誠実な人柄で武芸は達者。
おまけに見た目は超イケメンで、しかも智勇兼ね備えている――。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で中川大志さんが演じていた畠山重忠があまりにカッコよかった! 完璧じゃないか!
と思うのは我々だけでなく、昔から「坂東武士の鑑(かがみ)」と称される程の人気ぶりでした。
では一体、坂東武士の鑑とは、どんな武士のことを指すのか?
これが意外と難儀な問題で……考察しましたので、ご一緒に振り返ってみましょう。

坂東武士の鑑と称された畠山重忠(月岡芳年画「芳年武者无類」/wikipediaより引用)
坂東武士の理想とは?
そもそも坂東武士の理想とは?
弓馬に優れ、主君との契りも厚く――なんて想像しがちですが、実は結構定義が難しい問題だったりします。
なぜか?
国語や歴史の授業を思い出してみてください。
『源氏物語』にせよ、『枕草子』にせよ、中世日本人の精神性として習うのは京都王朝周辺となりがちです。
では坂東武士は?
というと、当時の彼等は、自分たちの思いをスラスラと記すことも無く、素朴に生きていました。
要は朴訥であり、そうペラペラと理想を語ったりするような文化でもなかったのです。

画像はイメージです(男衾三郎絵詞/wikipediaより引用)
ただ、それも鎌倉時代になると、少しずつ変化は見られ、文章や絵巻物に武士たちの世界観が少しずつ反映されていくようになります。
問題は、当時の理想像がそのまま現代へ伝わりきってないことでしょう。
武士も一歩ずつ知性と教養を身につけ、それが徐々にアップデートされて今に伝わっているため、「坂東武士の鑑」の原型がそこにキッチリあるわけではないのです。
例えば、要注意なのが新渡戸稲造『武士道』です。
いかにも「武士の理想や心構え」が描かれていそうなこの一冊。
本書がなぜ記されたのか?と申しますと、
・日露戦争の一応の勝利により、盛り上がった世間の期待に応じるため
・西洋諸国からの問いに答えるため(プロテスタントの規範のようなものが日本にもあるか?と問われたりした)
上記のような理由があったからであり、鎌倉武士について語っているものではありません。
『武士道』は、第二次世界大戦で日本が敗北すると、戦前の思想に影響を与えたのではないか?として、こんな風にも言われました。
「軍隊における数々の悪行は、武士道の悪い影響のせいではないか?」
武士道は、時代と共に変わっていくものです。
ゆえに「坂東武士の鑑」を定義するには、時間をキッチリ800年巻き戻さねばならない。
分厚いベールを剥ぎ取り、坂東武士の理想像を考えてみましょう。
一所懸命
坂東武士を示す言葉として、典型的なものがあります。
一所懸命
武士が先祖代々の領地を守るために、全力で生きてゆく。
そんな有様を示す言葉であり「一生懸命」と表記されたりもしますね。
どちらも正解とされますが、ともかく本来は「一所を守る」という意味であったことが大事なのです。
領地を守ることが第一で、それ以外は二の次。
そんな生き方とはどのようなものでしょうか。

