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リー将軍の銅像/wikipediaより引用

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週刊武春 アメリカ

アメリカを揺るがす「リー将軍の銅像撤去問題」とは何なのか? 歴史的見地から紐解く

投稿日:

2017年8月、アメリカ合衆国ヴァージニア州シャーロッツビル。
「アメリカで最も住み良い場所」と呼ばれるこの街が、世界の注目を浴びました。

南北戦争における南軍の英雄リー将軍像の撤去に反対する白人至上主義者と、彼らに抗議するために集まった人々が衝突したのです。
白人至上主義者の青年は抗議グループに車両で突っ込み、一人の女性を殺害、多数の人々を負傷させました。

ありとあらゆる主張の人物団体を攻撃することで知られるトランプ大統領ですが、白人至上主義者への非難は鈍く、さらに「どっちもどっち」と言ったことで人々の大反発を招きました。

おそらく皆さんも御存知でしょう。
このリー将軍の銅像撤去問題は現在進行形で進んでおり、様々なメディアで報道もありますが、ここでは歴史サイトらしく少し考察をしてみたいと思います。

 

アメリカ南北戦争 イデオロギーの戦い

実に、62万人もの兵士と7万5千人もの民間人が犠牲となった南北戦争(1861-65年)。
その原因は、奴隷制への賛否をはじめ多岐にわたっておりますが、今日まで続くイデオロギーの対立も内包しています。

全ての人間は平等である――。
人類は平等ではなくWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)が優位である――。
そんなイデオロギーのぶつかり合いです。

この対立は、2017年8月のシャーロッツビル、リー将軍の銅像の前でも再現されました。
銅像擁護派からは「リー将軍本人は素晴らしい人物だ」、「彼自身は奴隷制に反対していた」という擁護があります。

しかし、そもそもこの主張は成立するのでしょうか。

 

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リーやジャクソンは奴隷制度をどう思っていたのか?

リーが奴隷制度をどう思っていたのか。本当に反対していたのか。

反対はしています。
ただし、彼を含めて信心深い南軍の将軍の考え方はこんなものでした。

「奴隷制度とは神の意志であり、神が定めたものである」
「黒人にとってはアフリカで暮らすよりも、アメリカで暮らす方が社会的にも肉体的にもよい」

この考え方は現代人にとってだけではなく、南北戦争当時の北軍にとっても容認しがたいものでした。
言うまでもなく「全ての人類は平等である」という考えとは正反対なのです。

そもそもリーが奴隷制度に反対である理由も、「両方の人種にとってよろしくない。とりわけ白人の道徳観念を悪化させるためによくない」というものでした。
黒人を残虐に扱うことについては、あまり考えていないのです。

「彼らを苦しめている罰は、彼らの人種にとって必要不可欠であり、よりよい方向に導くために必要なものなのだ」
これもリーの見解でした。

この意見からは、リーが黒人の境遇に同情を寄せるどころか、鞭打ちのような残虐な罰も必要だと考えていることがわかります。
彼は南北戦争での敗北後も、黒人が政治に関与することを反対しておりました。

リー同様に南軍の名将であり、銅像撤去対象となっているトマス・“ストーンウォール”・ジャクソン将軍は、奴隷に対して寛容な扱いをする心優しい人物でした。

しかし生前のジャクソンは「奴隷制度とは、神の意志により作られたものであり、人間が異議を唱えるものではない」と考えていました。実際、彼は、奴隷制度について謝罪も後悔も表明しておりません。

確かにリーも、ジャクソンも、人間的には良い面もあったでしょう。ジャクソン家に仕えた奴隷たちは、よい扱いをする主人を尊敬していたかもしれません。
それでも「奴隷制度は神の意志である」という考えが根底にあったことは動かしがたい事実です。

「リーは奴隷制度に反対していたし、ジャクソンは奴隷を優しく扱っていた」
という擁護は、やはり成立しないものでしょう。

 

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南軍のシンボルにこびりついてしまった血

銅像撤去反対派は、こんな理屈を持ち出しております。
「そもそも南北戦争は奴隷制度擁護ではなく、南部の権利や誇りのための戦いだった」
しかしこれは、歴史家に一蹴されるだけとのこと。

こんな意見もあります。
「イデオロギーはとりあえず抜きにして、マイナスのイメージがあろうと歴史的なものだから残すべきである。見たら不愉快になる人がいるからと撤去するのはおかしい」
「奴隷を所有していたアメリカ大統領の像や記念碑も、壊すつもりなのか?」

確かに、テロや虐殺事件の記念碑を遺族が見たら不快な気持ちになることでしょう。
日本でも2011年東日本大震災の遺構の保全が問題担ったとき、教訓として残すべきという主張と、見ると悲しい気持ちになるから撤去すべきという見方がありました。

ただし、この主張には見落としている点があります。
そもそも、なぜここ数年で、急激に南軍旗や南軍のモニュメントが問題になったのか?

撤去が急激に進められたのは2015年、南北戦争終結150周年からです。
このとき大事件が起きました。
祝賀行事の数日後、白人至上主義者の青年がサウスカロライナ州の黒人教会で銃を乱射し、9人を殺害したのです。

犯人がSNSに投稿していた「南軍旗を掲げた写真」に、人々は戦慄しました。
それまでは紋章の一種や幸運のシンボルであった逆さ卍(ハーケンクロイツ)が、ナチスドイツが掲げたことによって意味が変わってしまったように、南軍旗にも変わってしまったのです。

南部人の結束、気質、反骨精神。
そんなシンボルであった南軍旗は、この事件により白人至上主義と差別のシンボルとみなされるようになりました。南軍の英雄の像もまた、南軍旗のように白人至上主義者が利用する象徴になってしまうと、危惧されるようになります。

リーの玄孫は、「不寛容や憎悪のメッセージを推進する人たちが、リー将軍の思い出を間違って利用する」ことを非難。
ジャクソンの子孫は、「記念碑は撤去しなくてはならない(Monuments Must Go)」と表明したのです。

見る人が不快であるかとか、歴史的意義は脇に置いて、ともかくも「悪用する人が問題である」というのが、子孫の意見なのです。

南軍旗とハーケンクロイツを掲げた銅像撤去反対派の行動は、彼らの狙いとは裏腹に銅像撤去を促すことになりました。
それまで撤去予定のなかった州でも、記念碑が破壊され、銅像が人々によって引き倒されました。

今後この歴史的銅像に端を発した事件はどうなるのか、アメリカの歴史はどう動いているのか?
150年前の歴史が現在をも変えていくという、歴史の一ページが今まさに開かれています。

文:小檜山青

【参考リンク】
BBCニュース - どうして銅像でもめるのか 南北戦争の像の何が問題なのか

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