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ローマ その日、歴史が動いた

人類史上最悪!? ローマ皇帝ヘリオガバルス 暴君ネロやカラカラにはない異常性とは?

更新日:

 

あまり聞き慣れないけどヤバすぎNo.1ヘリオガバルス

君主といえば、あたかも立派な人物を想像しがちです。
そして、歴史上ではそうとも限らない、というかそうではない人たちが多いのも皆さんご存じの通りでしょう。ルイ16世とマリー・アントワネットとか。最近は色々と誤解も解けてきましたけれども。
今回はその二人の誤解も余裕でぶっちぎる、人類史上最悪・最凶・最狂であろう君主のお話です。

203年3月20日は、後にローマ皇帝となるヘリオガバルスが誕生した日です。

他の皇帝にもよくあることですが、ヘリオガバルスというのは通称・自称の類であって、彼の本名ではありません。
実名は「ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス」といいますが、例によって有名なほうで統一しましょう。言いづらいし(ボソッ)

ヘリオガバルス/wikipediaより引用

 

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母がカラカラ帝のイトコという不安すぎる一族

彼の名が歴史に残ったのは、立場もさることながら、本人を含めた一族の行動がブッ飛んでいたからといっても過言ではありません。
父は元老院議員、母方はセプティミウス・セウェルスの皇妃の一族で神官の家系。ヘリオガバルスはそんな名門の家に生まれでした。
ローマ暴君の一人・カラカラ帝とヘリオガバルスの母親がいとこ同士でして、これがまた後々火種になるのですが、まずは時系列順に見て参りましょう。

ヘリオガバルスが思春期を迎えた頃、ローマではカラカラ帝が暴政のしっぺ返しを受けて暗殺され、クーデターの首謀者である近衛隊隊長のマルクス・オペッリウス・マクリヌスが即位してマクリヌス帝となりました。
彼はカラカラ帝の一族を宮殿から追放・幽閉することで、同じ家の人物が定位に就くことができないようにします。

しかし、ヘリオガバルスの祖母であるユリア・マエサは、孫を帝位につけるべく動き出しました。マクリヌス帝はパルティア王国(現在の西アジア~中東にあった大国)に敗れ、軍の信頼を失いつつあったため、今がチャンスだと思ったのです。
ユリア・マエサの娘であるヘリオガバルスの母・ソエミアスも、息子を帝位につけるために手段を選びません。
そしてとんでもないホラを吹きました。

「私はカラカラ帝の妾だったのよ! だから私の息子はカラカラ帝のご落胤!」

これにユリア・マエサが同意していたというのですから、後々のヘリオガバルスの奇行も血筋としか思えません。
二人の野心あふれる女性たちは、さらに金の力で軍の一部を買収して兵力を整えます。言ってることは完全に妄言なのに、準備の良さが不気味なほどです。

 

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マクリヌス帝を斬首刑にして皇帝宣言する

そしてカラカラ帝が殺された翌年(218年)、ヘリオガバルス側に買収された軍がローマへ。
当然マクリヌス帝は鎮圧しようとしましたが、軍の一部に背かれてしまいます。反乱者たちはヘリオガバルスを支持し、その軍列に加わりました。
つまり、「反乱を鎮圧しようとしたら敵が増えてしまった」というあべこべの事態になったわけです。

マクリヌス帝と元老院は「頭のおかしい神官の暴挙」として処理しようとしたものの、既に時勢はヘリオガバルスのものでした。ヘリオガバルスが美少年であったことも、もしかしたら人気が出た一因かもしれません。

事の重さを鑑みたマクリヌス帝は自ら軍を率いて戦ったものの、ヘリオガバルス軍に敗れた後に捕らえられ斬首刑。
ヘリオガバルスは、これによって皇帝即位を宣言します。
まだ元老院の許可は得ておりませんでしたが、マクリヌス帝を批判する手紙を送って自身の正当化を計るなど、計算高いところも見せました。
最終的に、元老院はヘリオガバルスがカラカラ帝の落胤であること、それによって帝位を継ぐことを承認します。

こうして無理矢理皇帝の地位を手に入れたヘリオガバルスでしたが、実際の統治はほとんど祖母と母によって行われました(むしろ、後の彼の無茶っぷりを考えると、その時期のほうがマシだったかもしれません)。

彼女らの統治は強引なもので、たとえば、祖母ユリア・マエサはヘリオガバルスの肖像を女神ウィクトーリア(ローマ神話の勝利の女神)の像の前に掲げさせています。
元老院議員がウィクトーリアに捧げ物をする習慣があったため、その前にヘリオガバルスの肖像があれば、ヘリオガバルスに捧げ物をするも同然の構図になるからです。
崇拝ってのは、自発的にやるからこそ価値があるわけで、無理に状況だけ作っても反発されるだけだと思うんですが……ここまでのことをやってのけるような人には、そういう視点がなかったのでしょう。

ヘリオガバルスとその祖母・母のあんまりなやりように、味方した軍も後悔し始めました。
しかし、一度皇帝になってしまったために、しばらくの間有効な手は打てずに時が過ぎていきます。

 

珍妙なのか神々しいのかわからん出で立ちでローマ市民を動揺させ

諸々の事情で、ヘリオガバルス自身のローマ到着は遅れました。
しかも到着の際は、司祭の服装にネックレスや腕輪などのアクセサリーをふんだんにつけ、冠をかぶった上に女装という、珍妙なのか神々しいのかわからん服装で、ローマ市民が動揺しております。
もう、この時点で嫌な予感がしますね。

