わかりやすいですね。
おやつや朝食・間食でおなじみの果物ですが、意外に(?)長い歴史と文化的側面を持っています。
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温暖な地域で重宝され、稲作地帯では広がらず
バナナの栽培が始まったのは、いつの頃だったのかわからないほど古い時代のこと。
一説には数千年前~1万年前と考えられております。
当初は東南アジア~ニューギニアにかけて栽培されていました。そして、この地に住んでいたマレー・ポリネシア系民族がフィリピンやインド、そして太平洋の島々に移住していった際、栽培方法も伝わったと考えられています。
しかし、稲が育つ地域では米のほうが食糧として優れていたため、バナナの地位は高くなりませんでした。米はバナナに比べて、貯蔵期間や収穫量で大きなアドバンテージがあったからです。
現代では料理用バナナも多く作られていますが、米ほど長く保存できませんしね。
バナナが重要な作物になったのは、マダガスカルやアフリカなどでした。
そういった地域ではヤムイモが主食とされていたのですが、バナナのほうが収穫量が多く、熱帯雨林でも育ちやすいというメリットがあったためです。
更には安定した収穫により、これらの地域の人口が増え、経済基盤が整い、文化や国の発展に繋がっていきました。
そして、ヨーロッパ諸国がアフリカに進出した後、南米大陸や周辺の島々への移民と同時にバナナの栽培方法も伝えられます。
逆に、17世紀には南米からアフリカへキャッサバというイモの一種が伝わり、より優れた食糧とみなされたため、バナナの栽培が縮小するということもありました。
全く食べられなくなったわけではないのですけれどね。
19世紀後半からアメリカ主導で大規模生産が進む
さらに19世紀の後半以降になると、アメリカ資本で中南米各地やフィリピンに大規模なバナナのプランテーションが作られ、現地の主要輸出品となっていきます。
現在でも日本で食べられているバナナのほとんどはフィリピン産ですよね。
アメリカ主導で大規模生産が進んだため、冷戦時代には東側=共産圏=ソ連関係の国ではバナナがあまり出回らず、贅沢品とみなされていたそうです。
よく引き合いに出されるのは旧東ドイツで、今でも「旧東ドイツ人はバナナが大好き」というエスニックジョークがあるとか。
日本でも戦後しばらくバナナが高級品だった時代があり、これも同様の理由です。
もっとも、日本では1963年にバナナ輸入が自由化されたため、現在では旧東ドイツほど高級品イメージは強くありませんよね。
むしろ安価で美味しく栄養価も高い――そんな捉え方でしょうか。
「おやつに入るのか」という話は、輸入が自由化された頃、もしくはされる前の時代に出始めたもののようです。
上記の通り、バナナは地域によっては主食になるほど栄養価的に優れていますから「おやつ」というのも違和感があり、さらに金額的にも他のお菓子と比べて値が張ったから……というのが真相でしょうかね。
「バナナ型神話」石がよいか?バナナがよいか?って、無茶振り過ぎ
さて、実際のバナナからは少々離れ、神話の世界で「バナナ型神話」というものがあります。
元はスラウェシ島(インドネシアの”k”みたいな形の島)に伝わる神話で、こんな感じの話です。
昔、人間は天上にいる神様から食べ物などを下ろしてもらって暮らしていた。
ある日、神様は何を思ったか石を下ろした。
そこで人間は「この石をどうしたらいいのかわかりません。何か他のものをください」と神様に頼んだ。
そうすると神様は石を引き上げ、代わりにバナナを下ろした。
人々は喜んでバナナを食べたが、神様は「お前たちは不死である石を拒み、バナナを選んだから、その命もバナナのようにあっという間に終わるだろう」と言った。
こうして人間は短命になった。
というものだそうです。
そんなん最初に説明しないとわからんやろ(´・ω・`)
こうした「目先の利益に釣られたがために、人間は大損をして苦しむことになった」という話をまとめて【バナナ型神話】といいます。
また、バナナそのものはは出てこなくても、「一見スゴイ価値に見えるもの」と「パッと見ではわからないが、秘めた価値を持つもの」の二者択一という話は、日本神話や旧約聖書にもみられるものです。
日本神話の場合
天孫降臨で有名なニニギノミコトは、地上に降りた後、国津神(元々日本の大地にいた神様)オオヤマツミから娘二人を妻にもらいました。
姉は不美人だが長寿のイワナガヒメ。
妹は美人だが短命のコノハナサクヤヒメです。
コノハナサクヤヒメは、富士山に祀られていることでも有名な女神ですね。
ニニギノミコトも神様とはいえ男性だからか、美人の妹だけを娶って姉を親元に返してしまいました。
そのため、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた子孫は短命となった……というものです。
それでも神武天皇以前の寿命は割ととんでもないことになっていますが、その辺はツッコんではいけないところなのでしょうね。
旧約聖書の場合
有名な「アダムとイヴは”知恵の木の実を食べてはいけない”と神に言われていたが、蛇にそそのかされて知恵の実を食べたため、エデンの園を追放された」という話が、バナナ型神話の類型とされることがあります。
実は生命の木の実というものもあり、こちらは食べることを許されていました。
そのため、楽園を追放される前のアダムとイヴは長命だったことになっています。
しかし知恵の実を食べて楽園を追放された=生命の実も食べられなくなってしまったがために、人類は短命になった……というわけです。
ちなみに、中東ではバナナのことを「エバ(イヴ)のイチジク」と呼ぶことがあり、アレクサンドロス大王もインドへの遠征中にバナナを「イチジク」と記したそうです。
また、知恵の実は現在ではリンゴのイメージが強いですが、これは誤訳であり、元はイチジクと書かれていたという説があります。
この地域における当時のイチジク=バナナのため、「旧約聖書の知恵の実はバナナである」とする説もあるとか。
リンゴはそもそも中東じゃ育ちませんしね。
この他、ギリシア神話やギルガメシュ叙事詩にもバナナ型神話と呼べる話があるようです。
これだけ広い範囲に類似の話があるとなると、もしかしたら、言語が生まれた頃からある話なのかもしれませんね。
人類発祥の地の候補の一つ・タンザニアでもバナナが栽培されていますし。
子供の栄養源やダイエット、スポーツ選手のお供としても馴染みのある一般的な果物が、最も古い時代における人類文明の謎が隠れているかもしれない……と考えると、なんともいえない奥深さを感じます。
長月 七紀・記
【参考】
バナナ/wikipedia
バナナ型神話/wikipedia