画像はイメージです(男衾三郎絵詞/wikipediaより引用)
「色好み」ではない
『鎌倉殿の13人』では、畠山重忠の美男ぶりが印象に残ります。
坂東でも京都でも。
若い娘たちが袖を引き合いながらその美貌にどよめいていた。
京都に登った重忠は、そうした反応をされてもそこまで喜びません。
「そろそろ嫁が欲しい……」と、そっと言う程度。
隣にいた北条義時が「妹がまだ二人嫁いでいないがどうだ」というと、前向きな反応を見せ、実際、義時の妹と結婚しています。
重忠の結婚へのアプローチは堅実です。
どうせなら美人がよいとか、タイプはこうだとか、そういう要素はない。
ただ幼馴染でよく知っている義時の妹ならばちょうどよいと判断していました。
次から次へと女子に手を出していた源頼朝とはまるで違いますよね。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用
これも坂東武士の鑑らしい態度といえます。
『徒然草』第三段にはこうあります。
万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(し、酒杯のこと)の当なき心地ぞすべき。
【意訳】どんなに才能が溢れていようと、色を好まない男というのは、どうにもイケてなくて、まるで綺麗な盃なのに底がないような気持ちになってしまうんですね。
とまぁ、なかなかの言われようですが、これはあくまで京都の感覚です。
兼好法師は、坂東武士の存在など1ミリも気にしていないでしょう。
反対に、坂東武士からすればこうなります。
「そんな色恋沙汰にかまけているようじゃ、軟弱でいけねぇなぁ」
坂東武士にとって結婚とは、色恋沙汰を嗜むというより、あくまで家と財産を維持するためのものでした。

画像はイメージです(男衾三郎絵詞/wikipediaより引用)
美人かどうか、好みのタイプであるかどうかは二の次。
できれば、ご近所同士で親戚付き合いをし、家と土地を守ってゆくことが最善なのです。
ですので、畠山重忠が北条氏の娘を結婚相手としたのも、坂東武士としては家柄も釣り合い、丁度良かった。
逆に、いちいちと自分の好みを挟むようでは軟弱であり、もし重忠がそんな事しようものなら「おいおい、らしくねえんじゃねえか!」と言われたことでしょう。
そんな坂東武士たちからすれば、頼朝など、いかに情けなく、武士として魅力の薄いことか。
頼朝に対する不満は度々爆発しそうになっていますが、そもそも土壌があったのですね。
質実剛健で質素を好む
色好みは、何も恋愛感情に限りません。
花鳥風月に魅力を見出す心にもつながり、物欲へ発展すると贅沢から身を崩して厄介。
坂東武士は質実剛健を掲げ、消費行動を抑制する傾向はありました。
しかし世がうつろえば、そうとも言ってはいられません。
鎌倉の浜辺では青磁を見つけることができます。
畠山重忠より下の世代が、ブランド品を買い漁った名残が現在まで残されているのです。
これが、もっと時代がくだった戦国時代になると、どれだけ素晴らしい衣装を身につけ、茶道具を持つか、美的センスと財力も競われるようにもなりました。
坂東武士には、そうなる以前の、プロトタイプな武士の姿を見出すことができます。
武勇を悪事に用いない
武士は暴力を振るう職業といえます。
殺人も辞さない。
それが世の習いであり、彼等の行為を正当化するためには
・善悪をきっちりと判断する
という前提が必要になってきます。
遊び半分で誰かを殴るとか。宝物欲しさに寺を襲撃するとか。本来なら許されません。
しかし、実質的に取り締まる術はなく、ゆえに武士が強盗殺人をすることもありました。

画像はイメージです(男衾三郎絵詞/wikipediaより引用)
『源氏物語』の世界では、そこまで盗賊がウロウロしている印象は受けませんよね?
だから、あの平安世界はおかしい……のでは、ありません。
『源氏物語』は、検非違使が取り締まっていた洛中だからこその安全な世界であり、上流階級ならではのことでした。
同時代の話でも『今昔物語集』ともなれば、盗賊の話が一ジャンルとして成立しています。
当時の貴族は京都から出ることを極端に恐れていました。
彼らからすれば治安が悪い地方に行くことは、あまりに危険で恐ろしいものであったのです。
そうした地方にいる武装集団には、武士が含まれます。
武士がひとたび暴力に囚われたら、山でも海でも市街でも、人を襲撃してしまう。
畠山重忠のように、堕落を避けたい高潔な人物は、そうした暴力に溺れないようにするため、自らを固く律する必要があった。
現代人からすれば当然としか言いようがないことも、中世ではそうではなかったのです。
だからこそ
「あの人マジで凄いわ! 相手が舐め腐った態度でも、そいつを殺したりしねえんだぜ!」
なんてウソみたい状態みたいな状況があっても不思議ではありません。
北条義時の三男・北条重時は、嫡男・長時のため家法「六波羅殿御家訓」を記しました。
そこにこうあります。
時トシテ何ニ腹立事アリトモ、人ヲ殺害スベカラズ。
どんなにむしゃくしゃしても、カッとなって人を殺してはいけません。
こんな恐ろしいことを、わざわざ注意されるということは、普段は平気で殺していたということでしょう。
逆に「鑑」とされる重忠は、たとえどれだけムシャクシャしても、殺人などしなかったでしょう。
坂東の人命を尊重する
『鎌倉殿の13人』における重忠の特徴として、兵力の損耗を避けようとする傾向があります。
重忠は臆病ではない。
しかし、坂東武士の流血は極力避けたいことが言動の端々からわかります。
重忠と対照的な和田義盛はそこをまるで考えずに突撃してゆくため、対比がわかりやすく表現されています。

