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その日、歴史が動いた

パリのエッフェル塔はなんのために建てられた?【その日、歴史が動いた】

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いつの時代もどこの国でも、保守派と革新派は存在します。政治や学問の分野はもちろんのこと、音楽や美術などの文化的な面でも物議を醸すことはよくありますよね。
誰もが知っているあの国の代名詞とも言える建物にも、大きな口論が繰り広げられていた時代がありました。

1889年(日本の明治二十二年)3月31日は、パリのシンボルマーク・エッフェル塔が完成した日です。

エッフェル塔(Wikipediaより)

エッフェル塔(Wikipediaより)

今や凱旋門と並んでパリの名所として知られていますが、「地味な東京タワー」という印象しかお持ちでない方も多いのではないでしょうか。「いやいや、東京タワーがエッフェル塔のパクリでしょ」という人もいそうですね。
が、意外にも(?)エッフェル塔と東京タワーには直接の関係はありません。

目的はただの高い建物

そもそも、東京タワーとは建てられた経緯も違います。東京タワーは最初からテレビ電波のために作られましたが、エッフェル塔が建設され始めた当時、テレビはもちろんまだ無線電波というものがありませんでした。
では何のためにあんなデカイ塔を建てたのかというと、実はとてもシンプルな話。パリで行われた第4回万国博覧会(万博)の目玉・シンボルにする目的だったのです。
たったそれだけのために最頂部300メートル超の塔を建てたのかとツッコミたくもなりますが、これまたおフランスらしい理由がありそうです。

これはまたもやワタクシめの私見なのですけれども、エッフェル塔建設計画から遡ること約35年前、ロンドンで世界初の万博が行われたときの目玉に対抗意識を燃やしていたのではないでしょうか。
こちらも規模のハンパない建築物で、その名も”クリスタル・パレス”(水晶宮)といいます。某セーラー服で戦う女子中学生の前世の故郷は関係ありません……と思ったらそもそもかすってもいませんでしたテヘペロ。
もちろん水晶(石英)で作られた建物というわけではなく、鉄骨とガラスでできたものだったのですが、「透き通る建築物」という存在自体がそもそもそれまでにない概念でしたので、万博の展示品より会場であるクリスタル・パレスのほうが注目されていたかのような節があります。

元々万博会場として建てられたものですから高さはさほどなかったようですが、全長500メートル超、奥行きも120メートル超というまさに”パレス”=”王宮”の名にふさわしい建物でした。残念ながら1936年に全焼してしまったため現存しておらず、ググる先生マップで検索しても真っ先に出てくるのは何故か茨城県のホテルです。
公園の名前としてロンドンのほうにも残ってるんですけどアレーオカシイナー。日本で検索するとこうなっちゃうんでしょうか。

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イギリスとのライバル争い

そして、イギリスとフランスといえば百年戦争(ジャンヌ・ダルクのアレ)の因縁どころか、もっと前にフランス出身の王様にイングランドが征服されたり、その流れで英語にはフランス語から変形してできた単語が大量にあったり、植民地を巡ってあっちこっちで戦争したりと、お互い切りたくても切れない縁があるわけです。

どちらかというと文化面ではフランス優勢な時代が長く続きましたが、あっちこっちの戦争においては三枚舌海賊紳士の方が勝つことが多く、ある意味どっこいどっこいという関係でした。例によって大分端折ってますが、ホントにこうだから仕方がない。

そりゃ34km(ドーバー海峡の最短距離。東京駅~横浜駅と同じくらい)しか離れてないんですから、お互いに影響受けまくりますよね。

で、おフランスのほうはといえば当然「野蛮なことはともかく、芸術にかけてはウチが世界で一番に決まってる!」という考えが根底にあるわけです。多分今も大なり小なりこういう意識はあるでしょうね。でも芸術とか文化の発祥ってイタリアの方が多iゲフンゴホン。

そこにイギリスがクリスタル・パレスを作って大評判になったわけですから、自他共に認める芸術大国としてはものすごくムカついたことは想像に難くありません。そして「そんならウチはもっとスゴいもん建ててやるわい!あっちが広さならこっちは高さで勝負じゃ!!」と躍起になった……なんてこともあったのではないでしょうか。

建設期間にも何となくその影響が見られる気がします。
クリスタル・パレスはなんと半年で建てられているのです。上記の規模の建物、しかも当時どこにもなかった全面ガラス張りであることを考えると、脅威の早さとしかいえません。

建造中のエッフェル塔(Wikipedia)

エッフェル塔はさすがにここまで早く建てることはできず、2年強かかっています。しかし、あれだけの高層建築にも関わらず工事中の事故死者はいなかったそうですし、現在も無事残っていることからするとこちらもスゴいことには変わりないですよね。

ちなみに東京タワーはだいたい一年くらいで建てられています。こちらは時代も技術も違いますから、単純な比較はできませんけども。

エッフェル塔に関する逸話の中でこういう話は出てこないので、あくまで私見ですけれども。

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デザイナーは誰?

エッフェル塔の設計に関してはコンペが開かれ、最終的に選ばれたのが現在のデザインであるということは伝わっているものの、誰が設計したのかという点についてははっきりわからなくなっているそうです。”エッフェル”というのは最終的な著作権を持っていた人の名前で、彼はこの塔の他にも自由の女神像などにも関わっていますので、聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんね。
一説にはガーターベルトの発案者でもあるそうですが、建築と何がどう結びついてあの下着になるんでしょうか。支えるところとか?

そうしてパリの新しいランドマークとしてエッフェル塔はデビューしたわけですが、古き良きパリを愛する芸術家たちからは賛否両論でした。中には「エッフェル塔を見たくないからエッフェル塔1階のレストランに行く」というほどのツワモノもいたくらいです。確かに全景は見えないでしょうけど、その場所にいることに対して抵抗はなかったんですかね。普通、キライな場所には近寄りたくないのではないかと思うのですが……。
著作権者のエッフェル氏の反論はというと極めて冷静なもので、「風圧にも耐えられるし、軍事的にも各分野の研究にも役立つ塔なんだから美しくないわけがない」(超概略)という感じでした。この辺は理論第一の建築家と、感覚最優先の芸術家の違いですかね。

こういう反対意見が根強かったためか、そもそもの目的が「万博のため」だったからか、実はエッフェル塔は解体の危機に晒されたことがあります。しかし、「軍事用の電波を飛ばすのにちょうどいいから使いたい」という話が出てきたため、運良くそのまま残されることになりました。そして今でもパリの名所として親しまれているというわけです。

1991年 世界遺産に

1991年には周辺風景とあわせて世界遺産に登録されましたので、多分もう解体の話が出てくることはないでしょうね。災害の少ない土地柄でもありますし、よほどのことがなければ壊れる・壊されることもないでしょう。
パリ市街は何回も占領されたり血祭り会場になったりしてますけど(ボソッ)

 

長月七紀・記

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参考:エッフェル塔(Wikipedia)





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