エヴァリスト・ガロア

エヴァリスト・ガロア/wikipediaより引用

フランス

壮絶!一対一の決闘で死んでしまった天才数学者エヴァリスト・ガロア

一対一の勝負ってロマンがありますよね。

ただし、それはルールがきちんと決まっていて、公正な審判がいる状況でなければ成り立ちません。

1832年(日本では江戸時代・天保三年)5月31日、フランス人数学者のエヴァリスト・ガロアが亡くなりました。

原因は、決闘で負った傷です。

学者さんが決闘?

血糖値の間違いじゃないの?

なんてツッコミが来そうですが、理由としては彼自身の性格が半分、この時代のフランスというお国柄が半分というところでしょうか。

ともかく彼の生涯を見ていきましょう。

 

子供の頃は、性格の明るい両親や姉弟に恵まれ

彼の両親は、共に教職や学者を多く持つ家系でありました。

アタマが良いからと言っていわゆる頭でっかちでもなく、姉や弟を含めて明るい家庭だったそうです。

おそらくこの時代が彼の一番幸せな時期だったでしょう。

12歳でパリの名門寄宿校に入った後は、何だかんだと波のある人生を送ることになります(半分は自業自得ですが)。

当時、その学校は校長と生徒の間でたびたび衝突が起きており、ガロアも単なる優等生ではなく、いろいろ思うところがあったのでしょう。

二年生のときにはそれに影響を受けすぎたからか。

体調が思わしくなかったからか。

留年してしまいます。

エヴァリスト・ガロア/wikipediaより引用

しかし元々頭がいいこともあって退屈し、暇つぶし程度に数学の授業を選択したことで、ガロアの人生は大きく変わっていきます。

当時フランスでは数学という学問が重視されておらず、必要な人だけが選ぶものでした。

 

二年分の教材を二日で読み終えてしまった!?

ガロアは、そこでルジャンドルというフランス人数学者の本と出会い、すっかり数学の虜になってしまいます。

なんだかマンガのような学者さんですが、実際、そういうハマり性ゆえに学者になれるのでしょう。

数学に限らず、歴史やほかの学問、趣味だって、似たような感じの人が大きな事跡を残しますしね。

それにしてもガロアの熱中ぶりはすさまじく、二年分の教材を二日で読み終わってしまったといわれています。いっそ怖い。

数学の先生や学校がドン引きするほどの執着ぶりだったガロアは、学校の成績上では優秀ではなかったとか。

相対評価のデメリットがモロに出てますね。

とはいえ数学以外の科目については相変わらずやる気がなかったそうなので、目をつけられるのも無理はない話です。

一方で、わずかながらガロアの才能を認めてくれる先生もおり、そのおかげでガロアは数学への情熱を持ち続けることができました。

17歳の若さでフランス学士院(フランスの国立総合学会みたいなもの)へ論文を提出するほどだったといいます。

残念ながら、論文を預けた相手が不誠実だったため、この論文はなかったことにされた上、物理的にも消えてしまいました。何やってんだ!

 

教会に濡れ衣を着せられた父が自殺

運の悪いことに、この論文紛失事件の後、ガロアは、敬愛する父親が自ら命を絶つといういたましい事件が起きてしまいます。

この頃ガロアの父は地元の町長をやっていたのですが、教会から濡れ衣を着せられてしまい、気に病んでいたのだそうです。

そのネタがR18的なものだった上、家族の誹謗中傷まで含んでいたそうですから、元々仲が良かった一家が傷つくにはあまりあるものだったのでしょう。

ほんと、宗教が政治に口出すとロクなことがありません。

とにかく、この知らせがガロアには相当なショックで、上級学校への受験にも失敗してしまいました。

口述試験の担当者がイヤミすぎたため、ガロアがキレて黒板消しを投げつけたからだとも、いわれています。

いつの時代もどこの国でも、くだらない理由でイチャモンつけてくる人っているもんですね。

残念ながらその学校の規定では「受験は二回まで」と定められていたため、2度失敗したガロアは入学することができませんでした。

そこでガロアは気持ちを切り替え、ややレベルは低いものの、大学の教員や研究者を育成するための学校を目指します。

現在のフランス高等師範学校ですね。

こういうと何だか日本的な表現に思えますが、邦訳がこうなってるから仕方ない。

 

学費の支給を受ける代わりに10年間は教師をします

高等師範学校には、めでたく一発で合格。

数学の実力は、入学から2ヶ月程度で卒業相当と認められるほどでした。

ただし、物理では「教師になるには物を知らなさすぎる」と言われているため、ガロアの偏りぶりが伺えます。これだから天才ってヤツは……。

むろん師範学校に入った以上は、きちんと先生になる意志も固めており、「学費の支給を受ける代わりに、卒業したら10年間ちゃんと先生をやります」(意訳)という契約書を学校へ提出しておりました。

これがタダ働きすることになるのかどうかが気になるところですが、原文が本人の手書きしか見当たらなかったので訳せませんでした。フランス語わからん(´・ω・`)

ガロアの契約書/Wikipediaより引用

そのまま順調にいけば、天才的な数学教師として名を残すことになっていたのでしょう。

しかし、現実にはここから約2年ほどで彼は世を去ってしまっています。

何故かというと、この後、彼は学校関係以外でのトラブルに巻き込まれていくのです。

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