ジェームズ1世-(スコットランド王)/wikipediaより引用

イギリス その日、歴史が動いた

スコットランドのジェームズ1世はイングランドで人質18年 独立したくて当然だ

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1437年(日本では室町時代・永享九年)2月21日、スコットランド王ジェームズ1世が暗殺されました。

イングランドと比べると、世界史の登場頻度が少ないスコットランド。

「あぁ、ウイスキー?」
「ギネスってスコットランドだっけ?」
という程度の印象じゃありませんか?

ちなみにギネスはアイルランド産のビールですので間違いにご注意を。

ともかく、スコットランドという国は常にイングランドに振り回されてきたといっても過言ではありません。

同じ島の中で地続きですから当たり前といえば当たり前ながら、日本人からするとちょい不思議な感覚。
強いて言えば、関東と機内、四国などがそれぞれ別の国で争うみたいな感じでしょうか。

詳細は割愛しますが、これに対抗すべくイギリス以外の国と同盟を組むことが多かったため、さらに話のややこしさに拍車をかける展開。
今回お話しするジェームズ1世にも、フランスとスコットランドの同盟が大きく影響しています。

 

兄の死に不信を抱き、弟はフランスへ

彼はスコットランドの第三王子でした。

が、暗殺を恐れた父王・ロバート3世によって、同盟国フランスに保護してもらうべく送り届けられています。
お兄さんのデイヴィッドが政治上のゴタゴタで幽閉中で、不審な死に方をしたからです。

つまりこの死は、スコットランドの重臣にイングランド寄りの人がおり、何か企んでいたと思われますが、案の定真相は闇の中。
それで、せめてジェームズだけでも……というわけで、安全なところへ逃がそうとしたのです。

が、途中で上記の重臣がそれを察知。
密かにイングランドと連絡を取り、イングランドの船がジェームズの乗った船を襲い、囚われの身になってしまいました。

何かどこかで聞いた話だと思ったら、徳川家康の小さい頃と同じような経過なんですね。人間どこでも考えることは同じということでしょうか。

ロバート3世と王妃アナベラ/wikipediaより引用

ロバート3世と王妃アナベラ/wikipediaより引用

捕まってしまったジェームズはしばらくの間、家康と似たような境遇に立たされます。

まずイングランドからは身代金が要求されます。
ジェームズが捕まったことを知った父・ロバート3世はショックで倒れ、そのまま亡くなってしまいました。

後に残ったのは、イングランドと通じていた重臣をはじめ、王子奪還に消極的な者ばかり。
当然、身代金を払おうとするわけがなく、その結果ジェームズは18年もの間イングランドで暮らすことになったのです。

 

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30歳でようやく帰国! 英貴族の嫁と一緒に愛する国へ

しかし、この頃既に百年戦争が始まっていたことがジェームズの不幸中の幸いでした。

イングランドが有利なうちは、
「わが国の余裕を見せ付けてやるわいガハハハハ」(※イメージです)
ということで扱いが良くなりました。

さらにその王様(ヘンリー5世)が急死してイングランドが混乱すると
「今フランスに攻め込まれたらヤバイ! スコットランドの機嫌も取っておこう(gkbr)」(※同)
ってなわけでさらに厚遇されるようになります。

でも、帰しては貰えないんだなぁ。

神の恩寵かただの悪運かその両方か――とりあえずジェームズは王族としての生活や教育を与えられました。

スコットランドでジェームズの奪還に最も消極的だった重臣(というか誘拐の黒幕)が亡くなると、国元でようやく「王子様を返してもらおう!」という動きが強まります。

このときジェームズ、既に30歳。
帰国後は正式にスコットランド国王として即位し、精力的に仕事をしていきます。

ちなみにイングランド暮らしの間にジョウン・ボーフォートという貴族の女性と恋仲になり、共にスコットランドに行って結婚しました。

ジェームズ1世と奥さんのジョウン・ボーフォート/wikipediaより引用

ジェームズ1世と奥さんのジョウン・ボーフォート/wikipediaより引用

人質生活の割にのんきというか余裕がありますが、これは上述の通り「外国の賓客」扱いもあったからでしょうね。

二人は夭折した者を含めて8人の子供に恵まれ、夫婦仲が良かったことがうかがえます。
国家間も同じようにいったらいいんですけどねぇ(´・ω・`)

 

ジェームズの親政はじまった

即位してジェームズ1世となった彼は、王様としては果断なタイプでした。

まず留守中に専横を働いた貴族達を処刑し、積極的に親政を行います。
器用なことに、国内の制度にはイングランドのものを取り入れつつ、外交ではフランスとの連携を強化するという離れ業をやってのけました。

彼にとっては、人質生活ではなく留学のようなものだったのかもしれません。

この間ジャンヌ・ダルクが登場し、百年戦争はクライマックスに突入。
彼女の配下にはスコットランド兵も多かったそうです。

しかし、こうしたヤル気満々の王様は、貴族達にとっては目の上のたんこぶに等しいものでした。

「王様反対!」でまとまった彼らは、ジェームズ1世が修道院に泊まっていたところを襲撃して、自分達の王をブッコロしてしまいます。

首謀者にはジェームズ1世の親族も多々いたといいますから、ホント何というか何とも言えないというか……。

 

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だから独立問題は終わらない

首謀者たちはすぐ捕まって処刑されたのでまだマシ。
と思いきや、その後のスコットランドの王様が立て続けに戦争で亡くなり、天寿を全うする者がない時代が続きます。

そしてメアリー・スチュアートの時代にようやくある程度まとまったかと思えば、彼女自身の行いによってますます話がこじれ、落ち着くのは約170年後(!)で、17世紀の話です。

よくその間国を保てたものです。

お偉いさんより民衆が頑張っていたからなんでしょうねぇ。
政治がどうなろうと、一般人が団結していれば「あの家はダメだったから今度はこっちの家に王様やってもらおうぜ!」ってな動きになっていきますし。

それだけの団結力と独自の文化諸々があれば、そりゃあ現代になっても独立うんぬんが叫ばれるわけで。

アレ、一度は落ち着きましたけど、おそらく今後も出てくる話でしょうね。

日本人からすると複雑怪奇に思える大英帝国内のゴチャゴチャ。

タネを明かせばそんなこんなの繰り返しと知ると、またちょっと違う見方ができるかもしれません。

長月 七紀・記




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【参考】
ジェームズ1世 (スコットランド王)/wikipedia

 



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