コーンウォリスの降伏/wikipediaより引用

アメリカ

アメリカ独立戦争を決定づけた「ヨークタウンの戦い」この地名は今も輝く

1781年(日本では江戸時代・天明元年)9月28日は【ヨークタウンの戦い】が始まった日です。

アメリカ独立戦争における、実質、最後の戦闘になりますね。

いきなりクライマックスの話をするのも意味がわかりにくくなりますから【独立戦争】の背景も交えながら見て参りましょう。

 


イギリスの力を削ぎたいフランスが味方

他の植民地とアメリカが異なっていたのは、主な住民が元イギリス人だったことでした。

乱暴に言えば、アメリカ独立戦争とは、身内同士の争いでもあったわけです。
となると他国から見ればつけ込む絶好のチャンスですよね。

そのためヨーロッパ諸国では、独立を目指すアメリカ軍についた国も、イギリスについた国もありました。

主な判断基準は「イギリスの力を削ぎたい」なら前者、「自分のところの植民地が同じように考えたら困る」なら後者だったと考えていいかと。

アメリカに味方した国の筆頭は(やっぱり)フランス。

そんなわけでヨークタウンの戦いでも、

アメリカ・フランス連合軍
vs
イギリス軍

という構図になりました。

ヨークタウンの戦い直前ではイギリス軍がニューヨーク近辺を手に入れており、アメリカ・フランス連合軍はこれを取り返すため、ヨークタウンでの戦闘を企図。

当時、ニューヨークはまだアメリカの中心都市ではなく、一時はイギリスの支配下に入っておりました。

それが国の発展に伴い重要性が増したため、やはり戦場になったのです。

 


援軍到着前に食料・弾薬が尽きた

ヨークタウンの戦いの前哨戦にあたる「チェサピーク湾の海戦」は、近代史におけるイギリス海軍唯一の敗北といわれています。
もうこの時点でフラグ立ってますね。

そんな流れで陸戦が始まったものの、いざヨークタウンで戦闘が始まると、
「じりじりと迫り来るアメリカ・フランス連合軍&援軍が遅れまくるイギリス軍」
という、まさにイヤ~な予感通りの展開に進んでいきました。アチャー(ノ∀`)

結果としてイギリス軍は援軍到着の前に食料・弾薬が底を突く寸前になり、指揮官チャールズ・コーンウォリスは降伏を選びました。

そして、アメリカの独立もこのときほぼ確定。
コーンウォリスが下ったということは、「宗主国の人間が植民地(+α)の人間に屈した」ことになるわけですからね。

同時代のアメリカの画家であるジョン・トランブルの絵では、コーンウォリスは全然屈してないというか「今回は見逃してやるぜ」みたいな感じに見えますけども(※個人の感想です)。

コーンウォリスの降伏(画:ジョン・トランブル)/wikipediaより引用

 


日本で言えば関ヶ原とか函館あたり?

そんなわけで、「ヨークタウン」という地名はアメリカにとって独立を(ほぼ)勝ち取った輝かしい地名として刻まれました。

第二次世界大戦時には「ヨークタウン級」として航空母艦(空母)の等級になっていますし、そのものズバリな「ヨークタウン」という空母もあります。

日本でいえば、関ヶ原とか函館あたりですかね。
慣習的に、都市の名前や平地の名前はつけないでしょうけども。

ヨークタウン/wikipediaより引用

ただ、ややこしいことに、同じ第二次世界大戦中、上記の空母ヨークタウンが沈んだ後、別の空母を「ヨークタウン」に改名したこともあります。
日本の感覚だと沈んだ船の名前をすぐにまた使うということはほぼありませんが、アメリカでは追悼の一つとしてままあることのようで。

後輩の空母ヨークタウンは、現在サウスカロライナ州で展示されています。
グーグルマップでも外観を見られますので、この手のものがお好きな方はぜひ。

意外と新しく見えますが、1970年代までちょくちょく仕事をしていた=整備もされていたからでしょうね。

近年ではタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦のひとつにヨークタウンという名前がつけられていましたが、これも既に退役済みです。

同じ名前の船としては五隻目だそうで、アメリカ人の執念というか思い入れが窺える気がします。

長月 七紀・記

【参考】
ヨークタウンの戦い/wikipedia


 



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