悲劇の主人公というと女性が多いですよね。
昔は女性の名前が伝わること自体が珍しく、仮に名を残すにしても「悪女か良妻賢母か女丈夫」に限られ、得てしてそういう人は悲劇に巻き込まれやすいものでした。
しかし、政治の中心はほとんど男性ですから、その中には悲劇に巻き込まれた人もいます。
今日のメインは、父王の身勝手さにより諸々の害を被った少年王(↑フィギュアスケートさせたい風貌)のお話です。
1547年(日本では戦国時代の天文十六年)2月20日、エドワード6世がイングランド国王に即位しました。
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9歳で即位して15歳で夭折
父は、あのヘンリー8世。
奥さんを取っ替え引っ替えで追放&処分した、めちゃめちゃヤバイ王様ですから、その時点で貧乏くじを引かされたようなものです。
しかもエドワード6世は生まれたときから体が弱く、たった6年しか王位にいることができませんでした。
エドワード6世は9歳で即位して15歳で亡くなっているのです。
それだけでも十分悲劇ですが、周りの大人たちの都合によりさらに哀れな運命をたどっています。
彼が無事成長していたら、イングランド、ひいては連合王国イギリスの歴史は大きく変わっていたでしょう。
ちなみに彼の次にイングランド国王に即位したのが「9日間の女王」ことジェーン・グレイです。
その後メアリー1世やエリザベス1世が即位し、イングランドは大英帝国へ成長していくのですが、例によってややこしい話ですのでざっくり掴むところから始めますね。
エドワード6世が貧乏くじを引くまでの経緯とその後
百年戦争でイングランドが大陸の領土をほとんど失う
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百年戦争反対派だった貴族が王家の交代を主張、プランタジネット家からランカスター家へ
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ランカスター家が気に食わない貴族・ヨーク家がケンカを売り、ばら戦争開始
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ランカスター家のヘンリー7世がヨーク家から奥さんをもらってようやく落ち着く
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ヘンリー8世のやりたい放題
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エドワード6世即位 ←今日ここ
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ジェーン・グレイ、9日間で王位を追われ処刑される
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メアリー1世即位、カトリック迫害
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エリザベス1世即位、海賊紳士スタート
時期としては主に先日の記事「イギリス名誉革命」で最初に(中略)した部分のお話になります。
身も蓋もない言い方をすると、「プランタジネット家が余計な欲を出したばかりに権力も信頼も失い、新しい王家ができてやっと落ち着いたところへヘンリー8世がめちゃくちゃやらかしおったせいで息子が大迷惑」という感じです。
エドワード6世の病弱さは父親から母親にうつった梅毒のせいという説もあり、もしこれが本当ならどうしようもないですね。正真正銘サイテーや。
スコットランド女王と結婚させて権力の安定を
そもそもヘンリー8世が奥さんを変えまくったのは、世継ぎの男子を得るためのことでした。
今でこそイギリス・イングランドといえば女王のイメージが強いですが、この頃はまだ女性が王位についたことがなかったので、ヘンリー8世としてはやはり男の子が欲しかったのです。
それがなかなかヒドいもんでして。
最初の奥さんとの間に生まれたメアリー1世を「健康なら将来女王になってもいいだろう」として継承権を認めたくせに、次の奥さんと結婚するときに放り出した上、エドワード6世が生まれてからは二の次扱いするくらいです。
実際は一番がエドワード6世、二番目がメアリー1世ですね。
が、さすがにエドワード6世が生まれつき病弱なことは理解していたので、ヘンリー8世は自分の死後のことも根回ししていました。
一つは重臣達に「息子を頼む」という旨の遺言を書き残すこと。
もう一つはスコットランド女王のメアリー・スチュアートとエドワード6世を結婚させて、権力を安定させることです。
結論から先に言うと、どちらもうまくいかなかった結果がジェーン・グレイの悲劇につながります。
おじーちゃんのシーモアは反逆者として処刑
遺言書は、エドワード6世の母方の祖父であるエドワード・シーモアが握りつぶしてしまい、専制を図りました。
藤原氏とやってることが変わりません。こっちはすぐ首が飛びましたけど。
ではエドワード6世の結婚は?
というと、スコットランドは基本的にカトリックのため「プロテスタントと結婚だなんてとんでもない!!」と女王の母親が大反対。
同じカトリックのフランス王太子とメアリー・スチュアートが結婚し、エドワード6世は出遅れてしまいました。
というか、トーチャン(ヘンリー8世)、自分で喧嘩を売ったカトリックの姫と、自身のプロテスタント息子が結婚できるとなぜ思った? 調子に乗ってたんだろうな。きっとそうでしょう……。
せめておじーちゃんのシーモアがしっかり後見してくれればまだマシだったのかもしれませんが、彼は急に成り上がったため敵を作りまくっており、そこに弟がポカをやらかしてしまったため、反逆者として処刑されてしまいました。あーあ。
新たな野心家ジョン・ダドリーがやってきた
まだ幼少で飾り物でしかないエドワード6世。
自分の意思で政治をできるわけもなく、新たな野心家が近寄ってきます。
ヘンリー8世の下でたびたび重役を任されていた、ジョン・ダドリーという男でした。
ジョンは先の短いエドワード6世をあっという間に見限り、権力を握り続けるための画策を始めます。
この時点でエドワード6世が亡くなった場合の王位継承権は、
【メアリー1世→エリザベス1世】
ということになっていました。
ここに割り込むべく、彼は自分の息子をヘンリー7世のひ孫であるジェーン・グレイと結婚させ、ジェーンを女王にすることで外戚として実権を握ろうとしたのです。
まさにカタチを変えた藤原氏方式です。
そして女帝と海賊紳士の時代に
血筋だけで見ればジェーンがすんなり女王になれるわけはありません。
しかし、ここでまたしても宗教がからみます。
メアリー1世は敬虔にも程があるカトリック。
エドワード6世は父親譲りのプロテスタントでした。
これでは直接王位を渡したら、混乱するのは目に見えています。
ジョンはここに付け入り
「ジェーンならプロテスタントですから、混乱は少なくなりますよ(多分)」
とゴリ押しして、エドワード6世にジェーンの即位を認めさせるのです。汚いやっちゃで、ほんま。
その2ヵ月後エドワード6世は亡くなり、ジェーン・グレイが即位します。
が、メアリー1世が黙っているはずもなく、哀れ女王夫妻とジョンは揃って処刑されてしまいました。
まぁ、ジョンは自業自得ですけどね。
英国のパイレーツ無双 始まる
その後メアリー1世が即位。
子供ができず、イヤイヤながらに異母妹・エリザベス1世へ王位継承を認め、英国のパイレーツ無双が始まります。
もしエドワード6世が身体頑健で、親政に積極的かつプロテスタントの奥さんをもらっていれば子供も作れたでしょうし、もっとスムーズに王位継承が行われていたでしょう。
少なくともメアリー1世によるカトリックの迫害はなく、流血は減っていた可能性が高い。
もっとも、その場合、エリザベス1世に始まるイングランドの隆盛もなかったのかもしれません。
運命の皮肉というか何というか。
どれが最善とはいい難いのもまた歴史の奥深さですね。
長月 七紀・記
【参考】
エドワード6世 (イングランド王)/wikipedia
ヘンリー8世/wikipedia
ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)/wikipedia
ジェーン・グレイ/wikipedia
メアリー1世/wikipedia