1912年(明治四十五年)4月10日、悲劇の豪華客船として知られるタイタニック号が出航しました。
出航時の乗員乗客は総数2,224人。
レオナルド・ディカプリオの映画(1997年公開)で日本では一躍有名になった大事故でありますが、公開時からそこそこ時間も経過しており、もしかしたらほとんど知らない――という方もおられるかもしれません。
そこで本稿では、タイタニック号がどういう航路を取り、なぜ沈没したのか、その後はどうなったのか?ということを史実ベースで見ていきたいと思います。
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10日に英国を出て15日深夜に大西洋で沈没
タイタニックは1912年4月10日、イギリス中部の町・サウサンプトンから出航しました。
対岸のフランス・シェルブール。
アイルランドのクイーンズタウン(現在はコーヴ)に寄港した後に大西洋へ出て、最終目的地が米国ニューヨークです。
1997年に公開されたレオナルド・ディカプリオ主演映画の冒頭でも語られていましたね。
ニューヨークの到着予定は17日でした。
沈没してしまったのは15日の深夜ですから、事故までの航行は順調だったことがわかります。

タイタニック号/wikipediaより引用
そのため、船が沈んだ位置も大西洋のど真ん中よりはややアメリカ寄りでした。
ちなみに、2022年にタイタニック2号なる船が就航することが決定しているそうです(一旦中断し再開)。しかも全く同じ航路で。
となると沈没現場も通ることになると思われますが、何かしら慰霊イベントのようなことはするのでしょうかね?
他のメモリアルクルーズではやっているようなので、おそらく倣うのではないかと思いますけれども。
ボートの数以外はかつての作りを再現し、既に”中国の”造船会社へ発注済らしいです。って、大丈夫かな……高速鉄道の事故とか考えると><;
それはさておき、映画の影響でこの船と事故について真実か虚構かという意見が大幅に割れている部分がありますので、ここからは映画版と絡めて話を進めていきましょう。
久しぶりに映画をみたら新しい発見が!
なんだかんだで約20年前の映画ですし、ネタバレには配慮しなくてもいい……ですよね?
ワタクシめも久しぶりに見たのですが、3時間超だったことや、
「このシーン船内だったの!?」
とか
「こんなに人を殴るシーンあったっけ???」
という新しい発見がありました。ただ単に忘れてただけですが。
この映画においてフィクションかノンフィクションかという点を見極めるには、登場人物が主要であるかどうかを意識すると良いと思います。
主人公・ジャック、ヒロイン・ローズを始めとした「登場シーンの多い人物」ほど映画オリジナルの人、つまり実在はしていない人物です。
”本当のパーティー”に出てきた人たちもですね。
反対に、ちょいちょいとしか出てこない船長さんや多くの船員さん・乗客の一部には実在の人物が多く、劇中ではほとんど名前を呼ばれることはありませんが、エンドロールではきっちりクレジットが書いてあります。
大きく分けて3つのグループの人々がいた
おそらく主役二人にフォーカスするために名前を出さなかったのでしょう。
ですので、歴史サイトの一コーナーとしてはやはり実在した人物のほうを取り上げていきたいと思います。
タイタニックには大きく分けて
・乗員(船員)
・乗客
・その他の人々
という3つのグループがいました。
「その他ってなんぞ?」といいますと、タイタニックには設計者や船を持っていた会社の社長なども乗っていたのです。純粋なスタッフともゲストとも言い切れない気がするので、このように書かせていただきました。
乗員はスミス船長をトップに、ワイルド航海士長とその下についている1等~6等の航海士、機関士、通信士、見張りの人々など。

タイタニックの船長エドワード・J・スミス/wikipediaより引用
乗客には貴族階級の人、新興成金、一般人などまさにありとあらゆる人がいました。
映画の中でも強調されていた通り、沈没時救命ボートに乗ることができたのはほとんど女性と子供です。
最近まで生存者が存命していたことを考えれば納得ですね。
なお、沈没の原因は巨大な氷山にぶつかったことです。
後に付近を通る船で撮影されたものがあり、それが以下の画像です。

タイタニック号が衝突した塊だと考えられている氷山/wikipediaより引用
大きさは想像で類推するしかありませんが、まさに氷山の一角というほどですから相当な大きさだったのでしょう。
そうでなければ巨大船が簡単に沈没するわけがありませんもんね。
生還できた船員は2~5等の航海士だけ
船員も例外ではなく、ボートを指揮するために乗り込んだ人以外はほとんどが事故現場で亡くなっています。
はっきり個人名がわかっている中で生還した船員は2~5等の航海士だけでした。
女性と子供があらかた避難した後、ボートに乗れるのは上流階級優先になっていったそうなのですが、身分ある人の中には自ら船と運命を共にした人もいました。
中には夜会服(燕尾服・タキシード)に着替え、「最期まで紳士らしくありたい」と言っていた方もおられたとか……。

沈みゆくタイタニック号にて/wikipediaより引用
また、設計者トーマス・アンドリュースも逃げようとはせず、喫煙室で空を見上げて船と運命を共にしようとしていた様子が証言されています。
船会社の社長はボートに紛れ込んで逃げました。あーあ。
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