サン・バルテルミの虐殺

サン・バルテルミの虐殺/wikipediaより引用

フランス

結婚式を機に国中で大虐殺が勃発!サン・バルテルミの虐殺からユグノー戦争へ

お呼ばれマナーというのはなかなか面倒なもので。

とりわけ結婚式における験担ぎはウンザリするほど多いものです。

のし袋の水切りは結び切り。

招待状への返信には句読点を使わない。

女性のドレスで二色のものは駄目……等々、おめでたい席だから、ともかく縁起の悪いことは駄目、ということですね。

しかし、これは平和な世を生きる現代人だからこその考え方です。

「結婚式? 招待客多いじゃん! 謀殺に最高のシチュエーションじゃん!」

乱世ともなれば、そんな逆転の発想を企む者が出てきます。

2016年度大河ドラマ『真田丸』でも、祝言の場が暗殺に利用されていました。

黒田如水の妹夫妻も、祝言で殺されてしまいました。

中でも極めつけは、結婚式のはずが“国土全体が虐殺”になってしまったという【サン・バルテルミの虐殺】ではないでしょうか。

事件は1572年8月24日に勃発しました。

サン・バルテルミの虐殺/wikipediaより引用

 


アンリ二世の娘・マルゴ王女は絶世の美女だった

この悲惨な結婚式の花嫁は、マルゴことマルグリット。

1553年のフランスにて、アンリ二世とカトリーヌ・ド・メディシスの三女として生まれました。

カトリーヌはさほど美人とは言われていませんでしたが、マルグリットは絶世の美女であり、周囲から可愛がられました。

マルゴことマルグリット・ド・ヴァロワ/wikipediaより引用

両親からは賢さも受け継いでおり、語学も哲学もよくこなしました。

そんな美少女ですから、誘惑も多かったのでしょう。

マルゴは密かにギーズ公アンリと恋仲になりました。

この恋を知った母親のカトリーヌは、マルゴをベッドから引きずり出します。

「何てことをするのよ!」

カトリーヌとアンリ二世は娘を叩いてしかり飛ばし、ギーズ公アンリを宮廷から追放したのでした。

 


カトリックとプロテスタントを結ぶ婚礼

マルゴの初恋は終わりました。

19才になった彼女は、カトリーヌによって政略結婚をさせられます。

お相手はナバラ国王のアンリです。

アンリ4世/wikipedia

ナバラ王国はピレネー山脈にある小さな国で、プロテスタントを信仰していました。

当時激化していた宗教戦争を緩和するため、カトリックのフランス王家と、プロテスタントのナバラ王家が婚姻によって結ばれようというわけでした。

この婚礼がうまくいけば、両者は関係改善されたでしょう。

うまくいけば……。

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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