日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

日本史を代表する書道家・小野道風 三蹟にも選ばれる芸術家は性格にチョイと難あり!?

更新日:

 

「玉に瑕(きず)」という言葉通り、どんなに優れているように見える人でも、一つや二つの欠点はあるものです。その欠点が人間らしさをうかがわせたり、長所を際立たせることもありますしね。
玉=宝石にはまさにこの言葉そのままの美しさを持つものがあります。「キャッツアイ」などの宝石に浮かぶ、あの特徴的な線状の模様は、内部にできた細かい気泡が、規則正しく並ぶことによって生み出されるもの。ただの気泡では宝石としての評価が低くなってしまいますが、状態によってはそうとも限らないということになりますね。
さて、人間の場合はどうでしょうか。本日はそんな感じの、とある特技を持った平安時代の人のお話。

康保三年(967年)12月27日は、書家として有名な小野道風が亡くなった日です。

「みちかぜ」が正しい読みだったと思われますが、文化人によくあることで音読みの「とうふう」でも特に問題はありません。官職でも中国風の名前で呼んだりしますしね。水戸”黄門”(中納言の唐名)とか。

小野道風(菊池容斎画・明治時代)/wikipediaより引用

 

仕事でよく書いていたら芸術の域に!?

道風の時代、「書が得意」ということは実用的かつ必須スキルでした。
何せパソコンも印刷技術もない時代ですので、書類はすべて手書き。しかも墨と筆で書くのですから、上手いに越したことはありません。
道風も芸術的な書だけでなく、公文書の清書をはじめとした実用的なものを多く書いています。
むしろ「仕事で文字をよく書いていたら、そのうち周囲に“アイツの字はもはや芸術の域だ、屏風に一筆書いてもらおう”といわれるようになった」という感じでしょうね。

芸術家には死後に評価の高まる人が多いですけれども、道風の場合、存命中からかなりの高評価を得ていたことがわかっています。
もちろん、彼の死後もそれは変わりません。一例を挙げると、道風の死から約40年ほど経った頃に成立した源氏物語の中でも、道風の書は高く評価されています。

京都市北区の道風神社には、彼が字を書くとき、墨を溶くのに用いたという池や、実際に使っていたというさまざまな品が伝わっているとか。1000年以上も残っているとしたら、もうそれだけでスゴイ話ですよね。
道風神社の場所は、龍安寺や金閣寺の辺りからひたすら北に行った山の中にありますので、応仁の乱などでも戦果を免れたのでしょうか。

 

スポンサーリンク

「空海筆と伝わる書をボロクソに罵った」

芸術家で神格化されている――。
となると、さぞ素晴らしい人だったのかと思いきや、道風の場合そうともいいきれないエピソードのほうが多いようです。

インパクトが強いのは、「空海筆と伝わる書をボロクソに罵った」という、みみっち……人間くさい話です。まあ、日本神話の神様も割と「は?」なエピソードが多いですしね。

また、64歳のときには、ときの天皇だった村上天皇に対し、「私を山城守か近江権の守にしてください!」というよくわからんおねだりをしていたりします。
ちなみに、村上天皇はこのときちょうど道風の半分の年齢(32歳)でした。「この爺やはいきなり何を言っているんだ?(´・ω・`)」と思ったでしょうねえ。
その後の記録からすると、この不思議なおねだりは却下されたようです。そりゃなぁ。

実は道風には好古(よしふる)というお兄さんがいまして、彼が山城守を兼任していたことがあるのですが……他に道風と山城守という職務の接点が見当たらないところが判断に困ります。
この歳で「俺のほうが兄貴よりその役にふさわしい!」と思ったなんてのもありえなさそうですし。

ついでにいうと、好古は天慶の乱(藤原純友の乱)で純友軍を破った一方で、太宰府で曲水の宴を始めたという風流人でもありました。さらに、好古の歌は後撰和歌集や拾遺和歌集にも取られていて、絵に描いたような文武両道というやつです。
誰もが認める名人なのに、わざわざ人の書いたものにケチをつけて、自ら瑕瑾を作った道風と比べるとエライ違いですね。

小野好古(菊池容斎画)/wikipediaより引用

 

スポンサーリンク

晩年は苦しんだそうで……

また、道風は晩年にかなり体調を崩して苦しんでいたそうです。
享年73ですから、老衰で穏やかに亡くなっていても良さそうなものですが……がんや糖尿病のような、時間をかけて重症化していく病気にかかっていたんでしょうか。さすがに同情してしまいますね。

ちなみに、道風よりも好古のほうが二年ほど長生きしています。誤差の範囲ではありますが、日頃の行いが影響してたり……とかなんとか。

まぁ、二人ともあの小野篁(過去記事:平安時代の出来杉くん小野篁(たかむら) 天才すぎて島流しの刑)の子孫説がありますし、篁の個性が別々に遺伝したのかもしれません。そういうことにしておきましょう。

貴族のお屋敷に流してある小さな川の左右に歌人が待機し、その川を流れてくる盃が自分の前を通り過ぎる前に、歌を詠むという遊び。中国で紀元前辺りから行われていたもので、日本でも5世紀ごろからたびたび催されていた。

長月 七紀・記

スポンサーリンク

参考:小野道風/wikipedia 小野好古/wikipedia 道風神社/wikipedia

 





1位長篠の戦い 注目すべきは…


わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?


2位 西郷隆盛49年の生涯!


3位 史実の真田幸村とは?


4位 最上義光 名将の証明


5位 ホントは熱い!徳川家康


6位 意外と優しい!? 織田信長さん


7位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか あらすじ&感想レビュー

-飛鳥・奈良・平安時代, その日、歴史が動いた

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.