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アメリカ奴隷制度の歴史 そして『アンクル・トムの小屋』は上梓された

今日起きている社会問題の多くは、数十年あるいは数百年前から存在しています。
世界的規模でその典型例が人種差別でありましょう。

本日はそれを考えさせられる日。
1852年(日本では嘉永五年)3月20日は、小説『アンクル・トムの小屋』が出版された日です。

 


奴隷制度や人種差別の根深さを知る

同小説については「南北戦争のきっかけになった、奴隷制反対に関する小説」と記憶している方がおそらくほとんどでしょう。

あらすじなどはウィキペディア先生にお任せするとして、今回はこの小説が描かれた時代背景を見ていきましょう。

教科書だと紙面や時間数の都合上、一行で済まされてしまっていることですが、その背景を見ると、奴隷制や人種差別がいかに根深いものなのかということに実感が湧くのではないかと思います。

テーマがテーマですので、不快になられる方も多いでしょう。

今回は事実を事実として伝えるために、当時使われていた差別的な表現も一部使わせていただきます。
もちろん、差別を推奨するものではなく、事実提示のためですので、ご理解いただければ幸いです。

もしそういったものがどうしても生理的に受け入れられない、という方は、他のコーナーやググる先生へ脱出してくださいね。

では本題へ。

 


契約上は一定期間で解放され、現実的には……

南北アメリカ大陸では、ヨーロッパ人が植民を始めて間もない頃から奴隷が存在していました。

現在のアメリカ合衆国の原型である13植民地でも同様で、当初はヨーロッパ人の中で身分の低い人が奴隷同様になっていることもあったほどです。

しかし、この頃はアフリカ人奴隷も一定の契約期間が終われば解放され、奴隷扱いはされなくなることも珍しくはなかったとも言います。
そういう解放された「元奴隷」が財産を持って、他の人を奴隷にすることもありました。

文字通り負の連鎖ですが、その後の状態に比べればまだマシかもしれません。

現実的に「元奴隷」という身分で安定できる人はそう多くはありませんでした。
仮に、Aさんの奴隷から解放されても、財産や行き場がないためBBさんの家で再び奴隷として契約する――というケースのほうが多かったのです。

やがて奴隷は動産(物理的に動かせる財産)扱いされるようになり、だんだん人権が失われていきます。

ヨーロッパからそれなりの財産を持って渡ってくる白人も増えたため、自然と
「白人=主人」
「黒人・有色人種=奴隷」
という構図が固定されることになりました。

ヨーロッパ生まれでなければ法の保護を受けられなかったことが大きな理由の一つでした。

 


国土の拡大に伴って、奴隷も拡散

やがて時は流れ、13植民地が独立してアメリカ合衆国になり、さらに西部開拓や領地の割譲や購入によって国土は広まっていきます。
となると国民の居住範囲や耕作範囲も広がりますから、裕福な農家も徐々に移り住んでいきました。

要は「奴隷を使っていて当たり前」という認識が、国土面積の分だけ広がっていったということです。
そしてそれと同じだけ、奴隷たちからの不満も高まっていきました。

なんせこの頃の奴隷商人は、文字通り奴隷を人間とは思っていません。

奴隷を一家でまとめて買ったり、男女同数で買ったりする事が多く、その理由が「繁殖できるから」だったのです。
「繁殖用の女」などという、現在なら確実に名誉毀損な表現も頻繁に使われていたといいます。目を覆いたくなるような状況ですね。

女性に限定していたのは、白人の男性が(青少年の健全な育成のため削除)性的搾取することを想定してのことでしょう。
実際にそういうケースも多かったでしょうしね。

 

開拓は進まないわ、反抗心は高まるわ

移住というのは健康な人間でも苦労するものです。
もともと栄養状態も健康状態もよくない奴隷たちが、新しい土地でゼロからまた開拓をやらされたとしたら、どうなるか?

