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週刊武春 ローマ

「ローマ五賢帝は理想の君主」説に疑問符……賢い養子を後継者にという美談は怪しいです

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西暦96年から180年まで帝政ローマを支配した5人の皇帝は、「五賢帝」と呼ばれる有能な君主でした。

ネルウァ→トラヤヌス→ハドリアヌス→アントニヌス・ピウス→マルクス・アウレリウス・アントニヌスの順に即位。トラヤヌス帝時代はローマ帝国の最大版図となるなど、五賢帝の時代、帝国は概ね平和と繁栄を享受し、最盛期を実現しました。

ネルウァからアントニヌス・ピウスまでの皇帝は、元老院議員の中から有能な人物を養子に迎え後継者にしたため、名君が相次ぎ、善政が敷かれたといわれます。そのため、世界史の授業で習ったときは、多くの人が高潔な賢者たちのイメージを持ったでしょう。

 

しかし、実態はどうもそれとは異なっていたようです。

 

以前書いた【1808個も「金メダル」をとった暴君 古代オリンピック史上最大の黒歴史とは】の参考文献にもなった、新保良明「ローマ帝国愚帝列伝」をふたたび底本にして、五賢帝たちの実像に迫ってみましょう。

養子をとった理由はやむにやまれぬ事情から?

まず、「五賢帝は国家のために賢人を後継者にした」というイメージ自体が虚像に過ぎません。

なぜなら、最後のマルクス・アウレリウス帝以外は血縁関係のある後継者に恵まれていないからです。老齢のネルウァ帝は即位当初から政情不安の只中に置かれ、トラヤヌスを養子にして後継者に指名しますが、実際は政治的力学の関係上やむなくトラヤヌスを後継者として受け入れた、というのが真相のようです。

そのトラヤヌス帝ですが、今度は後継を指名しないまま没してしまいます。

このとき、「自分が養子に指名された」と名乗り出たのが、トラヤヌスの従兄弟の息子ハドリアヌスでした。このあたりもかなり灰色で、トラヤヌス帝の妃ポンペイア・プロティナが遺書を書きかえ、亡夫がハドリアヌスを養子にしたと捏造した疑いがあるのです。果たして、トラヤヌス帝の遺志はどうだったのでしょうか……。

五賢帝の養子縁組 実はかなり怪しい

ハドリアヌス帝の養子縁組も奇妙なものでした。

同性愛者で子どもがいなかった彼が、当初後継に指名したケイオニウス・コンモドゥスは若くして病死。するとハドリアヌス帝は、アントニヌス・ピウスを養子にすると同時に、息子を亡くしていた彼に、当時16歳のマルクス・アウレリウスと7歳のルキウス・ウェルスを養子に迎えるよう命じたのです。

つまり、ハドリアヌス帝は後継者だけでなく、次の皇帝まで決めておいたことになるのです。

しかも、アントニヌス・ピウスは養子に指名されたとき、寿命の短い当時では老境といっていい51歳になっていました。76年生まれのハドリアヌス帝の10歳年下に過ぎません。

一方、聡明なマルクス・アウレリウスはハドリアヌスの寵愛を受けていました。病床のハドリアヌスが、お気に入りのマルクス・アウレリウスを後継にしようとしたが、あまりに若く、元老院議員ですらない。

そこで、適当な「つなぎ」の後継者を考えたのでは……と疑ってしまいますよね。

アントニヌス・ピウス自身が「慈悲深い(=「ピウス」)」という称号で呼ばれるほど穏健な人物でしたから、なおさらです。

歴代の皇帝たちが、元老院議員の中から有能な人物を後継者に選んだ、というイメージは、作られた虚像に過ぎなかったのです。

多忙な哲人皇帝マルクス・アウレリウス

さて、五賢帝の最後を飾ることになった哲学者皇帝マルクス・アウレリウス(著書「自省録」が有名ですね)ですが、彼の治世から「ローマの平和」に陰りが見え始めます。

東方の国境を巡る戦争に、北方のゲルマン民族の侵入。マルクス帝は広大になりすぎた版図を守るための防衛戦争に明け暮れます。

 

もともと持病持ちで頑健でなく、妻にも先立たれてしまったマルクス帝は、当然のように後継者を意識し始めます。そして、176年に息子のコンモドゥスを共同皇帝としたのです。

そう、マルクス帝は五賢帝のうち、唯一成人した男子に恵まれた皇帝でした。ここに「皇帝は養子を指名して後継者にする」伝統は崩れたわけですが、実子がいれば後継者にするのが当然の時代。マルクス帝を非難することはできません。

しかし、父が病没し単独皇帝となったコンモドゥスは、狂気・暗愚の面をあらわすようになります。

政治に関心を示さず、放蕩に明け暮れ、みずから剣闘士として戦う放埒ぶり。ネロ、カリグラ、カラカラほか、ローマの暴君の例に漏れず、破滅へと向かって行きました。

192年、コンモドゥス帝暗殺。五賢帝の直後の皇帝があまりに残念すぎたこと、のちのローマが混乱と衰退の道へ向かっていったことが、五賢帝の過度な美化につながってしまったのかもしれません。

 

 

三城俊一・記

 

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参考文献:新保良明「ローマ帝国愚帝列伝」(2000年、講談社)





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