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ナポレオンwith愛馬マレンゴ/wikipediaより引用

フランス その日、歴史が動いた

ナポレオンの百日天下! 欧州中を敵に回して懲りない男が帰ってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!

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「英雄」というと武人肌の人物を思い浮かべる方が多いと思います。アレクサンドロス大王しかり、織田信長しかり、彼らの多くは穏やかな最期を迎えたとはいえないのもまたご存知の通りです。

これが徳川家康やケマル・アタテュルク(過去記事:世界随一の親日国家トルコの産みの親アタテュルクうまれる【その日、歴史が動いた】)のように、政治家色が強くなるとまた違うのですが。

ヨーロッパにおける英雄といえば誰もが連想するであろう、ナポレオン・ボナパルトも前者・武人肌の一人ですね。
しかし、信長&アレク大王と、ナポレオンには決定的な違いがひとつあります。失脚から死去までの時間が長いことです。
以前彼の命日に晩年のお話をご紹介しましたので、本日はナポレオンの失脚に関するお話を致しましょう。

1815年(文化十二年)3月20日、エルバ島に流されていたナポレオンがパリに帰還しました。平たく言うと「一度退位させられたけど、私は帰ってきたぞ!」という感じです。
……このままだと流石に乱暴すぎるので、もうちょっと詳しくここまでの経緯を見ていきましょうか。

皇帝時代のナポレオン。この頃はイケイケドンドンだったのですが…/wikipediaより引用

皇帝時代のナポレオン。この頃はイケイケドンドンだったのですが…/wikipediaより引用

 

一時は欧州中を席巻するもロシア相手に大敗し… 

ナポレオンの絶頂期といわれるのは、1808年あたりまでです。

苦戦したこともありますが、ヨーロッパ諸国との戦争で次々と勝利を収め、フランス本土+同盟国+衛生国としてヨーロッパのほとんどを手中に収めました。
これが覆されたタイミングが二つありまして、一つは1808年5月に起きたスペイン独立戦争、もう一つはナポレオン最大の失策・ロシア戦役(1812年6月~12月)です。
それぞれの戦争についてはまた書く機会を設けたいと思います……というか、そこまで書くと何万字になるかわからんので今回は省略しますね。

この二つの戦争で木っ端微塵になってしまったナポレオン軍を見て、ヨーロッパ諸国は再び同盟を組み、今度こそナポレオンを倒そうと挑んできます。
そしてその通りに敗者となったナポレオンは、同盟軍によって1814年、イタリアの小島・エルバ島の領主という小さな椅子に押し込められました。

が、そんなことで黙っていないのが英雄の英雄たる所以です。
そもそもエルバ島は、フランスからもナポレオンの故郷・コルシカ島(海を挟んで隣)からも近すぎました。つまり、ナポレオンにとっては庭も同然なエリアに閉じ込められたわけで、脱出はそう難しいことではなかったのです。

ロシアから撤退するナポレオン/wikipediaより引用

ロシアから撤退するナポレオン/wikipediaより引用

 

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ルイ18世に対する民衆の不満が高まり「帰ってこ~いよ~♪」 

そして1815年の3月19日、彼はついにパリまで戻ってきたのでした。
もちろんただ戻ってきただけではなく、ナポレオンは再びフランスをヨーロッパ一の国にするべく立ち上がります。民衆もこれを歓迎しました。

なぜかというと、ナポレオンが去った後、フランスはまたブルボン家(元々フランス王家だったところ)の人をルイ18世として王様にしていたのですが、うまくいかずに民衆の不満が高まっていたからです。
別の家の人ならまだしも、これじゃルイ16世一家も他のギロチンに処された人たちも、草葉の影で「 (゚Д゚)ハァ?」と言ってたでしょうねえ。

そんなアホみたいな経緯でフランス市民が鬱屈していたところに”英雄”が帰ってきたわけですから、支持を取り付けるのは実に簡単なことでした。
このとき「ルイ18世がナポレオンへ討伐軍を差し向けたが、ナポレオンが『皇帝を殺したい者は誰だ! 余はここにいるぞ!』と叫んだところ、兵士たちが全員寝返った」という笑えない逸話があるほどです。キャーコウテイサマー!
ちなみにルイ18世は陣頭指揮なんぞ執ることもなくトンズラしました。小物のテンプレみたいな行動ですね。

 

リベンジを期して同盟軍相手にバトル再開! 

パリに入ったナポレオンは新しく憲法を作ったりして国の整備を進め、同時に軍備も整えて名実共に皇帝へ返り咲きました。
そしてヨーロッパ諸国にこの知らせが届くと、これまた当然のことながら「またぶっ潰そうぜ!」ということで再び対ナポレオン同盟が組まれます。歴史用語的には「第七次対仏大同盟」ですね。

上記のナポレオン失脚の頃が第六次で、第一次~第五次はナポレオンの台頭~絶頂期に組まれています。詳しい年号等はググる先生にお尋ねください。
ちなみにナポレオンを流刑にしてから戻ってくるまでの間に同盟諸国がやってたのが「会議は踊る」ことウィーン会議です。共通の敵がいなくなっとたんに分裂するのはいつの時代もヨーロッパのお家芸ですね。

ナポレオンはリベンジとばかりに同盟軍と戦いますが、そういつまでもうまくいくわけもなく……同年6月18日に起きたワーテルロー(ベルギー)の戦いでまたも敗れてしまいました。この間がだいたい百日間なので、俗にこの期間を「ナポレオンの百日天下」というわけです。
3月19日~6月18日だと実際には93日ですし、始点と終点をどこにするかで微妙に期間や日数が変わるんですが、こまけえこたあいいんだよ。明智光秀の「三日天下」だって実際は12日間くらいですしね。語感大事。

 

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二度とヨーロッパへ帰ってくんじゃないYO!

同盟軍は、「今度こそヨーロッパに戻ってこられないような場所へ送ってやる!」と考え、ナポレオンを大西洋の孤島・セントヘレナ島へ流しました。

その後の生活については以前この記事(過去記事:こんなにたくさんある!ナポレオンの死因4つの説 【その日、歴史が動いた】)でご紹介した通り。もうちょっとうまくやれていれば、史実よりはマシな死に方ができて、血筋くらいは残せたかもしれないと思うと残念なものです。

ナポレオンは「どんなに優秀であっても、力づくだけではうまく行かない」ということの代表例だと思うのですけれど、まあその後彼の徹を踏んだ人や国の多いこと多いこと。

歴史って本当に、どこでも同じようなことを繰り返すもんなんですね。

長月 七紀・記




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参考:百日天下/wikipedia ナポレオン/wikipedia

 

 




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