暴君ネロのオリンピック

母を謀殺した後のネロ/wikipediaより引用

世界史

1,808個も金メダルをとった暴君ネロ 古代五輪史から抹殺された黒歴史とは

平和の象徴であるオリンピックにも負の歴史はあります。

「ヒトラーの五輪」となったベルリン(1936年)。

テロリストによってイスラエルのアスリートが多数殺害されたミュンヘン(1972年)。

ソ連のアフガニスタン侵攻で多くの西側諸国がボイコットしたモスクワ(1980年)。

しかし、古代オリンピックにはそれどころじゃない、

【存在そのものをなかったことにしたいレベルの黒歴史】

が存在します。

暴君・ネロが1,808個もの金メダルを取った、とんでもない五輪です。

 


そもそも古代オリンピックとは?

舞台は古代ギリシアの都市、オリンピア(オリュンピア)。

最高神ゼウスに捧げられる競技祭はオリンピア大祭と呼ばれ、4年に一度開催されました。

いわゆる古代オリンピックとは、これを指します。

※詳しくは以下の記事をご参照ください

古代オリンピック
虫あり酒あり動物の血あり!古代オリンピックは選手だけでなく観客も超過酷だった

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記録に残る最も古いものは、紀元前776年にまでさかのぼります。

初めはエーリスとスパルタの二カ国のみの参加で、次第にギリシア全体へと参加国が広がっていきました。

正確に4年に一回開催され、その期間は戦争も休止されるほどです。

参加者は自由人の成人男性のみで、女性・子供・奴隷は参加資格がありません。

また、競技は裸で行われ、勝利者にはオリーブの冠が授けられました。

競技は徒競走、やり投げ、レスリング、戦車競走など。

戦車競走の様子/photo by Marie-Lan Nguyen wikipediaより引用

やがてギリシア地域は台頭するローマによって征服され、属州となりますが、それでも大祭は続けられました。

そして、紀元393年の第293回オリンピア大祭まで、実に11世紀もの間続いたのです。

この精神をもとにして、フランスのクーベルタン男爵が提唱したのが、近代オリンピック。

「4年に一回」という伝統は、この古代オリンピックから来ています。

 


まさにジャイアン顔負けの振る舞い

問題の大会は紀元67年に行われた第211回大祭です。

このときギリシアを支配していたのはローマ帝国。

帝位には悪名高き暴君ネロ(37~69・在位54~68)が就いておりました。

この皇帝ネロ、最初の5年ほどは哲学者セネカらの後見によって善政を敷きますが、次第に暴虐な本性を現し、母や妻を殺害。

淫蕩の限りを尽くした上、64年のローマ大火の罪をキリスト教徒に着せて大迫害を行いました。

ネロは芸術にも心酔しており、自ら舞台に立って竪琴を弾いて歌を歌い、市民に聴かせたといいます。

その腕前は素人同然だったようですが……。

66年、帝国領内でユダヤ人の反乱が起きているにも関わらず、ギリシア芸術に前々から憧れていたネロはギリシアへ旅行に出かけます。

ギリシアの各種コンテストに参加した上、65年に終わっていて、次回の開催が69年だったオリンピアの大祭の予定も変えてしまいました。

67年のオリンピア大祭は、ネロのために無理やり開かれます。

しかも、本来は体育種目だけだった競技に、音楽部門も加えさせるという無茶苦茶ぶりでした。そして……。

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