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【暴君ネロのオリンピック】
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リタイアしても優勝はネロ!
競技に出場してもやりたい放題です。
戦車のレースでは、振り落とされて完走できずリタイアしたにも関わらず、
「優勝はネロ帝!」
とされました。
完全に何かが狂ってます。
が、他の競技でもこの調子だったので、当たり前のように連戦連勝。
さらに音楽部門に出場したネロが舞台で歌っている間は、どんな事情があろうとも退席することは許されません。
そのため死んだフリをして棺に入って出て行く人が現れたりしたといいます。
翌68年、ローマに凱旋したとき、ネロがオリンピア大祭などギリシアで勝ち取った栄冠は、1808個に及んだと言いますからどうしようもない。
こんな不正に人々が納得するわけがありませんね。
ネロの死後、この大祭は正式なものとみなされず、記録から抹消されました。
「最初からなかったこと」にされたのです。
当然でしょう。
しかし、ネロのために2年ずれた開催年は、最後の大祭まで戻されることはありませんでした。
ローマ帝国そのものの黒歴史となった暴君
ちなみにネロの末路はというと……。
68年春にガリアで反乱が起きたのがきっかけで、帝国全土で「打倒ネロ」を掲げる反乱が飛び火。
最後は元老院や近衛兵からも見捨てられ、自害へと追い込まれます。
最期は死の恐怖からメソメソと泣きながら、自ら剣を喉に突き刺したといいます。
そのときの言葉は、
「この世から、なんと偉大な芸術家が消えてゆくことか!」
だったそうで、狂気と暴虐の皇帝はここに終焉を迎えたのでした。
彼の死後、元老院の決議により、ネロの事績はもちろん、名前すらも記録から抹消。
古代オリンピック史上最大の「黒歴史」を作った暴君ネロは、彼自身がローマ帝国の「黒歴史」として扱われることになってしまったのでした。
三城俊一・記
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【参考文献】
『ローマ帝国愚帝列伝 (講談社選書メチエ)』(→amazon)