和田義盛/Wikipediaより引用
勝つためならば騙し討ちや謀殺も上等!という源義経とも対照的です。
この姿には坂東武士らしさが集約されているといえます。
中世の武士は暴力的であり、血に慣れています。血腥い事件の類が多いため、それが日常かと思えばそう単純でもありません。
生々しい誰かの死に心が折れ、出家してしまった武士も多い。
武士として生まれたからには戦わねばならないけれども、できることならば無駄な殺生は避けたい。
そもそも坂東に住む民が減ってしまうと、守りたい土地だって衰退してしまいます。
源氏や平氏なんてどうでもよい。
我々が生きてゆく土地を守ることが大事ではなかろうか?
そんな重忠のような武士が言えば皆が納得する。それが坂東武士でした。
土地よりも誇りや忠誠心を守るようになる武士道は、もっと後の時代に成立します。
眉目秀麗 身体頑健
見た目と武勇は大事です。
だって武士だもの。
武士の知性や教養が評価されるのはまだ先の話で、人に対する判断基準が確立していないために、自然と「身体や声」に注目が集まってしまいます。
当時は「ルッキズム」を悪とみなすことはありません。
むしろ天からの恵みであると肯定的に見られました。
美しい顔。身体。
そうしたものの持ち主は、天から愛され、神に近いのではないか?
中世はそう信じられていました。
イケボでハキハキと話す
『鎌倉殿の13人』の序盤に出てきた罵倒合戦を覚えていらっしゃいますか?
【石橋山の戦い】において、北条時政と大庭景親が、戦う前に口頭でけなし合う……というもんですが、単なる口喧嘩ではありませんでした。

北条時政/wikipediaより引用
天が納得する声を出し、語ることができるかどうか。
そんな信仰的な意味合いもあった。
説得力のある声で、冷静に語る誰かがいる。それだけでもう、中世の人々はうっとりします。
「すげーぜ、これはきっと天に認められってことなんだな!」
そう思う傾向は坂東の方が強かったとも思えます。
『源氏物語』の絵巻と、武士を描いた絵巻を見ると、写実性に違いがあります。
貴族を描いた絵が、様式美に沿ったもので没個性であるのに対し、武士の絵はディテールが細かく、息遣いも蘇ってくるような生々しさがあります。
身体が資本の武士だけに、執着の度合いが戦ったのでしょう。
鎌倉美術を代表する運慶の作品が、ああも写実的であることにも納得ができます。

東大寺南大門の金剛力士像
そんな坂東武士の世界で美しい肉体と声を持つ誰かがいれば、それだけで圧倒的に尊い。
演じる中川大志さんは鍛錬を重ね、発声も工夫し、重厚な声を出す工夫がみられます。素晴らしい役作りです。
教養があり 勉強熱心
『鎌倉殿の13人』では、「武衛」という言葉が注目を集めます。
三浦義村が上総広常に対し、「武衛というのは唐(から)で親しい仲間を指す言葉である」と嘘を教えました。
これを信じた広常は、頼朝に親しみを込めて「武衛」と呼びかけるのです。

