小説でもドラマでも、強い女性は見ごたえありますし、ダメ男をバッサリ切り捨てる言動は痛快ですらありましょう。
しかし何事も、過ぎたるは及ばざるが如しであり……。
時は西暦588年の中国――。
隋を建国した初代・文帝(楊堅)もまた、そんな恐妻家の一人でした。
彼が最も恐れた奥様の名は独孤伽羅(どっこ から)。
聖徳太子の有名な書簡「日出る処(ところ)の天子~」に激怒した皇帝(煬帝)は、この夫婦二人の息子にあたります。
夫(楊堅)を愛し、支え、隋の建国をも促した独孤伽羅――。
しかし彼女は、同時に気の強さで夫を圧倒し、ついには家出にまで追い込んでしまいます。
さらには、後継者選びに際しての彼女の意見が、後に滅亡の遠因につながってしまった事も考えると、まさに一国の興亡に深く関わった「歴史を動かした」女性と言えるでしょう。
独孤伽羅とは、一体どんな女性だったのか?
602年9月10日が命日となる、彼女の歴史を振り返ってみましょう。
お好きな項目に飛べる目次
伽羅14歳 結婚で夫に迫った約束とは?
6世紀の中国大陸は、南北に王朝が立ち、それぞれにおいて権力者が入れ替わる乱世(南北朝時代)の真っただ中でした。
独孤伽羅は544年(553年説も)、北周で生誕。
独孤という少し変った名前は、もともと家系が北から入ってきた異民族・匈奴系だったためです。
父は、北周の建国に功績のあった家臣(「八柱国」)の一人で、大司馬を務めるトップエリートです。
また、伽羅の姉の一人は、北周の明帝(第二代)に嫁いで皇后になっています。
言わば国内でも指折りの名家のお嬢様として育った伽羅も14歳となり、お嫁入りの日がやってきました。
相手は、父の部下・楊堅です。初々しい花嫁は、早速、花婿にあるお願いをつきつけます。
「私以外の女に、子供は産ませないでください」
「え……?」
さぞかし花婿・楊堅は、目が点になったでしょう。
当時の中国では、正妻の他に、複数の側室を持つことは、皇帝に限らず普通に行われていたことです。家を残し、子孫を残すという意味から当然のことでした。
しかし、花嫁はあくまで大真面目、冗談を言っているようには見えません。
「約束、してくれるわよね?」
「……は、はい」
自分よりも家格が上で、しかも上司の娘でもある伽羅に対し、楊堅は笑ってごまかすことも「No」を言うこともできませんでした。
この約束が後にどれほどきつく自分を締め付けるか――。
彼は考えもしなかったでしょう。
隋建国の時――もう後には引けない!
約束はさておき、夫婦は仲が良く、5男5女、10人の子供に恵まれます。
そのうち長女は北周の宣帝(第四代)に嫁ぎ、皇后となりました。
が、政治に関心のなかった宣帝は、舅である楊堅に政務を丸投げし、自身は酒色に耽る生活を送った挙げ句、西暦580年、22歳の若さで亡くなってしまいます。
次代の静帝はわずか6歳。
当然、政治能力はなく、楊堅にさらなる権力が集中していきます。
それに危機感を抱いたのは、北周の皇族たちや重臣たちでした。楊堅にとって、彼ら反対勢力との対決はもはや避けられないものとなっていきます。
そんな中、伽羅は夫・楊堅のもとへメッセージを送ります。
「もうここまで来た以上は、猛獣の背中に騎(の)ったようなものだから、途中で降りることはできません。がんばりなさい!」
(『中国人物伝Ⅲ、大王朝の興亡、隋・唐 - 宋・元』より引用)
この言葉に、楊堅も奮起。
重臣たちが起こした反乱を武力で鎮圧すると、さらに翌年には、静帝に迫って禅譲させ、自ら新たな王朝を開きました。
581年、隋王朝の誕生です。
楊堅は引き続き奮闘しました。
その8年後の589年には、南朝陳を滅ぼし、南北朝時代に終止符を打つのです。
ここに、隋の文帝のもと、中国全土は300年ぶりに統一されたのでした。
一日中監視されているも同じではないか
楊堅が皇帝になると、当然のごとく伽羅も皇后になりました。
トップレディとして、彼女はこれまで以上に愛する夫を支えていきます。
まず、朝。
夫が後宮から朝廷(オフィス)へと出勤するときは、彼女も同行します。
さすがに夫と一緒に中に入ることこそありませんが、家臣を通じてその言行はチェックしています。
そして、もしも「間違っている」と判断した時は遠慮なく諫め、訂正させました。
現代で考えたら、社長のスマホやPCに妻のzoomもスカイプもつなぎ、そんな状態で社員たちとのリアルな会議に臨んでいると想像してください。しんどくてたまりませんよね。
仕事が終わって出てくると、伽羅も門のところで待ち、一緒に帰ります。
彼女にしてみれば「夫のため」だったでしょう。
夫がミスをしないように。
夫が、結婚当時に交わした約束を守るように。
浮気をしたりしないように。
しかし、彼にしてみればどうでしょうか?
一日24時間、後宮(家)ではもちろん、仕事でも妻の目が光る日々。
妻の言ってることは、確かに間違ってはいない。
されど、毎日毎日、後宮(家)と朝廷(職場)を往復するだけの日々の味気なさ。気分転換に外出もできません。
たまにはパーッと宴会でも開き、騒ぎたくても、倹約家の妻はきっと……。
しかも、です。
皇帝なのに側室もおかせてもらえません。
溜まるストレスにいよいよ耐えきれなくなったのでしょう。
ある日、楊堅はついにやってしまいます。
妻の目を盗んで、宮女の一人に手をつけたのです。
※続きは【次のページへ】をclick!