アリストテレスの授業を受けるアレクサンドロス/wikipediaより引用

学者・医師

アリストテレスの生涯と名言「不幸は、本当の友人でない者を明らかにする」

紀元前322年3月7日、哲学者として有名なアリストテレスが亡くなりました。
アレクサンドロス大王の家庭教師だったことでもよく知られている人ですね。

彼に限らず、哲学者というのは肖像画や彫像の雰囲気から
「いかにもおカタそうな人」
「難しくて何言ってるかよくわからん人」
というイメージがつきものですが、理論からではなく名言の類から入っていくと結構わかりやすかったりします。

まずはどんな一生を送った人なのか、ざっくり見ていくところから始めましょう。

 


アテナにあるプラトンの学校へ進学

アリストテレスは、当時マケドニアの領土だったスタゲイロスという町に生まれました。
父親がときのマケドニア王の待医をしていたそうで、元からマケドニアとは縁があったんですね。

おそらく順調に行けば父の後を継いで医者になったのでしょう。

しかし、両親共にアリストテレスが物心つくか着かない頃に亡くなってしまったため、義理のお兄さんの支援を受けて生活したといわれています。

なんせ紀元前の話ですし、当人があまり語りたがらなかったのか、ただ単にそんなヒマがなかったのか、この頃のことはあまりはっきりしません。

アリストテレス/wikipediaより引用

そして青年期を迎えたアリストテレスは、同じく哲学者として有名なプラトンが作った、アテナイ(アテネ)のアカデメイアという学校に入りました。
20年ほど学問に励み、プラトンにも認められてときには学生の指導にあたることもあったそうです。

 


「ウチの息子に勉強教えて」byアレクの父ちゃん

しかし、お師匠様のプラトンが亡くなると、アリストテレスはアカデメイアを去りました。

理由もこれまたはっきりしておらず、
「プラトンの次の校長に選ばれなかったから」
とか、
「世情がマケドニアなど外国と縁のある人に冷たくなったから」
とか、まあいろいろあります。

そんなこんなで、彼は身の振り方を考えなくてはいけませんでした。

ちょうどそこにマケドニアからの便りが届きます。

「ウチの息子に勉強を教えてもらえないかい?」
という、マケドニア王・フィリッポス2世からのお誘いでした。アレクサンドロス大王のトーチャンです。

当時アレクサンドロスは13歳、アリストテレスは37歳だったといわれていますし、学友も何人かいたようですので、ちょっと小規模な現代の中学校みたいな感じですね。

アリストテレスの授業を受けるアレクサンドロス/wikipediaより引用

そして次代の王様を教育することになった彼は、自らが学んできた様々なことを教えていきます。

弁論、文学、科学、医学など実に幅広い内容だったそうで、それについていったアレクサンドロスたちの優秀さと根性がうかがえますね。

 


教え子が王様になってからは学校を作ったりしていたが

アレクサンドロスの即位後。
アリストテレスは、アテナイへ戻って新たに「リュケイオン」という学校を作りました。

王様が弟子ということで、予算や土地も引き出しやすかったんでしょうね。正しいコネの使い方といえましょうか。

ここでも学問と教育に励み、歩き回りながら議論を重ねるというスタイルから、彼の学派を「逍遥学派」と呼ぶようになりました。「逍遥(しょうよう)」とは気ままに歩き回ることという意味です。

現代の作家さんでも「ネタに詰まったら散歩する」という人は多いですから、外の空気や歩くリズムなどが何かしら脳みそに良い影響を与えるんでしょうね。

現代だったら本を出してバカ売れ(死語)になったりしてラクな生活ができそうなものですが、あいにくアリストテレスの晩年はあまり幸福なものではなかったようです。

というのも、アレクサンドロスが彼より先に亡くなってしまった上、その後のアテナイではまたしてもマケドニア人や関係する人々への風当たりが強くなってしまったのでした。

アレクサンドロス帝国の最大版図/Wikipediaより引用

アレクサンドロス帝国の最大版図/Wikipediaより引用

そのためアリストテレスは再びアテナイを去り、母の故郷だったカルキス(現ギリシャ・ハルキダ)に腰を落ち着けました。
現代の道路だと車で一時間くらいの距離だそうですが、当時は全く違う土地だったんでしょうね。

すでに60歳を越えたアリストテレスにこの旅は堪えたらしく、カルキスに行った翌年には亡くなっています。
毒を飲んで自害したともいわれていますが、どうだったやら。

 

前田利家も似たようなことを言ってた気が

ざっくりの割に長くなりましたが、それでは現代人にも役立ちそうなアリストテレスの名言を拾ってみましょう。
といっても、上記の通り彼の学問は幅が広すぎるので、ここは一つキーワードを絞ってみました。

「友人」です。

「人生はチャンスと変化に富んでいる。
そして最も栄えているときに、人は大きな不幸に見舞われる。
不幸は、本当の友人でない者を明らかにする」

これ、前田利家も似たようなこと言ってましたね。
苦しいときも助け合えるような人こそ真の友人であるから、大切にしなくてはいけません。
逆に言えば、うまくいっているときだけ擦り寄ってくるようなのは深く付き合う必要はないということですね。

「自分が友達に望んでいる通りに、友達には振る舞わねばならぬ」

”情けは人のためならず”とほぼ同義でしょうか。

友達って成長するにつれて作りにくくなるものですけども、この辺の名言と「量より質」を合わせて考えてみると、やたらたくさんいるように見えても実は知人レベル……ということが多いのかもしれません。

良い友人を得るために、自分自身も良い人になりたいもの。
真面目すぎて変なオチがつけられません。さすがアリストテレス。

長月 七紀・記

【参考】
アリストテレス/Wikipedia
アリストテレスの名言/癒やしツアー


 



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