上総広常/wikipediaより引用
義村が嘘を教えたとき、重忠は武衛本来の意味を知っているため、訝しんでいました。
この描写からは、義村と重忠に漢籍知識があることがわかります。
重忠は賢い人物でした。
京都から大江広元らを迎え、鎌倉に住む武士たちの知性は上がってゆきます。
それに先んじて基礎的な教養があったのが、重忠という描き方であったと言えます。
信心深い
『鎌倉殿の13人』の【壇ノ浦の戦い】では、重忠は抱かれて水に飛び込む安徳天皇をみて、合掌していました。
全員が彼のように反応したわけではありません。
信心深さがみてとれました。
武士は暴力を為すものとされます。
しかし、平然と人を傷つけ、殺していけるわけでもない。
京都の貴族たちとは異なり、穢れや怨霊が怖いとだけ言っていればよいものではない。
だからといって、殺すことに馴染みきるわけでもありません。
戦乱の中、武士は深い憂鬱に沈んでゆきます。

画像はイメージです(男衾三郎絵詞/wikipediaより引用)
そんな武士の心を救うものは、仏の教えでした。
手にかけた相手を供養し、せめてもの冥福を祈る。そのことで己の魂を救うこともできるはずだ。そう願い、武士は熱心に仏に手を合わせるようになります。
鎌倉には大仏をはじめ、仏教関連のものが実に多く残されています。
それまでは弓矢を持ち、武芸を競っていた坂東武士たちは、もはや武芸だけでは認められなくなっていったのです。
仏事をいかに行い、信仰を深めてゆくか。それが武士としての規範となりました。
重忠はそんな時代にふさわしい信仰心を見せています。
彼のような人物が合掌する姿をみれば、周囲はなんと立派なのかと感心したことでしょう。
時代を先んじつつ普遍的な智仁勇
坂東武士とは何を理想としていたのか?
これは難問です。
京都にいた王朝時代の人々とも違う。
「わびさび」のような日本人らしさもまだ芽生えていない。
殺人や暴力に対する感覚も異なる。
美女を求める心がないわけではないけれど、大っぴらにしたら軽んじられてしまう。
武士の集団という組織がまだ固まっているわけでもなく、学校すらない。
畠山重忠にせよ、後世からすると批判されるようなことをしています。
源頼朝が挙兵したとき、平家方についた。
おまけに祖父にあたる三浦義明を攻め滅ぼしている。

三浦義明と三浦義澄(勝川春亭画)/wikipediaより引用
忠義がない。祖先を敬う気持ちもない。この男がなぜ理想的な人物とされるのか?
わからないからこそ、探る過程が必要です。
戦うことを使命とし、だからこそ無駄な殺生は遠ざけたい。
どうしてもやむを得ない時にしか血を流したくない。
そんな坂東武士の姿は荒削りであるからこそ、独特の魅力があります。
演技で見せるとなると、水際だった美貌と美声、鍛錬、真剣に役に取り組む姿勢が重視されます。
大河ドラマは特別とされるドラマ枠です。
そんな中でもとびきり難しく、挑む価値のある役に、中川大志さんが選ばれました。
普遍的な魅力があるからこそ、『鎌倉殿の13人』の畠山重忠の魅力はそのまま受け止めてよいものだとも思えます。
きっと当時の人々も、美しく凛々しい坂東武士である重忠を讃えていたのでしょう。
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【参考文献】
五味文彦『殺生と信仰――武士を探る』(→amazon)
五味文彦『中世の身体』(→amazon)
細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(→amazon)
細川重男『論考 日本中世史』(→amazon)
蔵持重裕『声と顔の中世史: 戦さと訴訟の場景より』(→amazon)
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他





