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【駅弁の歴史】宇都宮でおにぎりとたくあんが売られたから7月16日は駅弁記念日

毎年7月16日は「駅弁記念日」です。

明治十八年(1885年)に、宇都宮駅でおにぎりとたくあんのセットが売られたことにちなむそうで。
発祥については諸説あるのですが、当時はこれほど定番化・名物化するとは思われていなかったからか、はっきりとした記録がないようです。

ちなみに4月10日は「駅弁の日」というまた別の記念日だそうで……なぜ統一しなかったし。

まあそれはともかく、駅弁の歴史を見ていきましょう。

photo by naitokz@flicker

駅弁の王様といえばコレ!北海道森駅の「いかめし」です!/photo by naitokz@flicker

 


高度経済成長期の旅行ブームで注目されるように

日本に列車が走るようになったのは、皆さんご存知の通り明治時代です。

当時の物価や経済状況からすると、誕生した直後の駅弁は、今ほど身近な存在ではありませんでした。
ちょっと懐に余裕があるような人が、小腹を満たすために買うものというイメージだったようです。

その後、大正時代から第二次世界大戦にかけても、世界恐慌や凶作の影響もあり、庶民に身近なものとは言いがたい状況。
戦後もしばらくは状況が改善せず、お弁当を買って食べるということ自体が相当な贅沢という時代が10年以上続きます。

テコ入れになったのは、東海道線や各方面への新幹線など、国内の長距離列車が運行し始めたことです。
さらに高度経済成長期を迎え、いわゆる「国民総中流社会」になると、旅行ブームが巻き起こりました。

『長距離列車に乗っている間、食事をどうするか?』
そう考えたとき、「そうだ、昔は駅で弁当を売ってたというじゃないか!」と目をつけた人々が、それぞれ工夫を凝らして駅弁を作り始めます。

1902年の駅弁販売の光景/Wikipediaより引用

 


首から箱を吊り下げて売り歩く「立ち売り」が始まった

いわゆる「立ち売り」が始まったのもこの頃でした。
箱を首から吊り下げて売り歩くアレです。

これは個人的な推測ですが、その頃の列車は窓を開けられるものが多かったので、「こうすれば、列車に乗った後の人にも売れる!」と考えたことから始まったのでしょうね。

商魂たくましいだけでなく、当時は食中毒防止のため、
「製造から4時間以内で売り切らなくてはいけない」という制限がつけられていたことも関係していると思われます。
そう考えるととても合理的です。

立ち売りの他にも、ホームに駅弁を積んだワゴンを引いていって売ることも多かったようです。
どちらも今では廃れてきてしまっていますが、暑さ寒さのことを考えると、キオスクのように店舗形式のほうがいいのかもしれません。窓が開けられない列車も増えましたし。

その後、外食や駅ナカ、コンビニ弁当などに押されて、駅弁はかつて程の売り上げにはならなくなってしまっているようです。
これまた寂しい話ですが、その代わりにデパートなどの物産展で息を吹き返した駅弁もあります。
「もう駅関係ないじゃん」とかいわない。

「峠の釜めし」(横川駅)や、「いかめし」(森駅)、「ますのすし」(富山駅)あたりが常連かつ人気ですね。
肉系だと「網焼き牛たん弁当」(仙台駅)や、「牛肉どまん中」(米沢駅)でしょうか。

関東から上信越へ旅するときには誰しも一度は口にする「峠の釜めし」。美味です♪/Wikipediaより引用

関東から上信越へ旅するときには誰しも一度は口にする「峠の釜めし」。美味です♪/photo by Tatsuo Yamashita

 


「豚一様」と呼ばれるほど豚肉が好きだった徳川慶喜

歴史に関係ありそうなところで行くと、「慶喜(けいき)弁当」(静岡駅)なんてのもあります。

徳川慶喜が晩年を静岡で過ごしたことから来ているそうで、複数のメーカーが作っているようです。
慶喜は「豚一様」と呼ばれるほど豚肉が好きだったという逸話がありますが、他にも慶喜が好んだとされるおかずが入っていたり、葵御紋を模した巻き寿司が入っていたりと、なかなか面白そうですよ。

駅弁のメーカーも上記の流れにより、なかなか生き残るのが難しくなっているようですが、駅弁だけでなく食品メーカーとして歩むことによって、新たな立ち位置を獲得した会社もあるようです。シウマイでおなじみの横浜・崎陽軒などですね。
ちなみに「崎陽」とは創設者の出身地である長崎の美称なのだそうで。へぇへぇへぇ。

他にも、飛行機の中で食べられる「空弁」に進出している駅弁メーカーもあります。モノは同じだそうですが、うまければ大丈夫だ問題ない。

豚一様こと徳川慶喜さん/Wikipediaより引用

 

駅弁はナゼ世界へ広まらない? というか弁当自体があまりない?

ところで、これだけクールジャパンだのグローバル化だのと言われていても、駅弁はあまり世界に広まらないようで。
外国の例も調べてみたのですが、そもそも「弁当」というものに馴染みがないせいか、台湾や韓国、中国、モンゴルなど、東アジアで日本の駅弁に割と近いものがあるくらいで、他の国にはないようです。

まぁ、東南アジアではビニールに入れたままで売られたり、そのまま果物や焼き鳥を頬張ったり、似たようなカタチでは売られてるんですけどね。

ヨーロッパでは、食堂車がついていて「弁当」にこだわる必要がないのもあるかもしれません。
途中駅で停車中に買い物をする時間もありますので、そこで軽食を買う人が多く、駅弁は広まらないみたいですね。

まあ、弁当箱をやたらめったら綺麗に詰めるのって日本ぐらいのものですし、衛生事情を整えないといけませんし、そもそも日本の長距離列車に途中停止時間はほとんどないですから、この辺は国民性なのでしょう。

まぁ、なんにせよ旅のお伴の駅弁って最高ですよね。
日本人に生まれてきてよかった――と思える一つの例かもしれません。

長月 七紀・記

【参考】
駅弁/Wikipedia
駅弁の小窓
東海軒
竹酔


 



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