ウィリアム・シェイクスピア/wikipediaより引用

イギリス

謎多きシェイクスピアの生涯~なぜ名前や功績に反して私生活は謎だらけ?

名前や功績は広く知られているのに、意外に「その人となりはあまり知らん」ってことは、ままありますよね。
本日はその一例、誰もが知っている偉大な文豪のお話です。

1616年(日本は江戸時代・元和二年)4月23日、劇作家のウィリアム・シェイクスピアが亡くなりました。

日本では「沙吉比亜」という当て字をしたため、夏目漱石の「倫敦塔」のように「沙翁」と表記することもあります。

残した作品は「リア王」をはじめとした四大悲劇など。
もはや説明不要な有名人と思われますが、意外にも彼のプライベートについては謎ばかりです。

眉唾と切り捨ててしまうには、具体性のあるエピソードがなくもないので、一層ナゾを深めている。
「実は複数人の共同ペンネームなんじゃないか?」
という説もあるほどでした。

そこで今回は、シェイクスピアの生涯を追ってみましょう。

 

闇市場に手を出した父が失脚するも学校は出ているようで

シェイクスピアは1564年、裕福な商人かつ市長の父の元に生まれました。
そこそこの身分だった割には誕生日がハッキリしておらず、便宜的に命日と同じ4月23日として扱われています。

出生地といわれるストラトフォード=アポン=エイヴォンには、ファンをはじめ、今なお年間50万人もの観光客が訪れるとか。

個人的にはギターとか魔道書とかを思い出す地名ですが、残念(という名の当たり前)なことにどちらとも関係ありません。
後々のことを考えると、魔道書というか黒魔術的なモノとか書いてそうですけどね。

父が闇市場に手を出して市長の座を失うという憂き目を見ておりますが、無事に劇作家となっているからにはきちんと学校には通えていたのでしょう。

一応「ここにシェイクスピアが通っていた」とされる学校はあるので完全なデマではないようです。
まぁ、記録が散逸してしまって、身も蓋もない状態らしいですが。

これだけ「らしい」「ようです」を並べるのも気持ち悪いのですが、研究者の先生方はホント大変かと思われます。

シェイクスピアの生家/wikipediaより引用

シェイクスピアの生家/photo by Gerdthiele wikipediaより引用

 

16世紀のイングランドで出来婚ってリア充かっ!

何はともあれ、無事に学を身につけて卒業したウィリアムは18歳のとき、7歳年上のアン・ハサウェイという女性と結婚したことだけはなぜかはっきり記録されています。
解せぬ。リア充……。

既に身ごもっていたため急いで式を挙げたとのこと。
当時のイングランドには、まだカトリックの人もそれなりにいたのに、結構、度胸ありますね。

何とか無事一緒になり、長女に続いて男女の双子を授かったそうです。
長男は残念ながら早くに亡くなり、二人の娘は順調に育ちました。

家庭生活がよほど幸せだったのか、ここでまたしても記録が途切れてしまうんですけどね。リア(ry

それから数年後、シェイクスピアは突如ロンドンの演劇界に表れます。

当時はエリザベス1世の治世で、ロンドンのみならずイギリス全体で劇場が続々と作られていました。
当然脚本や役者もたくさん必要になり、ウィリアムも俳優をやりながら脚本を書いていたようです。

これはエリザベス1世が演劇好きだったからというわかりやすい理由だそうで。

当局はあまり演劇には良い印象を持っていなかったらしいのですが、女王の相談機関・枢密院が「演劇おk」という方針だったため、渋々認めたのでした。

もし当局が
「何が何でも演劇はけしからん! 百歩譲っても許可制!」
とか言ってたら、シェイクスピアの名もここまで高まらなかったかもしれませんね。

 

「オレ一番、いぇい!」「 コイツ、ムカつくわぁ 」

はっきりした経緯は不明ながら、ウィリアムはアラサーくらいの年齢になる頃までに「俺が国内で一番!」と自負できるだけの立場になっていたようです。
別の作家に「アイツこんなことほざいててムカつく!!」(超訳)みたいなことを書かれているので、おそらくこれも事実かと。

