新聞業界には「大事件は、次に起きた大事件によって世間から忘れ去られる」という言葉があります。
実際、年末の「今年の10大事件」という特集などで「あっ、そういやこんな事件あったよねぇ」と思い出す例は、皆様にもございましょう。
今から紹介するのも、そうした記事の1つ。
約100年前の1914年5月29日、カナダでエンプレス・オブ・アイルランド号という豪華客船が沈没しています。
凄まじい数の死者が出て、同国などで大騒ぎとなったのですが、それから程無く第一次世界大戦が勃発。
世間の関心がそちらに向けられ、いつしか事件そのものが忘れ去られてしまったのです。
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エンプレス・オブ・アイルランド号の沈没事故
事故が起きたのは1914年5月29日の午前1時55分。
セントローレンス川の河口のポワント=オー=ベールという所で発生しました。
エンプレス号はカナディアン・パシフィック所属で、全長170メートルの豪華客船。
リバプールとケベックを往復していたのですが、ノルウェーの貨物船、ストータッド号に衝突され、船体に32平方メートルの大きな穴が開き、15分足らずで沈んでしまいます。
当時、濃霧が立ちこめていたそうで、乗船していた1477人の内、1012人が亡くなっています。
そうした悲劇から100年を経て、遺族の子孫(曾孫に当たるそうです)らが集まり、追悼の音楽演奏などをしています。
事故2か月後に第一次世界大戦勃発で忘却
事故がタイタニック号の遭難(犠牲者約1500人)から2年後に発生し、かつ、2ヶ月後に第一次世界大戦が勃発してしまったので、これだけの死者にもかかわらず、今ではすっかり忘れ去られてしまいました。
何しろ「河口に何か沈んでいるぞ!」と地元のダイバーが気づいたのが、事故から50年後の1964年。
関連文献として『忘れ去られたエンプレス』という著書が出たのが1998年という有様です。
「ともすれば、タイタニックの悲劇の方に関心が向けられ締まっているが、記憶されて然るべきだ」(カナダ歴史博物館のキュレーターを務めるジョン・ウィリス氏)
ということから各地で秘話が発掘されている次第だそうです。
『忘れ去られたエンプレス』を書いたデビッド・ゼニ氏も、ようやく世間の関心が向いた事を喜んでいる一人。
御本人も、ダイバーの発見によって、悲劇を知った口だったそうですから、思えば気の毒な船ではあります。
なお、船は水深47メートルの海底に横たわっているそうです。
この事故で大きな痛手を受けたのが、当時のカナダ救世軍。ロンドンで開催される国際大会に出席するべく、167人が乗船していたからです。
死者は128人にものぼりました。
アルドリッジという、当時30歳だったメンバーは、救世軍で演奏を担当していましたが、事故直前に乗客に楽しんで貰おうとデッキで音楽を流していたそうです。
こうした経緯もあって、追悼式典には救世軍の関係者が多数出席していました。
事故後、ケベックで海難審判
さて、この事故の原因なのですが、未だに良く分かっていないのだそうです。
事故後、ケベックで海難審判が開かれます。
この時、英国側からメーシー卿という人物が調査の為に派遣。
1912年のタイタニック号遭難の年にも調査に当たったそうです。
事故の25分前(つまり午後1時30分)、シドニーからモントリオールに向かっていたストータッド号はエンプレス号を発見します。
双方の距離は、まだ1キロ。
しかし、この直後から霧となります。何しろ、船の端っこが見えなくなるくらいの濃さです。
悲劇だったのは、船長のヘンリー・ケンダールがカナディアン・パシフィックのベテランではあったものの、よりによってエンプレス号の操舵をするのが初めてだった事でしょう。
審判の席上でメーシー卿は
「分別のある船乗りなら減速するなり停船するなり、今まで教わったあらゆる適切な措置を取ろうとは思わなかったのかね。隔壁を閉鎖し、停船信号を出したり、警笛だって鳴らせただろう?」
とケンダールを非難したそうです(ゼニ氏による)。
一方、ケンダールはストータッド号とエンプレス号には氷山を破砕する為、船首を尖らせた設計となっていましたが、これが仇となり、エンプレス号の右舷に衝突してしまったと証言しています。
ところがゼニ氏(アメリカ海軍の退役将校だそうです)によると、どうもこれが怪しいのだとか。
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