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イギリス その日、歴史が動いた

エリザベス1世の寵臣ウォルター・ローリーの斬首刑 これが貴族のヤリ方かぁ~!!

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代々続く貴族というのは血筋ゆえの責任やら義務があって大変である一方、そういう立場になり始めた人、つまり「名家の初代」というのもまた苦労が耐えないものです。
王様の信頼を勝ち取るため、人生の半分以上を捨てるようなことまでしなければならないのですから。

この手の例で一番わかりやすいのは、中国歴代王朝の宦官ですかね。R15な話題なので詳細は省きますけれども。
流石にそこまでではありませんが、「人生の半分以上を捧げる」という点についてはどっこいどっこいな人のお話です。

1618年(元和四年)10月29日は、エリザベス1世の寵臣だったウォルター・ローリーが処刑された日です。

これだけ見ると、彼が女王の逆鱗に触れたか何かで処刑されたかのようにも見えますが、実は違います。
そこにはいかにもな宮廷の権力争いがありました。

ウォルター・ローリー(ニコラス・ヒリヤード画/wikipediaより引用

 

大学で法律を学んでいたのに、なぜか海原へと飛び出した

彼はイギリス西部のデヴォン州というところで、熱心なプロテスタントの家に生まれました。

ウォルターが生まれた頃のイングランド王はカトリックのメアリー1世(ブラッディ・メアリー)だったので、幼い頃は結構苦労していたようです。
6歳の頃にプロテスタントであるエリザベス1世が王位についたため、割と早くマシな状態になったのですが。

ウォルターは真面目に勉学に励み、オックスフォード大学やミドル・テンプル法学院などで学問を修めました。
が、すぐに宮仕えを始めたというわけではなく、法律を学んでいたのに何故か海へ乗り出しています。山がイタリア人の根性を引き出すのと同様に、海はイギリス人の冒険心をくすぐるのでしょうか。資源も国土も少ないから仕方ない。

※イタリア人と山のお話はこちらでどうぞ→過去記事:帰宅するまでが遠足デス!マッターホルンなど山の遭難の歴史を振り返る【その日、歴史が動いた】

まあ細かいことは気にせず、話を進めましょう。
ウォルターは異父兄と共に大西洋を渡り、現在のアメリカ東海岸に植民地を作ろうとしていました。エリザベス1世にちなんでこの土地に「ヴァージニア」という名前をつけているあたり、やる気の程がうかがえます。
が、入植者の多くが貴金属などの宝探し目的だったため、農業などの定住に必要な技術を持っていませんでした。しかも先住民と食料を巡ってケンカをしてしまったので、この計画は失敗に終わります。

 

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結局、ヴァージニアへの入植は諦めアイルランドへ

数年後、今度はイングランド政府の監督官が指揮して入植が試みられ、これもまた失敗に終わりました。

当時のイングランドはスペインと海の上でドンパチをする予定になっていたので、エリザベス1世が「いつ戦闘になるかわからないから、出航は見送るように」と命じたからです。そのため、先に海を渡った人々へ物資を送ることができませんでした。

アルマダの海戦によってスペインとの決着がついた後、物資が送られたものの、とき既に遅し。入植者たちは「CROATOAN」や「CRO」というメッセージを残して消えてしまっていました。
おそらく、先住民族のクロアタン族との間にトラブルがあり、殺されたか連れ去られたとみられています。結果的にはダイイングメッセージですね。

まあ、最初の入植でもトラブルを起こしていたわけですから、二回目にも同じようなことが起きていてもおかしくはありません。先住民からすれば「またわけわからんのが来た! 力尽くで追い返せ!!」としか思えなくても無理はないですし。

そんなわけで、ウォルターたちはヴァージニアへの入植を諦めざるをえなくなります。といっても、彼はこの間にエリザベス1世から絶大な信頼を受けるようになり、屋敷なりなんなりをもらっていたので、「ここらが諦め時」とでも思ったのかもしれません。
帰国の後はアイルランドに行って反乱の鎮圧に参加し、褒賞としてかなり広い土地を得ることができました。
ここでしばらくの間、地主や町長として腰を落ち着けています。

 

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悪名高きロンドン塔へ収監 13年もの間押し込まれる

しかし少しずつ生活に困るようになったため、土地を売って今度はドーバー海峡のジャージー島という島の総督になりました。あっちこっち忙しい人ですね。
同時期にエリザベス1世の侍女とデキてしまい、女王のお怒りを買ったこともあったのですが、割とあっさり許されています。
ウォルターもその厚情に呼応するかのように、ジャージー島の要塞に女王の名前をつけるほど忠誠を示しました。

ところがウォルターのジャージー島着任から三年後、エリザベス1世は亡くなってしまいます。そしてこれが彼の運命を大きく変えてしまいました。

どこの国でも、王様が変わると側近の立場も変わるものです。
ウォルターも例外ではなく、とある事件への関与を疑われて、悪名高きロンドン塔へ収監されてしまいました。
ここまで諸々の苦労をしてきたウォルターですから、すぐに絶望することはなく、獄中でギリシアやローマに関する歴史書を書いていたそうです。前向きにもほどがあるやろ。

収監から13年経った後、ウォルターは一応ロンドン塔から出され、今度は南米大陸へ行くことになりました。「黄金郷(エル・ドラード)」を探してこいと命じられたのです。

大航海時代でお馴染みの単語と動機ですね。
が、この時代の南米大陸といえば、スペインのシマ同然。しかもウォルターがたどり着いた先がよりにもよってスペインの入植地だったため、ここでドンパチを起こして息子を失うハメになりました。

 

最初からこれが狙いだったのか!?

さらに、スペイン大使から「あのアホありえないんですけど! そっちで落とし前つけてくださいね!!」(※イメージです)とクレームが来てしまったため、イングランド政府としてもウォルターをかばえなくなります。

いや、むしろ最初からこれが狙いだったのかもしれません。

エリザベス1世の次にイングランド王となったジェームズ1世はカトリック教徒だったので、プロテスタントかつ先王の寵愛を受けていたウォルターのような人物は、どちらにしろ煙たかったでしょうし。
ついでに言うとウォルターはかなりの美男子だったようなので、そのへんもやっかまれる原因になったかもしれません。この時ウォルターは既に60代でしたが、今で言うところのロマンスグレー的なカッコイイオジサマになっていたのでしょうか。

ともかくウォルターは斬首刑に――。
グロい話ですが、当時はまだギロチンが発明されていなかったので、斧での処刑だったようです。ぐええ。

そのときそのとき一生懸命に仕事をしていたであろう人の最期としては、いささか酷な気もしますね……。
政治に関わることそのものが命がけであるという証左でしょうか。

長月 七紀・記

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参考:ウォルター・ローリー/wikipedia スタンプメイツ

 

 





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