英国女王メアリー1世

英国女王メアリー1世/wikipediaより引用

イギリス

なぜ英国女王メアリー1世はブラッディ・メアリーと呼ばれるのか 血塗られた歴史

1558年11月17日はイングランド女王メアリー1世の命日です。

この時代、イングランドやスコットランドでやたらと”メアリー”という名前が出てくるのでややこしいですが、カクテルの”ブラッディ・マリー”の語源になった人と覚えるとわかりやすいかと。

それに加えてエリザベス1世の異母姉ですね。

こんなことを初っ端に書くと「元からとんでもねー人だったのか!」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、どちらかというと不幸せな生まれ育ちの結果が”ブラッディ”という気がします。

では、彼女の一生を見ていきましょう。

メアリー1世/wikipediaより引用

 


離婚したいからって強引にアレコレやり過ぎの父ちゃん

メアリー1世のご両親は、なかなか個性的なキャラです。

再婚しまくり、6人もの奥さんを変えたことで有名なヘンリー8世が父ちゃん。

ヘンリー8世/wikipediaより引用

母ちゃんは、ヘンリー8世の最初の王妃だったキャサリン・オブ・アラゴンです。

キャサリンはスペインの王女で、元々はヘンリー8世の兄であるアーサー・テューダーの後妻でした。

が、結婚から一年程度でアーサーが亡くなってしまったため、その弟であるヘンリー8世に再び嫁いだのです。

現代人からすると、「それ大丈夫?」と思ってしまうような再婚経緯ですが、当初は仲の良い夫婦だったとされています。

ただ、キャサリンはなかなか子供に恵まれにくい体質だったらしく、若い頃から妊娠しては流産の繰り返しでした。

そのため世継ぎとなる男の子も生まれず、最後になんとか健康に生まれたのがメアリー。

当時「イングランドでは女王は禁じられていない」としてヘンリー8世もノリノリでした。

しかし、ある程度期間が経ってから

「平時ならともかく、今の隣国との関係を考えると、女王では心もとない」

と考えを変えます。

これがこの後男子を得るための再婚連発につながるのですが……、少々ややこしいので、ここで当時のイングランドを取り巻く情勢について補足を入れましょう。

 


男子の王が望ましかった理由

当時、イングランドの王朝はテューダー朝に変わったばかりでした。

ジャンヌ・ダルクの活躍で知られる百年戦争が終わった後、イングランドではそれを元にした内乱・薔薇戦争が発生。

それを終わらせたのがヘンリー8世の父・ヘンリー7世だったのです。

ヘンリー7世/wikipediaより引用

つまり「一世代前まで内乱をやっていて、まだ国内外に不穏分子が残っている状態」だったのが、ヘンリー8世の若かりし頃=キャサリンと結婚していた時期でした。

イングランドでは”女性が国や軍を動かす”ということには比較的抵抗がなかったものの、いつ戦になるかわからない状況では、さすがのヘンリー8世も不安が勝った模様。

そんなわけで、ヘンリー8世はキャサリンの侍女でまだ20代のアン・ブーリンに心を移していきます。

「アンが王妃の地位を強く望んだ」ともいわれていますね。

男子を得たい気持ちが強くなったヘンリー8世は、なんとかキャサリンを王妃の座から降ろして、アンを新たに迎えるべく動き始めます。

当時のイングランドはカトリックだったので”離婚”はできませんでした。

しかし、カトリックの決まりで

【結婚そのものが無効だった】

という謎の屁理屈をこねて別れることはできたので、ヘンリー8世はそれを利用しようとしたのです。

ところが、当時のローマ教皇や、キャサリンの実家のスペイン王家が納得しません。そりゃそうだ。

一方、当時のイングランドにはカトリック聖職者の腐敗が進んでいました。

また、カトリックのトップである教皇もフランス人が連続しており、イングランド出身の教皇はおろか、イングランドに訪問した教皇すらいませんでした。

つまり、民衆の心は既にカトリックから離れつつあったのです。

これはかなり根深い問題で、時を遡ることおよそ100年前、ヘンリー5世が解決しようとしたことがありました。

ということは、当時から聖職者のアレコレが為政者の目に余る状況だったということになります。

100年の間に自浄なり改革なりができなかったあたりが、問題の根深さを伺わせますね……。

ヘンリー5世は、それまでフランス語を使っていたイングランドの上流階級に対し、積極的に英語を広めた王でもあり、イメージとしては「イングランドをイングランドらしくした」といっても過言ではない人です。

テューダー朝2代目のヘンリー8世としては目標にすべき人の一人でもありました。

そこでヘンリー8世は思い切ります。

「腐敗しまくってるしカトリックなんていらない!これからのイングランドはオレがトップの教会でやっていく!だから離婚するのも自由!!」

こんな理屈をこねて、国ごとカトリックから脱却すること、キャサリンと離婚することを宣言したのです。

教皇からは当然破門されましたが、先に「カトリックやめるわ」と言い出したのはヘンリー8世の方なので、屁の河童というもの。

これがまた、メアリーの時代にひと悶着起こすことになります。

では、今回の主役である彼女に視点を戻しましょう。

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