んなもん火を見るより明らかですが、白人の奴隷主人たちはそんなことを全く考えませんでした。
「死んだらまた連れてくればいい」程度にしか思っていなかったのですね。

これまた当然の事ながら、開拓は進まないわ、奴隷の反抗心は強まるわ、主人の懐は寂しくなるわで、いいことなど何もありませんでした。
搾取ばかりで投資がなければ利益は上がらない――そんな基本的な概念も欠如していたんですね。

奴隷たちが行う農作業の内容が変わってしまったことも、彼らの疲弊に拍車をかけました。

アメリカ東部にいた頃はタバコや小麦などを栽培していたのですが、西部に行くに従って綿花やサトウキビを作れと言われるようになったのです。
ヨーロッパで産業革命が進み、綿や砂糖の需要が上がったからでした。

ただでさえ慣れない土地で、今までやったことのないことをやらされれば、体力も頭もより使うのは当たり前です。

しかし、斃れる奴隷、主人に反乱しようとする奴隷が増えてきても、支配者側の認識は変わりませんでした。

 


「奴隷には暴力をもって働くよう促すべし」

やがて法的にも「奴隷には暴力をもって働くよう促すべし」と決められ、ますます状況は悪化していきます。

虐待の末に死んでしまう奴隷も増加。
中には逆に主人を殺したり、放火したりして犯行を試みる奴隷もいたようですが、それが全体の流れを変えるまでには至っておりません。

古代ローマの剣闘士たちのように、まとまって反乱を起こすことができれば、また違ったかもしれませんが……。

アメリカの奴隷たちの場合、武器もなければ戦闘技術もありませんでしたから、銃器が発達していたこの時代ではどちらにしろ歴史を変ることはできなかったでしょう。
よくて世界史の教科書に数行の記述が増えるぐらいでしょうか。

奴隷の女性の場合は、家政婦や庭師に近い仕事をさせられることが多かったようです。
しかしそれも楽ではなく、性的暴力も加わる上、それで子供ができても扱いが変わるわけではなく、「奴隷が増えた」としか認識されません。

むろん、白人の中にも「奴隷制ってなんかおかしくない?」と考える人がいなかったわけではありません。

独立直前の1780年には、マサチューセッツ州で奴隷制を禁じる憲法が作成。
また、1837年のニューヨークでは、白人・黒人両者を含むアメリカ人女性による反奴隷制運動が始まっていました。

この2つは結構重要なことだと思うんですが、教科書には載っていないんですよね……。

そして、「アンクル・トムの小屋」が発売されたのが1852年です。

『アンクル・トムの小屋』初版/Wikipediaより引用

 

リンカーン直々に作者と会って

この作品は奴隷反対派からは歓迎され、奴隷賛成派からは批判されました。

「ある程度、奴隷制反対の空気が少しずつ広まっている中で、より多くの人に広まりやすい”小説”という形態によって、奴隷の実態を描くことに意味があった」んですね。

それは一時のブームではなく、南北戦争が始まってから、リンカーンが作者のハリエット・ビーチャー・ストウに会った際、「あなたのような小柄な方が、この大きな戦争のきっかけになったのですね」と言われるほどでした。

どうでもいいですが、近代の戦争において「英雄」とされる人は、小柄であることも多いですよね。
ナポレオンは167cmくらいですし。
まあ、リンカーンは193cmもあったそうなので、彼からすれば誰でも小柄に見えたのでしょう。

まして女性であるハリエット相手では、正面に立って話をするのは辛いくらいの身長差があったはずですから、その功績がより大きく思えたのかもしれません。

現在でも奴隷やそれに準ずる状態の人がいなくなったわけではありません。
過去の悲惨な例を学ぶことで、現代に活かせることも多々あるのではないでしょうか。

長月 七紀・記

※初出2016年3月20日 更新2019年3月20日

【参考】
アンクル・トムの小屋/Wikipedia


 



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