そのため欧米諸国のように「何百年も存在している石造建築」はなく、木造建築が主流ですが、戦乱や天災を乗り越えてきた建物も存在します。
首都の玄関口・東京駅も、関東大震災や第二次世界大戦を乗り越えていますしね。
本日はもう一つ、昭和を代表する大きな建築物に注目。
昭和三十三年(1958年)12月23日は、東京タワーの完工式が行われた日です。
すでに60歳を超えてたんですね!
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3.11ではアンテナが曲がるほどの衝撃を受けながら
スカイツリーが建ち、すぐ隣の虎ノ門ヒルズに見下され、今や存在感はまるで示せない――。
そんな東京タワーも、3.11東日本大震災のときには、頂上部のアンテナが曲がるほどの衝撃を受けながらも揺れに耐え抜き、力強さを見せ付けてくれました。
倒壊しなかったのですから、恐らく計画を立てた当時の人々も鼻高々でしょう。
そもそも東京タワーは何のために作られたのか?
戦後、日本の放送業界は、ある問題を抱えていました。
各局が独自に電波塔を建てていたのです。
一局では関東全域をカバーするような電波塔を建てることができませんし、あっちこっちに100メートル超の塔が乱立していては、都市の美観も損なってしまう。
そこで「全部一緒にしたデカい電波塔を建てようぜ!」という計画が建てられました。
東京タワー構想の開始です。
このとき音頭を取った人の中に、前田久吉(ひさきち)という人がいました。
当時いくつもの放送局や新聞社の社長を兼任しており、「マスコミといえばこの人」というような存在。
彼は「奈良時代でさえ五重塔(約57メートル)を建てられたんだから、現代の技術なら世界一の塔が建てられるはずだ!」と豪語し、そのように設計してくれと依頼します。
こうして東京タワーは333mという高さになったのです。
エッフェル塔のパクリと批判もあった
当初は380mという予定もありました。
しかし、風の強さによっては電波が乱れる恐れがあるということでギリギリまで切り詰めることに。
それでもパリのエッフェル塔より21m高く、前田の要望通り世界一の電波塔として誕生することができたのです。
デザインについて、当初は「エッフェル塔のパクリ」という批判もありました。
ただし、この規模の鉄塔を建てようとすればある程度形が似通うのは仕方のないことで、実際に真似たわけではありません。
名古屋テレビ塔のときにも同様の批判はあったのですかね?
あれも結構似てますし、東京タワーより前(昭和二十九年=1954年)に完成しているんですが……。
ちなみに設計者の一人・内藤多仲はこの批判に対し「それは人が人に似ているというようなもので、一理ある見方とも言える」と完全な否定も肯定もしていません。
ある程度参考にしたのは間違いなくとも、塔にする以上は似ていて仕方ないでしょ、という気持ちもあった気がしてなりません。
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