お寿司屋さんや芸人の皆さんはもちろん、企画・開発関係のお仕事をされている方、結婚式のスピーチや余興、はたまた描いたり書いたりする各業界まで。
昔の人達もネタ出しには随分と苦労したようです。
上流階級ともなるとユーモアもしくは知力がなければ会話が成り立たないことさえありますが、それに対して裏ワザ?を編み出した人もいました。
1007年(日本は寛弘四年=平安時代)6月21日、欧陽脩が誕生しました。
中国だとだいたい名字は一文字ですが、この人は珍しく二文字姓で”欧陽”までとなります。
下のお名前は脩さんということですね。
三国志の孔明こと諸葛亮も「諸葛さんちの亮さん」ですから、全くいないわけではないんですが。
科挙最難関の「進士」に驚愕の23才合格
中国に限らず、名前が残っているというだけである程度地位の高い人だったことがまずわかります。
それもそのはず、欧陽脩は科挙という役人試験の中でも最難関と言われる「進士」に独学で合格したほどの頭脳の持ち主でした。
「50歳でも進士合格者の中では若い!」
と言われるレベルの試験を若干23歳で及第しています。
ったく、IQいくつやねん。
何をどうやったらそんな脳みそが手に入るんでしょう。
現代だったら「20代で科挙に合格できる!~欧陽脩メソッド~」というような本を出してバカ売れ(古い)していたかもしれません。
どちらかというとこの点について書き残してもらいたかったものですが、本日の主題はここではありません。
「曲に詞をつける」というスタイルを一般化
欧陽脩はこれだけ頭のいい人だったので、文学のほうにも才能がある人でした。
特に歌詞を作るのが得意。
彼の作品によって「曲に詞をつける」というスタイルが中国で一般化したのだそうです。
他にも『新五代史』(楊貴妃の時代から少し後、五代十国時代を書いたもの)や、日本・遣唐使の記載もある『新唐書』など、歴史書も残しています。
ただ、文学の才能があるゆえか脚色が多く、史書としての価値はあまり高くないそうですが。
太田牛一による『信長公記』くらいの位置づけですかね。
他には紀行文なども書いていて「文化系なら何でもこい!」という感じの人だったようです。
今ある職業でいうなら、官僚・作家・作詞家・ルポライターあたりを全部一人でやっていたことになるでしょうか。
万能にも程があるやろ。
アイデアが浮かびやすい3つの条件とは
しかしこれだけ多方面の才能があるとはいえ、やはり時にはネタに困ることもあったようです。
なぜ、そんなことがわかるのか?
というと、彼は
「三上」
「三多」
という執筆その他のコツを言い残しているのです。
これが実に参考になるといいますか。
現代でもそっくりそのまま通用しそうなことばかりで噴き出してしまうほど。
今回はこの「三上」「三多」についてざっくり見ていきましょう。
「三上」は日本語に言い換えると
「何かの上にいるときはネタが思い浮かびやすく、そのパターンは三つある」
ということです。
一つ目は馬上。馬だけでなく車など、乗り物全般に乗っているときをさします。
広い意味では散歩も含まれるでしょうか。
確かに、「動いている最中にネタが浮かぶ」という作家さんは多いですよね。
巨匠と言われる小説家先生方にも、散歩を趣味としている方はたくさんいらっしゃいます。
トイレにいるときも
二つめは枕上で、布団に寝っ転がっている状態のこと。
これまたネタの産地としてよく聞く話です。
「寝る直前や起きた直後にネタが浮かぶので、枕元にメモ帳を準備しています」なんて作家さんやライターさんもけっこういます。
ビジネス書か何かで「デキる人になるコツ」として見た覚えがあるようなないような。
最後の一つは厠上。
「厠」の音読みが「そ」なので「そじょう」でしょうか?
これも書いて字のまま、お手洗いにいるときはネタが浮かびやすいという意味です。
日本でも武田信玄や伊達政宗など、
「お手洗いに何時間もこもって考え事をしていた」
とされる戦国武将が何人かいます。
大名のお手洗いは机などが備え付けられていたので、用を足すだけの場所ではなかったのですけども。
現代でも新聞を読んだり読書をする人が割といますから、これまた現代に通じる感覚といえそうです。
シンプルながらも真理をついた文章のコツ
「三多」のほうは「こういうことをこまめにやっておくと、文章が上達するよ」という欧陽脩なりのコツをまとめたものです。
看多(かんた)
做多(さた)
商量多(しょうりょうた)
の三つですが、做多だけ読み方がわからなかったので違うかもしれません、申し訳ない。
元は中国語だから日本語読みなんてあてずっぽうでもいいじゃんとか思ってないですよ決してテヘペロ。
こちらはそれぞれ
「看多=たくさん本を読むこと」
「做多=たくさん文章を書くこと」
「商量多=たくさん工夫し推敲すること」
を指します。
この三つも文章上達の話題ではよく出てくる話ですね。
読まなければ知識が身につきませんし、書き表さなければ文章の癖がわかりにくいものです。
その二つ+αを考えて
【よく推敲・校閲すれば最初に書いたものよりも良い文章になる】
ということになります。
というわけでごくごくシンプルながら、そっくりそのまま現代でも使えるようなことを言い残しているあたり、やっぱり欧陽脩パネエと言わざるをえません。
日本はこの頃
「もう遣唐使やめよ。渡海するの危ないし勉強できるトコもうなさそうだし」
ということでそれまでと比べると中国との行き来は減っていましたが、実はこんなスゴイ人もいたんですね。
「三上」「三多」がはっきり伝わってなさそうなのに後世でも同じことを考えてる人がたくさんいるということは、やはり人種や民族に関わらず共通する点というのはあるようです。
長月 七紀・記
【参考】
欧陽脩/wikipedia