『メディチ家 ルネサンス・美の遺産を旅する (別冊家庭画報) (→amazon link)』

イタリア 歴史ウォーカー

【3分で読める】イタリアの華麗なる一族・メディチ家の歴史まとめ

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イタリアの古都フィレンツェといえば、ルネサンス芸術の都として有名ですよね。
憧れの旅行先として日本人の間でも非常に高い人気を誇っています。

そんなフィレンツェも、最初から世界的芸術都市だったわけではありません。
15世紀~18世紀にかけて、フィレンツェの大発展を成し遂げた華麗なる一族がおりました。

ご存じメディチ家です。

今回は『メディチ家 ルネサンス・美の遺産を旅する (別冊家庭画報) (→amazon link)』からメディチ家の中でも特に功績の大きかった人物にスポットを当てて、華やかな歴史の舞台裏を覗いてみましょう!

 

ローマ教皇やフランス王妃をも輩出した名門一族の歴史を辿れば、あなたもセレブ気分に浸れるかも?

 

メディチ家が同じような名前の人ばかりの理由とは

メディチ家がフィレンツェの歴史に登場するのは13世紀。
12世紀の先祖が商業か金融業を営んでいました。

この時代は祖父や父親の名前が息子に繰り返してつけられていたため、同名の人物が多くいます。

そこで、同名の人物を区別するために使用されたのが尊称やあだ名です。

「ディ・ビッチ」
「イル・ヴェッキオ(老)」
「イル・マニフィコ(偉大・豪華)」
といった名称は、尊称やあだ名であり、苗字ではありません。

同じ一族のはずなのに、ぱっと見だと全員違う苗字がついているように思えて「あれ?」という感じですよね。
実は背景にそんな理由があったんですね。

 

◆メディチ家の始祖 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ

メディチ家の歴史は、このジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360~1429年)から始まります。

ジョヴァンニ・ディ・ビッチ/wikipediaより引用

ジョヴァンニは教皇庁の金融業者となり、1397年にローマからフィレンツェに本店を移設。
メディチ銀行を創設したといわれています。

新しい建築計画に対して積極的に経済的支援を行ったり。
洗礼堂の門扉の製作者を決めるコンクールの審査員を務めたり。

フィレンツェの芸術分野発展に大きく関与していました。

財政的理由により頓挫していたサン・ロレンツォ教会の再建費用を自ら賄ったことからも、芸術に対する熱意の高さが伺えます。

また、ジョヴァンニは政治面でも活躍しております。

貴族達の猛反対をしりぞけてゴンファロニエーレ(市政府の行政長官)に選ばれると、貴族ばかりが得をして市民が損するような法案の成立を阻止!
市民から非常に高い人気を得ていました。

「できるかぎり目立たぬように振る舞い、嫉妬や羨望を招かないように」
という処世訓と莫大な遺産を2人の息子に残し、その成功に満ちた生涯を終えました。

 

◆「祖国の父」コジモ・イル・ヴェッキオ

ジョヴァンニの長男・コジモ(1389~1464)。
死後墓石に「祖国の父」との尊称が刻まれるほど傑出した人物でした。

でも最初から順風満帆だったわけではありません。
彼の人生はまさに波乱万丈です。

コジモ・デ・メディチ/wikipediaより引用

当時のフィレンツェはアルビッツィ家やウッツァーノ家を中心とする少数貴族の専制化にあり、コジモはこの体制に不満を持つ市民から支持されていました。

コジモの台頭を恐れたアルビッツィ派は、
「コジモには社会的階級を飛び越えようとする野心があり、共和制には脅威」
との罪名で彼を政庁舎に監禁。

メディチ家支持派勢力のおかげで死刑は免れたものの、フィレンツェから追放されてしまいました。

1年後、メディチ支持者が多数派となる政府が選出され、メディチ家追放令が撤回になります。
そしてコジモはフィレンツェに帰還後、その財力と名声で強固な権力体制を確立しました。

このような政治的な成功だけでも十分すごいのですが、芸術の発展に対する貢献度の高さにも驚かされます。

コジモは金融業で得た巨万の富を、学問と芸術の保護に費やしたのです。

ギリシャ古典研究サークルを作って自ら参加したり、別荘で行われるサークルやサロンを学者・文人・芸術家達に開放したり。
彼のこうした活動が後のルネサンス文化隆盛の礎となりました。

 

◆「豪華王」ロレンツォ・イル・マニフィコ

人々から「イル・マニフィコ(偉大)」と呼ばれたロレンツォ(1449~1492)。
フィレンツェの芸術を語る上で絶対に外すことのできない存在です。

ロレンツォ・デ・メディチ/wikipediaより引用

ロレンツォはコジモの孫で、政治・学問・芸術など様々な方面で卓越した才能を持っていました。

彼の時代にルネサンス文化は最盛期を迎え、多くの傑作が生み出されています。

ボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』(ウフィツィ美術館所蔵)は、ロレンツォの弟ジュリアーニの騎馬槍試合について詠った長編詩をテーマにして描かれたと言われています。

プリマヴェーラ/wikipediaより引用

ロレンツォが又従弟の結婚のために注文したとの説。
自身が部屋に飾るために注文したとの説。
など、この絵画に関する解釈や制作年代については諸説ありますが、ロレンツォの存在があったからこそ生まれた傑作と言ってよいでしょう。

また、彼はあのミケランジェロ・ブオナローティやレオナルド・ダ・ヴィンチとも深い関わりがあります。

少年だったミケランジェロの牧羊神の彫刻を見て感嘆したロレンツォは、彼を自宅に連れて住まわせたそうです。
彼らの関係は、ロレンツォの息子ジョヴァンニが教皇レオ十世になってからも続きます。

今なお世界中の人々から愛されるミケランジェロ作品の数々は、メディチ家からの支援があってこそ誕生したと考えると、とても感慨深いですね!

ミケランジェロ『サン・ピエトロのピエタ』/wikipediaより引用

一方、レオナルド・ダ・ヴィンチはロレンツォから「最良の画家」との推薦を受け、有名な自薦状を書いてミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの絶頂期の宮殿をはじめ、ミラノに17年ほど滞在。
名作『岩窟の聖母』(ルーブル美術館所蔵)を完成させています。

ミケランジェロとダ・ヴィンチ、2人の天才がその実力を遺憾なく発揮できたのは、ロレンツォがいたからこそだと言っても過言ではないように思えます。

岩窟の生母/wikipediaより引用

 

ほかにもメディチ家はすごい人物がいっぱい!

以上、ルネサンス芸術と特に関わりの深い3人をピックアップいたしました。

もちろんメディチ家には他にも興味深い人物が目白押し。
興味を持った方は、ぜひ調べてみてくださいね。

今回取り扱った別冊家庭画報は、メディチ家が蒐集した美術品のカラー写真が満載で、美術好きの方にはたまらない内容になっています。

また、メディチ家の至宝が見られる施設をまとめたページもありますので、「実際に自分の目でメディチ家のコレクションを見たい!」という方にもピッタリですよ。

大塩銀次郎・記

【参考】
『メディチ家 ルネサンス・美の遺産を旅する (別冊家庭画報) (→amazon link)』

 



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