。
新たな漢民族の帝国とともに、小説がドバーン!と爆発を見せても、それは不思議のないことでした。
ただし、司馬遷の『史記』が最高に面白くたって、庶民がいちいち読むとなればハードルが高いものです。
それが唐の時代になって、人々が一歩前進し、こう考えるようになりました。
「盛り場で講談にすればいい!」
「小説にして読みやすくしたら、絶対ウケるって!」
「カッコいいヒーローが苦境を救ってくれたらいいよねえ〜!」
オレたちは、小難しい書物ではなく、アゲアゲなエンタメを読みたいんだ――そんな熱い空気が唐で盛り上がったのです。
そんなのよくある話じゃん、と思われるでしょうか。
実は中国には、孔子以来、こんな思想がありました。
例えば科挙を受けるような真面目な文人が、妄想混じりの小説などはちょっとどうかな……という、ある意味テレのような葛藤があったのです。
とはいえ、彼ら科挙に合格できない文人たちも、生活するためには何らかの収入を模索していかねばなりません。
文才が、あるにはあるけど、いまいちパッとしない。科挙には落第してしまう。そんな文人は、エンタメ作家として生きていく道を模索することになります。
「就職できないんで、エンタメ同人作家として生きていきます……」
こういう考え方は現代人特有の発想かのように思えますが、中国ではとっくの昔に通過していたのでした。
元祖受験地獄!エリート官僚の登竜門「科挙」はどんだけ難しかった?
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つまり中国文学を牽引したのは、落第組による【はみ出し文人パワー】とでも申しましょうか。
言ってみれば科挙の偉大なる副産物ですね。
唐代伝奇小説の世界とは
そしてここからが、中国文学の空恐ろしいところで、当時から、今でも主流になるような世界観を生み出しておりました。
・美少女戦士(中国語では「巾帼英雄」=女性の頭巾を被った英雄と呼びます)
・人外美女とのラブロマンス
・義賊もの(『ONE PIECE』が典型ですね)
・超能力バトル
女性戦士の活躍は、マーベル映画ですら近年やっと目立ってきた感はあります。
女性がラスボスだった『ソー ラグナロク』、ともかく強いヒロインの『キャプテンマーベル』でも割と最近です。
それを唐代ですでに通過している中国文学――いやぁ、マジで凄いと思いませんか?
外交や政治的な話はさておき、ともかくエンタメの歴史だけに注目していただきたい。
その点、彼の国からは凄まじい底力を感じるのです。
※典型的な女性戦士の映画『侠女』は1970年。原作は『聊斎志異』で、こうした源流は唐代からあるのです
「江湖」それはアウトローと義挙の世界
理想を見て、現実逃避したい庶民。
そのニーズを、科挙に落ちた文才のある者たちが掬い上げる――。
身も蓋もないマトメ方な気もしますが、そこには中国にある漢民族の理想形や、道徳心もありました。
美少女戦士にせよ。
超能力が使える道士にせよ。
彼らはざっくりと「非日常」にいる存在として描かれております。
こういうアウトローや異能力者がいる世界を中国文学では「江湖」と呼びます。
では、一般人がいかにして「江湖」に入るか?
そのイニシエーションも大事でして、典型例が『水滸伝』です。
あの物語を読んでいると「どこが好漢なのだ?」と突っ込みたくなることがあります。
なんせ出演キャラたちは、暴力的な重罪ばかり犯している。
・殺人
・公務員殺傷
・冤罪
・暴力沙汰
・仇討ち
『読めば動機は理解できなくもないけど、やりすぎでは……』そう言いたくなるような犯罪行為をして、彼らは梁山泊へとやってきます。
もちろん、キャラの中には犯罪歴がない者もいます。
けれども、スカウトしたい。そんな相手には犯罪をせざるを得ないシチュエーションまで作り上げて、やらせるわけです。
時代がくだると、
「アウトロー行為をさせて集まるまでがいいけど、後半は公務員になって滅びるからがっかり」
と、打ち切りバージョンが定着したほどです。
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な〜んだ。中国人ってアウトロー行為が好きなのね。
というのもちょっと違っておりまして、そこには漢民族の「義」という概念もあります。
圧倒的な力の差がある相手に対して、超法規的な手段で立ち向かう――現在の観点からすれば「テロリズム」であっても、古代中国の伝統からすれば「義挙」となりました。
始皇帝が何度も暗殺されかけましたが、実行犯たちの行為は、後世では賛美でありロマンだと賞賛され続けます。
「義挙」の考えがあればこそ、そう評価されるのです。
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これを、海を隔てた特別な世界観だと思わない方が良いでしょう。
「やっぱり真田幸村の大御所への突撃って、素敵だよね〜」
「『忠臣蔵』って最高だよなあ! 幕府という巨大な権威に立ち向かうなんて、カッコいいじゃん!」
そうやって、うっとりしていた日本人もあまり変わらないんですね。
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幕末の長州藩士が京都で大人気だったのは、気前が良く、よい男が揃っていたからと説明されます。
それは確かにそうですが、大きな力に立ち向かう若手の志士たち――そんな心意気に京雀が惚れていた点も見逃せません。
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「義挙」のために「暴力」を駆使して、その結果「江湖」というアウトローに身を投じる。
これも中国文学の世界です。
堅苦しい漢詩は性に合わん!
そこで終わったら、非常にもったいないことなんですよ。
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