今回は、絶望感で頭を抱えたくなる、主役による子供時代の回想シーンから始まりました。
いい大人が人形を持って走り回るって、どう見てもバカっぽくて……なぜ子役を使わなかったのか、しみじみと切なくなります。
そして字幕が入る。
人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し――。
最近は、後世の創作として知られますが、
◆ 家康の遺訓「人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し」は後世の創作だった!(→link)
むしろ家康の偉業を出さなくて正解だったかもしれませんね。穢されてしまいそうなので。
もはや穢れ
最終回のタイトルは「神の君へ」。
次作へのエールだそうで……いやいや、来年の関係者さんは『呪いになるので近づかないで!』と思っているのでは? 今年の大河ドラマって、推しが強くて鬱陶しい『源氏物語』の髭黒みたいな態度を取りますよね。
援軍というのは、強い軍勢が味方をしてくれるからこそ意味がある。
こんな視聴率ワースト2位の大駄作に応援されたって、足を引っ張られるだけでしょう。燃え盛った船が自軍に近づいてくるようなもの。全力で追い返しましょう!
特に来年は「穢れ」を気にする平安時代の人々ですから、追い返すための祈祷でもするのではないでしょうか。
来年こそは……と大河に期待をされている視聴者の皆さまも、初詣の前に気合を入れた方がよいかもしれませんね。
今年の穢れ、今年のうちに退散だ!
最後まで結局女、女、女……
女を三つ重ねて書くと「姦(かしま)しい」となります。
性差別的ではあるものの、今回は使いたい。
女が集団でいることが「姦しい」のではありません。女、女、女……と、そういう話ばかりをしている男が「姦しい」のです。
この作品の家康は「姦しい」英雄でした。
最終回でも、自称“男勝り”な阿茶の前でカッコつけています。
晩年の死を覚悟した演技がこれ?
本当にいつもいつも女といる場面ばかりですね。阿茶に塩対応をされながら、あの話を聞かせて欲しいと言われます。
鯉――どうでもええ……心の底からどうでもええ……。
このドラマはつくづく色恋沙汰しか頭にない。なぜ阿茶がしょうもない話を聞き出すことが最終回のハイライトになってしまうのだろう。
どうしようもない大坂の陣フィナーレ
無駄に鯉を引っ張ってから、夏の陣を迎えている大坂城へ。
本作はゴチャゴチャと時系列をいじくるのが大好きで、それが全く効果的でないのが特徴ですね。
セリフ処理で説明されるばかりの大坂方の苦戦。
真田信繁は、無駄に父・真田昌幸の言葉を思い出していますが、2人の部屋が違和感ある。
なぜこんなにも灯りをつけているのでしょう。当時の油代は、まだ高いものですよね。
今年の大河ドラマと認定したい『大奥』では、綱吉時代から夜間の娯楽が増えてゆきます。油代を贅沢に使えるようになるほど泰平の世になった証といえる。
そういうことすら、この名ばかり大河は表現できない。
なぜ『大奥』で緻密な物語を作り上げることは可能なのに、大河ではできないのか? 思えば今年はそればかりでした。
恥を知らないパクリセンス
本作の特徴に“恥ずかしげもなくネタパクリ”というのがあります。
「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」
これは要するに、乱世を渡っていく様を船・真田丸にたとえた“パクリ”ですね。
三谷さんの足元にも及ばないのは明白すぎるのに、よくもこういうことをしますよね。
そうやって狡猾に大河ファンに目配せするのがたまらなく嫌だ。
どうしたのかこのヘアメイクは
それにしても、このドラマのヘアメイクはどうなりましたか?
無駄に汚らしい信繁。
やりすぎアイラインの秀頼。
厚化粧の茶々。
秀頼の甲冑の質感もおかしい。
こんなペナペナした甲冑はみとうなかった。
兜に映り込む白い斑点(スタジオの天井照明)は、もう紋様と思うことにしましょう!
最終回まで映り込み続けたこの白い斑点については、さすがにNHKへご意見申してもよろしいかもしれません。
◆NHK みなさまの声(→link)
どうかしているぞ! このVFXは!
相変わらず青空がないVFX。
『大奥』のラストシーンは爽快な青空だったのに、どこかのゲームで見たようなショボい背景しか描けない本作は何なのか。
視聴者をバカにしているとも思えてくるし、以下の記事のような
◆「大奥」ラストシーン制作秘話!VFXチームが届けたかった“未来”のこと(→link)
◆ 『どうする家康』新技術“バーチャルプロダクション”本格導入でロケ最小限に 背景に働き方&つくり方“改革”(→link)
小賢しい言い訳にも虫唾が走ります。ここは結果が全ての世界ではないんですか?
※続きは【次のページへ】をclick!