大英帝国全盛期の象徴として名高いヴィクトリア女王。
1901年1月22日はその命日ですが、愛する夫・アルバートとの間に4男5女を授かり、王女たちは他国の王室に嫁ぎ、多くの孫にも恵まれたため、彼女はいつしか「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるようになりました。
※以下はヴィクトリア女王の生涯まとめ記事となります
大英帝国全盛期の象徴・ヴィクトリア女王はどんな人で如何なる功績があるのか
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しかし、このことがヨーロッパ王室に暗い影を落とす悲劇にもなります。
ヴィクトリアは、血友病の遺伝子を持っていたのです。
血友病とは先天性の血液凝固異常。
出血が自然に止まるということがないため、ちょっとした切り傷や青あざでも致命的な状況をもたらす恐怖の症状でした。
一体この遺伝子はどこから来たのか。
現在では、ヴィクトリアの父・ケント公エドワードのX染色体に異常が発生したのではないかと見られています。父親が高齢であるほどこの異常は発生しやすいのです。
ヴィクトリアが生まれた時、エドワードは51歳でした。
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王子たちを襲う悲劇 四男レオポルドは30歳で死亡
ヴィクトリアの子に中で、血友病が発症したのは四男のレオポルドでした。
他のきょうだいたちが回復するような病でも、彼の場合は重症化。血友病の危険性を知ったヴィクトリアは、息子に無理をしないように何度も言いつけます。
しかし聡明で勤勉なレオポルドは従いません。
公務や学業をこなし、結婚して子供をも持ちました。彼は三十歳という若さで、大量出血のために亡くなる時まで、普通の生活を送ろうと懸命に努力していたのです。
発症したのはレオポルドだけでしたが、他国に嫁いだ彼の姉妹ヴィッキー(長女ドイツ皇帝フリードリヒ3世妃)とアリス(二女、ヘッセン大公ルートヴィヒ4世妃)も、血友病因子を持っていました。
その不幸な結果がわかるのは、時代がくだってからです。
彼女らは幼い息子たちを亡くしましたが、感染症とみられていました。
当時、幼児の死は決して珍しいことではなく、それは王室でも例外ではありません。幼い王子たちの死は悲劇ではあるけれども、ある程度仕方のないことと受け止められました。
血友病が死を早めたのか、そうではないのか?
まだ判断はできませんでした。
スペイン王・アルフォンソ13世のもとに嫁いだエナの子も
本当の恐ろしさがわかるのは、ヴィクトリアの孫世代以降です。
スペイン王・アルフォンソ13世は、周囲からの警告に耳を貸さず、ヴィクトリアの孫・エナ(ヴィクトリアとも、ヴィクトリアの五女・ベアトリスの長女)を結婚相手に選びました。
「まあ、たくさん子作りすれば、きちんと育つ子も生まれよう」
アルフォンソはそんな楽観的な考えでおりました。
血友病のリスクはあるといえ、エナはグラマラスな美女。アルフォンソはその誘惑に勝てなかったのです。
しかし、生まれた王子が生後まもなくして血友病だと発覚すると、理不尽にも王妃となったエナを責め立てるアルフォンソ。夫婦の仲は険悪なものとなってしまいます。
夫妻の七人の子のうち、血友病の王子は二人です。
彼らは成人こそしたものの、レオポルド王子のように短い生涯を送ることとなったのでした。
スペイン王室は血友病の悲劇に襲われたものの、まだしも被害が少ない方であったと言えるのではないでしょうか。
1931年には追放されたものの、子孫は1975年に返り咲き、王政復古が実現しています。
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