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【ルシタニア号】
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電力が落ち、隔壁トビラが閉まらない!
見る見るうちに船は傾いていきました。
ターナー船長は陸地に乗り上げる事で船を救おうとしますが、不運が重なります。
船底で2度の大爆発を起こし、電力周りが駄目になってしまい、隔壁の扉が閉められなくなってしまったのです。
午後2時、船は海面に姿を消してしまいます。
そう、たったの20分で沈んでしまったのです。
あまりの早さのせいか、人数分が乗れる救命艇を積んでいたにもかかわらず、殆どが助かりませんでした。
かくして死者数1,198人という、タイタニック号とほぼ同じ規模の大惨事となってしまうのです。
ドイツ側も驚いてしまうあっけない沈没
この沈没の速さには、U-20側も驚いてしまいました。
シュヴィーゲル艦長は、次のような戦闘詳報を残しているぐらいです。
「通常では有り得ないような大爆発と、強い爆風が最前頭部の煙突よりもまだ前から起きたようだ。」
「2度目の爆発は魚雷命中後と思われる。ボイラーか石炭、火薬の爆発だろうか? 右舷の甲板より上の構造物とブリッジがバラバラになってしまった。炎が吹き上がり、煙がブリッジ最上部まで達していた。船は即座に停船したが右舷に転覆し、急速に沈んでいった。助かった人は少なかったものと思われる。」
「甲板では大混乱が起きていた。救命艇は備えられており、何隻かが船首と船尾から降ろされてはいた。左舷は右舷よりも降ろされた数が少なかった。水蒸気が爆発し、船は沈んでいった。船首に金色の文字で『ルシタニア』と書かれているのが読み取れた。」
「煙突は黒く塗られ、船尾に旗は掲げられていなかった。直ぐに沈みそうだったので、我々は深度24メートルまで潜航し、離脱した。助かろうとしている群衆に向かって2発目の魚雷を発射することなど、私には出来なかった」。
つまり、命中させてから相手がルシタニア号だったと気づいたのです。
で、この2度目の爆発が後々まで大論争を引き起こす原因となります。
ドイツ側は「火薬を積んでいたからこそ、あんな速さで沈んでしまったのだ」と主張。
これを英国側は否定し、残虐非道だと反論します。
今日の研究では、ターナー船長の判断ミスが少なくとも5つあったとされています。
その中で、文字通り致命的だったのが、アイルランド海峡をわざわざ通ってしまった事。
狭いのでジグザグ航行が出来ず、魚雷の絶好の標的となってしまったからです。
残り1日で目的地のリバプールに着くとは言え、それってどうなのよという訳です。
28人死亡でアメリカ政府激怒 ドイツ皇帝に直談判
ともあれ、これに激怒したのが当時のアメリカ政府です。
128人もの自国民が亡くなってしまったのですから、当然の反応と言えましょう。
駐独大使がウィルヘルム2世に謁見して抗議した他、ウィルソン大統領名で複数回、抗議書を出しました。
これにはドイツ側も釈明せざるを得ません。
死者数が多かったために各国でドイツへの非難が沸き上がり、ドイツ人の利用を拒否するレストランまで出てくる始末でした。
ただ、英国側にも落ち度はありました。
上記のように警告はしていないし、現場海域近くで英国海軍の巡洋艦「ジュノー」が作戦行動中だったのに、U-20を捕捉できなかったばかりか、酷い事に救助すらしていません。
旧式艦で、速度が遅い(18.5ノットしか出なかった)事もあったのですが、一旦は現場に向かい、ルシタニア側からも艦影が見えるぐらいにまで近づきながら、軍令部から引き返すように命じられて後にしたというのです。
多数の魚雷を搭載しており、U-20に狙われて誘爆される恐れがあったので、そう命じられた模様ですが……船乗りとしての良心が疼かなかったのでしょうか?
結局、救助活動は2時間後に現場を通りかかった船などが行っています。
Uボート艦長としては6番目の戦績
当時こうした大型の英国船は
「Uボートと遭遇したらぶつけて沈めてしまえ」
と命令を受けていました。
実際、先の記事にもありましたが、オリンピック号がUボートに体当たりして沈めていますよね。
この事はドイツ側も知っており、前方から近づいて来た事もあって無警告での攻撃となってしまった模様です。
「模様」と書くのは、シュヴィーゲル艦長がその後も軍務を続行していた事。
つまりドイツ海軍側は問題視しておらず、艦長自身が1917年9月5日にフィンランド沖で英国海軍の駆逐艦によって撃沈され戦死し、追加の聞き取り調査ができなくなってしまったからです。
なお、戦死するまでにシュヴィーゲル艦長が沈めた船は18隻で、合計トン数は18万3883トン。
第一次世界大戦中のUボート艦長としては6番目の戦績でした。
軍人として有能だったとも言えましょう。
それがルシタニア号にとっての悲劇でもありました。
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takosaburou・記