ローマの皇帝は必ずしも世襲ではありませんでした。
が、皇帝になったからには後継者をもうける・指名するのも重要な事です。ヘリオガバルスは正直、政治的には全くの無能でしたが、この点は気にしていた模様で、そのために何度も結婚しており、その全てが相手にとっては不幸なものでした。

最初の妻はユリア・コルネリア・パウラという、ヘリオガバルスにとっては地元・シリアの貴族の娘でした。
皇后として承認されたものの、「ヘリオガバルスの趣味が異常すぎてついていけない」という理由で離婚しています。自ら見切りをつけた彼女が一番マシだったかもしれません。

二人目の妻は、アクウィリア・セウェラという女性でした。
かまどの神ウェスタに仕える巫女で、純潔を守らなければならい決まりがあったのですが、ヘリオガバルスに手込めにされて無理矢理結婚させられています。ちなみに、純潔を守れなかった場合、文字通りの生き埋めにされるという罰則もありました。それを知っていてやったとしたら相当な自己中ですよね。
しかも、ヘリオガバルスは結婚から半年経った頃に「やっぱナシ」と反故にしています。どんだけ。

三人目は、アンニア・アウレリア・ファウスティナという女性です。
五賢帝のひとりマルクス・アウレリウス・アントニヌスの曾孫にあたる人でした。道理で名前が似ているわけですね。
彼女は当時、結婚して子供が二人いながら、ヘリオガバルスによって夫を処刑され、これまた無理矢理な結婚をさせられます。旧約聖書のダヴィデ王とバト・シェバみたいな話ですね。
ダヴィデ王は神の啓示によって反省しましたが、ヘリオガバルスはそうはいきません。

彼女ともまたすぐに離婚し、二番目の妻アクウィリア・セウェラとよりを戻したと思いきや、次は奴隷のヒエロクレス(※男性)と結婚することを宣言しています。
しかもヘリオガバルスが「妻」です。もうね……。

 

もはや付ける薬のない癖には唖然とするばかり

ヘリオガバルスの嗜好について詳しく書くと、この記事がR18Gになってしまうので、マイルドに表現しますと……

・公然わいせつ
・のぞき
・セクハラ
・不倫
・人体切断

現在の犯罪でいえば、この辺を全部やっています。これじゃ皇帝でなくても大問題です。

また、同時期の歴史家によれば、「ヘリオガバルスは宮殿を売春宿にし、自ら男に体を売っていた」とか。
当然「夫」であるヒエロクレスが激怒してヘリオガバルスを殴ったところ、それを喜んでいたというのですから手のつけようがありません。

ヘリオガバルスが男娼としてふるまったことについては「トランスジェンダーだったのではないか」ともされますが、違う違う、そういう問題じゃない。
両刀使い&サディスト&マゾヒスト&トランスジェンダーとか何の四連コンボでしょうか。一つ一つは犯罪にならなければ問題ないでしょうけれども、ヘリオガバルスの場合は立場的にも道徳的にもやっちゃまずいことをやりすぎています。

他にも自分の信仰するシリアの太陽神をローマ神話のボス・ユピテル(ギリシア神話のゼウス)よりも上に位置づけたり、そのための神殿を作ったり、「やりたい放題」以外の形容が浮かばない状態。
当然、軍も近衛隊も元老院も、果ては一般市民もヘリオガバルスに耐えかねていました。さすがに帝位につけた祖母も見切りをつけ始めます。

母だけはヘリオガバルスを支持し続けたましたが、祖母はヘリオガバルスのいとこであるアレクサンデル・セウェルスを次の皇帝にしようと考えました。
そしてヘリオガバルスに、アレクサンデルを養子縁組した上で副帝とすることを認めさせます。このばーちゃん用意周到すぎるやろ。

少なくとも次の皇帝がまともになりそうなことで、近衛隊はアレクサンデルに接近しました。アレクサンデルは元からまじめな人だったので、人気はあったようです。
しかし、徐々にアレクサンデルの人気が高まっていくことに危機感を抱いたヘリオガバルスが、養子縁組を白紙にした上でアレクサンデルを幽閉し、「アレクサンデルは急死した」という偽の公式発表を行います。( ゚д゚)ポカーン
ヘリオガバルスとしてはこれで近衛隊を混乱させたかったようです。

 

最期は引き回しの上、テヴェレ川に捨てられて

ヘリオガバルスの狙いに対し、近衛隊たちの反応が真逆だったことは言うまでもありません。ついに彼らはブチ切れ、反乱を起こすのです。
ビビったヘリオガバルスは、アレクサンデルの生存を伝えて解放したものの、時既に遅し。近衛隊はアレクサンデルを歓迎し、同時にヘリオガバルスへの忠誠を拒みました。

ヘリオガバルスは母とともに捕まり、首を切り落とされた後、市中引き回しの上で切り刻まれ、テヴェレ川に捨てられたとか。

皇帝の取り巻きたちも中枢を追われ、ヘリオガバルスと祖母・母の治世はたった四年で終わりました。
元老院はヘリオガバルスの祖母・母のようなことを繰り返さないよう、女性が政治に関与することを明確に禁じ、ヘリオガバルスと揃って「ダムナティオ・メモリアエ」(記録の抹消)を受けたとか、受けなかったとか。

彼の知名度が低いのは、ネロやカラカラとは「残虐」の方向性が違うからなのでしょうね。詳述すると年齢制限がかかってしまいますし。
「数千年経っても扱いに困る君主」としては空前絶後の存在であることは間違いありません(褒めてない)。

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長月 七紀・記
参考:ヘリオガバルス/wikipedia

 





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