フランス その日、歴史が動いた

ナポレオンの百日天下~欧州中を敵に回した男は、もはや英雄ではなかった

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一度、頂点に立った人間が地に落ち、そこから再びTOPに這い上がる――そんなケースは滅多にありません。

それは稀代の英雄とて同じこと。
1815年(文化十二年)3月20日、エルバ島に流されていたナポレオンがパリに帰還した日です。

平たく言うと「一度、退位させられたけど、私は帰ってきたぞ!」という感じですね。

しかし、同時にそれは
ナポレオンの百日天下
とある種の嘲笑で終わってしまう悲しき復活劇でもありました。

 

一時は欧州中を席巻するもロシア相手に大敗し…

ナポレオンの絶頂期といわれるのは、1808年あたりまでです。

ヨーロッパ諸国との戦争で次々と勝利を収め、フランス本土+同盟国+衛生国として欧州の大半を手中に収める偉業を成し遂げておりました。

その勢いに待ったをかけた戦いが2つあります。

・スペイン独立戦争(1808年5月)
・ロシア戦役(1812年6月~12月)

この二つの戦争で木っ端微塵になってしまったナポレオン軍を見て、ヨーロッパ諸国は再び同盟を組み、今度こそナポレオンを倒そう!という流れになりました。

そしてその通りに敗者となったナポレオンは、1814年、同盟軍によってイタリアの小島・エルバ島の領主という小さな椅子に押し込められます。

ロシアから撤退するナポレオン/wikipediaより引用

しかし、そんなことで黙っていないのが英雄の英雄たる所以。

そもそもエルバ島は、フランスからもナポレオンの故郷・コルシカ島(海を挟んで隣)からも近すぎました。
つまり、ナポレオンにとっては庭も同然なエリアに閉じ込められたわけで、脱出はそう難しいことではなかったのです。

そして1815年3月19日、彼はついにパリまで戻ってきたのでした。

 

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ルイ18世に対する不満が募り「帰ってこ~いよ~♪」

パリに戻ったナポレオン。
もちろん単に「戻りましたよ♪テヘッ」というワケではなく、彼は再びフランスをヨーロッパNo.1の国にすべく立ち上がります。

民衆の反応は?
というとこれを歓迎しておりました。

なぜなら、ナポレオンが去った後、フランスは再びブルボン家(元々フランス王家だったところ)の人をルイ18世として王様に迎え、結局、その政治がうまく機能せず民衆の不満が高まっていたからです。

別の家の人ならまだしも、これじゃあルイ16世一家も、他のギロチンに処された人たちも浮かばれませんね。何やってんだか、18世よ。

と、そんな経緯でフランス市民が鬱屈していたところにかつての”英雄”が帰ってきたわけですから、支持を取り付けるのは実に簡単なことでした。

ルイ18世/wikipediaより引用

このとき、
【ルイ18世がナポレオンへ討伐軍を差し向けたが、ナポレオンが『皇帝を殺したい者は誰だ! 余はここにいるぞ!』と叫んだところ、兵士たちが全員寝返った】
なんて逸話があるほどです。さすがカッコエエ。

なお、ルイ18世は陣頭指揮を執ることもなくトンズラ――という小物のテンプレみたいな行動で消えていきました。

 

リベンジを期して同盟軍相手にバトル再開!

パリに入ったナポレオンは積極的に動きます。

新しく憲法を作ったりして国の整備を進め、同時に軍備も整え、名実共に皇帝へ返り咲きました。
ヨーロッパ諸国にこの知らせが届くと、これまた当然のことながら「またぶっ潰そうぜ!」ということで再び対ナポレオン同盟が組まれます。

歴史用語的には「第七次対仏大同盟」ですね。

上記のナポレオン失脚の頃が第六次で、第一次~第五次はナポレオンの台頭~絶頂期に組まれています。

ちなみにナポレオンを流刑にしてから戻ってくるまでの間に同盟諸国がやってたのが「会議は踊る」ことウィーン会議です。
共通の敵がいなくなっとたんに分裂するのはいつの時代も彼らのお家芸ですね。

ナポレオンはリベンジとばかりに同盟軍と戦いますが、さすがに対外戦争となれば、そうことは単純ではなく……同年6月18日に起きた【ワーテルローの戦い】でまたも敗れてしまいました。お相手はベルギーです。

復活からここまでの間がだいたい百日間なので、俗にこの期間から「ナポレオンの百日天下」と呼ばれるのですね。

3月19日~6月18日だと実際には93日ですし、始点と終点をどこにするかで微妙に期間や日数が変わるんですが、こまけえこたぁいいですよね。
明智光秀の「三日天下」も実際は12日間ぐらいですし。語感は大事だよ。

 

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二度とヨーロッパへ帰ってくんじゃないYO!

同盟軍は、
「今度こそヨーロッパに戻ってこられないような場所へ送ってやる!」と考えます。

そして今度は、大西洋の孤島・セントヘレナ島へ流しました。
以下の地図をご覧の通り、かなり凄まじい場所にあります。

もうほとんどアフリカっすな。
イギリスの植民地でしたので、完全に【未開の地】というワケでもないにしても、欧州とは気候から何からすべてが違い、苦しい生活が待ち構えていたでしょう。

島での生活から市に至るまでは
ナポレオンの死因4つの説
をご覧ください。

ヨーロッパで一二を争う英雄にしては切ないものがありますが、パリで斬首されなかっただけまだ救いようがあった、という感じですかね。

ナポレオンは「どんなに優秀であっても、力に頼っては結局うまく行かない」ということの代表例かもしれません。

歴史って本当に、どこでも同じようなことを繰り返すもんなんですね。

長月 七紀・記

※初出2015年3月20日 更新2019年3月20日




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【参考】
百日天下/wikipedia
ナポレオン/wikipedia

 



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