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宦官によって腐敗し 宦官によって最期を見守られ
英宗をそそのかし土木の変で戦死した王振。
正統帝をハーレムに入り浸りにした劉瑾。
天啓帝の乳母・客氏と愛人関係になることで絶大な権力をものにした魏忠賢など。
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このときは歴代の悪徳宦官でもトップクラスの者たちがうごめいていました。
もちろん全ての宦官が悪党だったワケではありません。
中国の航海王こと鄭和、チベット踏破を果たした侯顕、忠義にあつい王承恩といった人物もいたのですが、総じて見れば、その弊害は実に大きなものです。
宦官の抵抗勢力である官僚たちも、宦官が牛耳る秘密警察に睨まれています。
よって彼らは、宦官と結託するか、あるいは保身のために沈黙する、仮に気骨のある者も抵抗して処刑される、下野する、といった選択肢しかなかったのです。
開き直って宦官に媚びを売るため、髭を全部抜いて「あなたに合わせました」と言う官僚まで出る始末。正義のために宦官に抵抗する士大夫はごく一部でした。
明代の政治は宦官によって腐らされていたようなもので、にもかかわらず、一応300年近く王朝が保たれたのは、むしろ凄いことかもしれません。
かように政治腐敗が侵攻し、倭寇や豊臣秀吉の朝鮮出兵でも打撃を受けた明朝。
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この満身創痍の王朝にとどめを刺したのは、李自成の乱と満州族の侵攻でした。
明朝最後の皇帝である崇禎帝が紫禁城で急を告げる鐘を鳴らしたとき、駆けつけたのは宦官の王承恩ただ一人でした。
宦官によって腐敗した王朝は、宦官に見守られてその幕を閉じたのです。
根本的な原因は何なのか?
王朝にたかり、食いつぶすような宦官。いったい彼らの何が悪かったのでしょうか。
去勢したことで子孫を持つことができないから屈折するとか、性的な不満をぶつけるとか、差別的な説も唱えられて来ましたが、結局は構造の問題かと思われます。
中でも明朝は、強い皇帝の独裁制と、宦官に秘密警察を任せた点が最悪の結果をもたらしました。
この失敗をふまえて宦官の権力を抑えた清朝では、比較的弊害が少なくて済んでおります。
では宦官の弊害は過去のことでしょうか?
これが、そうではない気がしてなりません。
宦官が悪かったのは去勢をしていたからではありません。
権力者が実力のある者を煙たがる一方で、宦官のように身辺にへばりつき、政治的な実績も力もないのに媚びを売ることに長けただけの者を重用したからであります。
似たような事態はいつどこの国、組織でも起こりかねないのではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
顧蓉/葛金芳/尾鷲卓彦『宦官―中国四千年を操った異形の集団』(→amazon)
三田村泰介『宦官―側近政治の構造』(→amazon)
寺尾善雄『宦官物語―男を失った男たち (河出文庫)』(→amazon)
他