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イギリス その日、歴史が動いた

イギリス、超ウルトラ空前絶後の「ブラック労働環境」は貴族が改善した

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解決に動き出したのは貴族だった

社会科や理科に分類される学問は、細分化されて教わることが多いですよね。
しかし、元々似通っている部分や関係があるからこそまとまっていたわけで、関連付けてみると興味深い点が見えてくることもあります。
本日はその一例……かもしれない、現代にも通じるあの問題をみていきましょう。

1801年(日本では江戸時代・享和元年)4月28日は、第7代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーが誕生した日です。

彼自身については由緒正しいイギリス貴族、そして議員の一人で、その生まれにふさわしいエリート……というくらいで説明が終わってしまうのですが、彼が行ったことについては、今日にも繋がる部分があります。

実は、彼が議員をやっていた時代は、イギリスで労働問題が多発していた時期なのです。
その中でもアントニーは人道主義者として、労働環境改善のための法律制定に動いたり、貧民学校の設立に取り組んでいました。

では、「なぜこの時代に労働問題があったのか?」というところからいきましょうか。

アントニー・アシュリー=クーパー/Wikipediaより引用

 

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年齢一ケタの頃から週70時間以上の重労働

大ざっぱにいうと、こんな感じの背景からきています。

【6行でなんとなくわかりそうな19世紀までのイギリス社会】
イギリスがあっちこっちに植民地を持つ

アフリカ・西インド諸島・イギリス本土で三角貿易ができるようになる

貿易でできた資金によって、産業革命(と戦争)が促される

成人だけでは労働力が足りず、老若男女問わず長時間労働・児童労働が状態化する

勤務中の事故死や、労働環境による病気による死者が多発

政府が「やべえ何とかしないと」と(やっと)動き始める ←この一員がアントニー

さらに雑にいうと「仕事の量に合わせて、後先考えずに労働時間を増やし続けたら、人がバタバタ死にまくってヤバイ」って感じですかね。
具体的にいえば、「成人の労働時間が一日12時間以上」「年齢一ケタの頃から週70時間以上の労働」などです。

当然労働者のほうでも反発しましたが、資本家のほうが勢力が強く、なかなか改善に至りませんでした。
しかし、アントニーのような篤志ある議員が改善に動いたおかげで、少しずつ下層階級の労働環境が良くなっていったのです。

 

仕事・休息・趣味8時間のスローガンができた

まず制限がかかったのは、子供や女性の超過労働が状態化していた繊維業界でした。
元々糸紡ぎや織物などは女子供の仕事とされていましたし、小柄であればあるほど機材の隙間にも入りやすいという理由で、特に子供が重宝されていたからです。

そのため、最初は繊維業向けに「工場法」が定められました。
1833年にまず9歳未満の子供の労働が禁じられ、9~18歳までは週69時間までに制限がかかりました。同時に、監督官の配置も義務化されています。
この工場法の対象が1867年に拡大され、繊維業だけでなく労働者50人以上の工場全てに広がり、1874年には週56時間労働制が義務付けられています。内訳は「月~金曜は一日10時間まで+土曜は6時間まで」です。

また、この時代に週八時間労働制という概念も生まれました。
「仕事に8時間、休息に8時間、趣味に8時間」というスローガンが叫ばれ、工場法の制定に至ったという面もあります。

実際は多くの人が身支度や食事などで「趣味の8時間」の大部分を消費していたでしょうけれども、こういうのはまず目標を立てるのが大事ですからね。

 

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義務教育が国力を向上させた!?

こうして少しずつではありましたが、イギリスの労働環境は改善されていきました。

実は、これは同国の教育状況にも良い影響を及ぼしています。工場法が改良されつつあった最中の1870年に、イギリスでは5~13歳の義務教育が始まっているのです。
確立したのは1876年頃でしたが、もしもこの頃までに「子供には労働でなく勉強をさせるべき」という考えが生まれていなければ、産業革命も中途半端なものになっていたかもしれませんね。

基本的に、より高い教育を受けた人が多いほど、国力は豊かになりますから。

それをよく表しているのが、同時期のプロイセンです。
プロイセンでは1713年に5~14歳の義務教育が始まり、19世紀後半にはほぼ100%の就学率となっていました。

つまり、ナポレオン戦争をやっていた頃のプロイセンでは、少なくとも半数以上の人が義務教育を受けていたことになります。これが最終的に巻き返せた理由の一つかもしれません。

ちなみに、フランスで義務教育が始まったのは、ナポレオン戦争から半世紀以上後の1882年。
この辺を絡めてナポレオン戦争の経過をもう一度見てみると、興味深い感じになってきます。
戦争と教育は一見関係ないというか、相反するようにも思える要素ですが、実は密接に関わっているんですね。

長月 七紀・記

以下の関連記事も合わせてご参照ください。

人がゴミのよう!に扱われた英国ブラック労働の過酷すぎる歴史 これぞ大英帝国の陰なり




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参考:アントニー・アシュリー=クーパー_(第7代シャフツベリ伯爵)/Wikipedia 工場法/Wikipedia 八時間労働制/Wikipedia




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