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その日、歴史が動いた アメリカ

リンカーンは黒人奴隷を解放するもインディアンは迫害&虐殺していた!?

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どんな人でも、長所と短所を持ち合わせているものです。
大体の場合は大きい方が基準となって「いい人」「嫌な人」と評価されますよね。
でも、「いい人」にももちろん嫌な部分があり、「嫌な人」にも得意なことや好ましい点があります。本日はそんな感じで、海の向こうの超有名人にスポットを……。

1809年(日本では江戸時代・文化六年)2月12日は、後にアメリカ合衆国第16代大統領となるエイブラハム・リンカーンが誕生した日です。

南北戦争中の「人民の人民による人民のための政治」(ゲティスバーグでの演説)や奴隷解放令などで有名ですね
しかし、彼はそれとは真逆の残酷な思想も持っていた……ということは、あまり知られていません。実は、リンカーンは「インディアンに対して」だけ、歴代大統領の中でも屈指の排除政策を採っているのです。
今回はその点について注目してみましょう。

 

師のヘンリー・クレイは徹底した排除論者

なぜリンカーンはインディアンを嫌っていたのか? 実はこの点、理由はハッキリしておりません。
同じファーストネームの祖父が1786年にインディアンに襲われて死んだ、という事件はありましたが、それはリンカーンの父親が幼いころの話。つまり、当時リンカーンは生まれていません。
父親は祖父が襲われるところを間近で見ていたらしいので、その恐怖を幼いリンカーンに何回も語り聞かせたのでしょうか。

成長したリンカーンは政界に出る前、独学で法律を学んで弁護士をやっていた時期があるのですが、その頃からインディアンに対して激しい憎悪を抱いていたらしき言動が伝わっています。
インディアン排斥主義者に傾倒したこともありました。その一人ヘンリー・クレイは「インディアンの消滅は損失ではない」「彼らに人間としての価値はない」などと言う超差別主義者でありまして。

人間、繰り返し同じ話を聞かされると、どんどん印象が強まっていくものです。最初はちょっとした反感だったのが、過激な人と付き合ううちに、覆しようのない固定概念になってしまったのでしょうか……。まあ、人種差別が「常識」だった時代のことなので、深い理由はないのかもしれません。

インディアン政策として悪名高い「ホームステッド法」の制定も、リンカーンが大統領を務めていた時代のことです。これは、簡単に言うとインディアンの社会慣習・文化を捨てさせ、農業を強制するという法律でした。
白人のほうが後から来たくせに、何でそんなに偉そうなんですかねぇ。

この横暴な法律に対し、何のトラブルも起きないわけがありません。
ミネソタ州のインディアンであるダコタ・スー族は、保証した年金・食料の配給を止められて、当局に訴えたものの無視されたために暴動を起こしています。これに対し、担当者は「私の目的はスー族の皆殺し」とのたまう始末。リンカーンもこれを止めませんでした。

 

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米国史上最悪! ダコタ・スー族の38人を一斉絞首刑

インディアンは友好的な白人に自ら攻撃を仕掛けることはほとんどありませんでした。
アメリカへの入植が始まった頃は、白人を襲う部族も確かにありましたが、このときの当局はダコタ・スー族が起こした暴動を「戦争」と称し、反撃という大義名分として武力鎮圧を仕掛けました。
ダコタ・スー族2000人のうち392人が軍事裁判にかけられ、そのうち38人が同時に絞首刑に処されています。これはアメリカ史上最大最悪の処刑記録です。もしかしたら世界史上でもそうかもしれません。

38人の一斉絞首刑執行を描いたイラスト/wikipediaより引用

リンカーンはその後もダコタ・スー族への年金を支払わず、この一件で亡くなった白人遺族への慰留金にあてました。
彼らこんな調子だから、ミネソタ州の役人もダコタ・スー族の絶滅に動きます。女子供問わず賞金首にし、それに煽られた人々も虐殺に加わったのです。

同じように、ナバホ族という部族も年金不払いを当局に訴えたことがあります。
しかし、ナバホ族の住む土地に金鉱があると考えられたため、アメリカ軍によってナバホ族の家や畑が焼き払われ、家畜や女性は奪われ……という惨状になりました。

生き残った人も殺されるか、ボスク・レドンド強制収容所へ送られたといいます。
この強制収容所は、アパッチ族というまた別のインディアン部族を収容するためのものでした。ナバホ族の土地からは300マイル(約483km)も離れていたのですが、そこまでの連行はなんと徒歩。日本で言えば東京~奈良を新東名高速道路で行った場合の距離(約480km)と同じです。もちろん高速道路を歩くことはできませんが、どれほどの無茶振りだったのかということがよくわかりますね。

そもそも強制連行ですから、道中でろくに食事や睡眠を取らせることもしなかったでしょう。子供や老人は、着く前に死んでしまう者も多かったといいます。

やっと着いた収容所ももちろん安穏ではなく、強制労働をさせられたり、暴力や性犯罪に遭ったりと、散々なものでした。
人種差別の話になるといつも不思議なのですが、「言葉が通じる」「子供を作れる」相手に対して、なぜ家畜以下の扱いができるのでしょうね。どちらも、同じ種族でなければできないことです。

 

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いったい何万人のインディアンが被害に遭ったのだろう……

リンカーンの死後、1868年に和平条約が調印され、それまでにナバホ族だけで2000人以上が亡くなったといわれています。
アメリカ全土で見たら、インディアンのうち何万人が被害に遭ったのでしょう。

誤解を恐れずに言えば、インディアンにとってのリンカーンは、ユダヤ人にとってのチョビ髭と同じくらい憎らしい存在のはずです。表立って言われることはないようですが……。
そう考えると単純に「偉大な解放者」などの美辞麗句だけで褒め称えるのではなく、「ただし……」としてインディアンについての行為も同時に併記すべきな気がしてなりません。彼らを「地上から解放してやったぜ」とでも言いたいのでなければ。
日本の中学歴史でも、そこまでフォローする必要はないんですかね。おそらく多くの日本人が、ただ単に「偉い人」という一面だけで評価していると思われますので。

「歴史上の人物の評価は、近い時代や後世の影響を非常に大きく受ける」ということがよくわかりますね。

長月 七紀・記

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参考:エイブラハム・リンカーン/wikipedia

 





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