1594年には劇団の共同所有者になっています。
おそらくロンドンに出てきて10年も経たないうちに、かなりの富と名声を得たのでしょう。

不動産もいくつか購入するほどですから、よほどバカウケ(死語)したんでしょうね。
まるで秀吉みたいな出世振りで、時期まで一致するのがまたなんとも。

とはいえ天狗になっているばかりではなく、1598年のとある演目の出演者一覧トップに名があるため、劇作家だけでなく俳優としても活動を続けていたようです。共演者迷惑そう(ボソッ)

最初の全集ファースト・フォリオ(1623年)に掲載された肖像画/wikipediaより引用

自身の代表作「ハムレット」で、主人公の父親(の亡霊)を演じたこともあったとか。

ただ、知名度の割に演技に関する評価が記録されていないあたり、そっちのほうは「お察し」ですかね。

 

腐ったニシンから伝染した何かの感染症が死因?えっ?

普通の人なら「その後名声をほしいままにし、ロンドンでウハウハ(死語)な生活を続けた」……となりそうなものです。
が、都会の生活に疲れたのか、1613年には故郷・ストラトフォードへ戻っています。

静かな隠居生活とはいかず、次女の婚約者の浮気事件で頭を悩ませたとか。

当時の平均寿命からいっても先が長いわけではなかったので、
「せめて次女にきちんと遺産が渡るように」
とわざわざ遺言書を書き直したそうです。大作家も人の親ですねえ。

そして1616年に亡くなります。

死因がこれまた非常にうさんくさいもの。
なんて「腐ったニシンからうつった何かの感染症」となっています。

当時の衛生概念や貧困層ならともかく、決して生活に困っていなかった人がそんなものに触れる機会があるんでしょうか。
誰かに恨まれてゴミ捨て場に頭から突っ込まれたとかならともかく。

終の棲家となったニュー・プレイス/wikipediaより引用

終の棲家となったニュー・プレイス/photo by Burn the asylum wikipediaより引用

 

そして、わが骨を動かす者に呪いあれ

しかし、現在に至るまで彼の遺体の確認や死因の調査などはされていません。

今もストラトフォードのホーリー・トリニティ教会に埋葬されているが、彼自身が脅迫めいた言葉を刻ませたといわれているからです。
それがこちら。

Good friend, for Jesus' sake forbear,
To dig the dust enclosed here.
Blest be the man that spares these stones,
And cursed be he that moves my bones.

英語のままでもなんとなくわかる気がしますが、例によってテキトーに訳してみましょう。

「わが友よ。
ここに眠る遺骸を掘り起こそうなんて冗談は謹んでくれ。
この墓を守る者に神の祝福あれ。
そして、わが骨を動かす者に呪いあれ」

なんだか脅迫と後ろめたさが見えてきませんか?
死んだ後も見られたくないようなものが一緒に入っているか、自分の正体がバレるとよほどまずいのか。

この遺言によって彼の墓は400年以上ずっと守られ、今もってなおシェイクスピアの素性は不明のままになっているというわけです。

ホーリー・トリニティ教会に建立されたシェイクスピアの墓碑/wikipediaより引用

ホーリー・トリニティ教会に建立されたシェイクスピアの墓碑/photo by de:Benutzer:Gerdthiele wikipediaより引用

 

ロンドン大火で記録が燃えちゃったりしたのか

まあ、幽霊に市民権があったり、架空の探偵の住まいが観光名所になるような国です。

今のところ、他の国のKYな学者が掘り起こしにかかることもないようですし、もしかしたら最後の審判(ただし起きるかどうかは未定)まで、本人の希望通りそのままの状態を保つのかもしれません。

他にも鉄仮面なりサンジェルマン伯爵なり、正体不明の人物というのは歴史上たくさんいます。

しかし、
「名前は知ってるけど、よく考えたら誰よコイツ?」
というのはシェイクスピアと写楽くらいのものではないでしょうか。

「物書きのくせに自分の記録を残さなかった」
というあたりがどうにもクサイのですが……まさか家族のうっかりで記録がパーとか散逸とかそんなバナナ。

「ロンドン大火(1616年)で全部燃えた」とかなんですかねー。
それにしたって「大火までここにシェイクスピアの記録がありました」くらいのことは言い伝えられそうなものですが。

皆さんはどう思われます?

長月 七紀・記

【参考】
ウィリアム・シェイクスピア/wikipedia

 



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